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雑誌「世界」5月号「ガザ攻撃はシオニズムに一貫した民族浄化政策である」早尾貴紀著をメモした(少し感想)

(以下本文抜粋)〈10.7〉以降もおよそ半年にもわたり、世界の衆目を浴びながらも、なぜ大虐殺と大規模破壊が止められないのだろうか。逆に、このイスラエルの暴虐なガザ侵攻を、さらには占領そのものをいかに止めることができるのか。

この白人至上主義・ヨーロッパ中心主義は、自らを「進んだ文明」と位置づけることで優越性を訴え、外部を「遅れた野蛮」とみなし、その支配を正当化した。


※(感想) 遅れた野蛮の人びとがなぜ支配されなければならないのか、理屈が分からない。「支配の正当化」?どこに正当性があるのか?
遅れていようが進んでいようが人間が人間を支配する正当性などないと思う。

(以下本文抜粋)入植者社会が国家として独立したものがセトラー・コロニアリズム国家であり、典型的にはアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、南アフリカ共和国などがそうである。

この植民地主義と人種主義とは、虐殺をともなう収奪を正当化する思想として親和性が強い。

イスラエルの政治家や言論人や入植者がアラブ・パレスチナ人を「動物」と呼んで蔑むことは以前から日常茶飯事であった。

※(感想) 昨夜観たNHKのルワンダのツチ族とフツ族の内戦に伴う80万人の虐殺では、「千の丘」というラジオで人びとをゴキブリやヘビと呼んで分断を計ったことがきっかけだと言う。人を蔑む言葉からは殺人にいたる道が開けていると認識した。


(以下本文抜粋) それはたんなる嫌悪や偏見ではなく、明確に支配・収奪行為を正当化するために相手の主権や人権や所有権を否定するロジックでもある。

古代ユダヤ王国からのユダヤ人の「離散」はシオニズムが捏造した神話であったこと、ヨーロッパのユダヤ人コミュニティの起源は宗教の伝播・伝導による改宗の結果であることは、すでにシュロモー・サンドらによって論証されている。

すなわち、キリスト教ヨーロッパ各地での国民国家の台頭によってユダヤ人を「異教徒・非国民」として排斥したことが、複合的要素によってヨーロッパの外部でのユダヤ人国家建設の動因となったのだ。

イスラエル軍によってガザ地区住民の大虐殺が正当化されるのも、また虐殺か欧米諸国による容認・支持のもとで継続されるのも、こうした歴史的背景を通して見ることで一貫して理解できる。

ユダヤ教の聖地エルサレムを擁するパレスチナが標的になったことには、
① 政治的・世俗的なナショナリズムを宗教的言説によって正当化しやすいというシオニズム側の便宜的戦略
② 欧米キリスト教世界がオスマン帝国からエルサレムを奪取するのにユダヤ教による王国復活の神話を利用したこと
③ ユーラシア大陸で長期にわたって繰り広げられた諸帝国間の「グレート・ゲーム」の一環が、パレスチナも含む中東地域でも展開されたこと。
この3つが作用した。

このグレート・ゲームのなかで十九世紀半ばから日本帝国は大英帝国・ロシア帝国と利権を巡ってしのぎを削り、そこで英国と日本は1902年と05年に日英同盟を結び、英国のインド以西の英国利権を日本が尊重し、日本の朝鮮利権を英国が尊重するという取り決めをしたので、日本は中東の帝国主義的分割について無罪ではないどころか、そこから利益を得た当事国なのだ。

その英国統治に向けて進む過程で、パレスチナにおけるユダヤ人の民族的郷土の建設をイギリスが支持する「バルフォア宣言」が1917年になされて、シオニズム運動は明確にパレスチナを標的にして動き出した。

つまり「領土」にしていくためには、より大規模な入植と平行して先住パレスチナ人の虐殺と追放とが必要となった。というのもシオニズムは、フランスのアルジェリア支配やイギリスのインド支配とは異なり、「ユダヤ人だけの国家」を目指したからである。

シオニストは「最大限の土地に最小限のアラブ人を」というスローガンを繰り返した。

1930年代にはナチズムの台頭を背景に一層のユダヤ人入植が進められ、それに抵抗するパレスチナ人とのあいだで軋轢が高まるなか、イギリスは最初のパレスチナ分割提案を発表。この案は実現に至らなかったが、ユダヤ人の領土が公的な議論に上る大きな契機となった。

イギリスは統治の破綻を認め
国連に解決を委ね1947年パレスチナ分割決議により半々に分割しエルサレムを国際管理地とするとしたが、双方に不満が残り、紛争となった。

欧米からの支援を得たイスラエルがパレスチナ人約80万人虐殺、追放したことは、時間をかけて綿密かつ周到に計画され実行された民族浄化作戦であったことは、イスラエルの歴史家イラン・パペが厳密に論証した。

1987年第一次インティファーダ
1993年オスロ合意

だがこのオスロ体制は、「和平」の名目でもってPLOにイスラエルを敵視することを、つまり抵抗運動をやめさせるということであり、イスラエル国家は安泰になるが、しかしパレスチナ側は占領下での主要都市部の行政権を認められただけで、現実の「国家」となるための入植地返還、東エルサレム返還、国境管理権の移譲、水利権の移譲などは一切含まれておらず、事実上は軍事占領が続いたのみならず、さらなる入植活動さえも許容するものであった。これによって、イスラエルはPLOからの抵抗を受けることなく、公然と入植活動を加速させていく。セトラー・コロニアリズムは、オスロ体制下でいっそう進行していった。

しかもこのオスロ体制を支えるのが、米国・EU・日本をはじめとする国際社会であり、自立できない占領下のパレスチナ自治政府財政に援助金を出しているのだが、国際社会は「和平」という建前のもと、イスラエルの軍事占領と入植活動を実質的に支える役回りをさせられていることになる。

ハマースはイスラエルに抵抗する民衆の意思を受けて正当な選挙による政権である。

ガザはもともとイスラエル全土に暮らすパレスチナ人であったが、追放されてガザに押し込められた。

ハマースに対抗させるために米国とイスラエルはPLOのファタハに武器を与え、軍事訓練を施しハマースと争わせた。その結果西岸地区をPLOが制圧し管理(間接)することになった。

更に、ハマースに関わったパレスチナ人の流刑地としてイスラエルがガザを活用した。

イスラエルは終始一貫してパレスチナ人の抹消を望み、計画し、実行している。

シオニズムと欧米との共犯を思想史的に批判し続けてきた在米イラン人のハミッド・ダバシに倣って言えば、このイスラエルによるガザ地区攻撃と、同時に進行する西岸地区への占領強化と、そしてそれに対する欧米支持に、「欧米の人種主義と植民地主義の歴史全体が含まれている」のだ。(了)

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