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【Story of Life 私の人生】 第67話:The End

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第66話:生理学検査実習 をお送りしました。
今日は、臨床検査技師養成所の退学ついて、お話ししようと思います。

成人式も無事に終わり、学校では実習生活が続いていきました。
2月のある日、ちょっとしたことで指に切り傷を作ってしまい、消毒をしてコロスキンを塗り、バンドエイドで保護していたのですが、2日後に悪寒を伴う高熱が出て来ました。
時期的にインフルエンザを疑われたのですが、検査結果は陰性。
となると、考えられるのは「無顆粒球症」の悪化しかありません。
前回の入院時と同様に、まず病院に連絡をし、寮と学校に話をして、両親に報告。
熱でかなり辛かったのですが、電車とタクシーを乗り継いで、どうにか自力で病院に行きました。

ただでさえ「菌ウエルカム」状態なのに、今回は切り傷を作ってしまったから、傷から入った細菌が原因でした。
これで3度目の無菌室生活が始まりましたが、前の2回と比べると症状はかなり重くて、高熱が下がるまで約3週間掛かりました。

再び、主治医の先生と両親を交えて、学校の今後の実習予定なども踏まえて、治療方針などの相談をすることになりました。
医療系の学校に通っているのだから、主治医の先生はある程度実習内容はご存知な訳です。
3年生では、座学はあと1科目だけ、実習は細菌室メインで病理と生理学が残っている旨をお話ししたところ、先生から驚くべき言葉が!
「この状態で細菌実習ということは、今まで以上に「菌」の感染リスクが高まるから、学校に復学することは勧められない」と言うではありませんか(驚)
「仮に復学したとしても、今回のように無菌室生活が増えるだけにしか思えない」とのことで、遂に「ドクターストップ」を突きつけられることになってしまいました。

正直なところ「絶望の奈落の底」に突き落とされた気持ちになり、悔しくて、悲しくて、気持ちの整理もつかなくて…
無菌室の個室で、点滴を打ちながら、ただただ泣くことしか出来ませんでした。
数日泣いて、もう涙も枯れちゃった頃、今度は「今後一体どうすれば良いのか?」と、自分の将来に対する不安に襲われました。
「ドクターストップを無視して学校に戻って、好きな事をしながら死んでしまいたいな」とも思いましたが、そうなると寮や学校に迷惑が掛かってしまう。
「多くの人に迷惑を掛けてまで、我が道を行くことは出来ないな」と思い、流石にその案は自分の中で完全に諦めました。
まだ20歳になったばかりなのに、このまま「中途半端な状態」で、私の一生は終わってしまうのだろうか?
「中退」という二文字が、頭から離れられず、ショックでグルグル状態。
入院中ずっと自問自答を繰り返し「どうすることも出来ない」という、この事態をどう咀嚼して受け入れるか、努力はしましたが、「頭では分かっているけれど、心は受け入れることが出来ない」状態な訳です。
そうこうしているうちに、3月の春分の日少し前に退院の日を迎えました。

主治医の先生から貰った「ドクターストップ」の診断書を持って寮に戻り、学校の先生方と面談をすることになりました。
ドクターストップが出てしまった以上、学校側としては「退学を受け入れる」ことしか出来ないということになりましたが、今まで履修した科目や実習については「履修証明」を出してくれることになりました。
これにより、場合によっては「他の臨床検査技師養成校に編入も出来るかも知れない」という可能性が少しだけ残りました。
学校は3月31日付で退学するという手続きをし、1984年3月25日に寮を退所し、荷物を全部引き上げて、2年ぶりに自宅に戻りました。

家に戻る途中、全てを失ってしまったような空虚感と「The End」という言葉が頭の中を占めていて…
家に戻っても「ご飯は食べたくない」とか「誰とも話したくない」状態に陥っていました。
今思えば、かなりの「鬱」状態だったのかも知れません。

数日経ったところで、何を思ったのか、突然母が「お前、栄養士の学校に行ったらどお?」と言い出しました。
「何で栄養士なの?」と聞いてみると…
母は、自分は「旧制高等小学校卒業」だから、調理師免許しか受験できなかったけれど、学歴があれば「栄養士」になりたかったと。
私は「なんちゃって」でも、一応高卒なんだし、臨床検査学校で衛生学、微生物学、公衆衛生などを一通り勉強したから、勿体ない。
だったら栄養学校に行って「栄養士」になれば良いんじゃないか。
と、そんな感じで言ってくれました。
学費について聞くと、臨床検査学校では学費がタダだったから、今回は出すと言うではありませんか!
ある意味青天の霹靂、「拍子抜け」状態でした(汗)

まあ、何もしないよりは、別の学校に行くという選択肢もあるし、今回は母の希望に乗っても良いのかも知れないと思いました。
とはいえ、その時はもう3月も終わりに近い訳で…
4月から入れる学校があるのかどうか、かなり微妙なタイミング。
家から通えそうな学校を3校くらい当たってみると、池袋にある栄養専門学校の最終入学選考が3月30日にあるということが判明し、とりあえず受験だけでもしてみようかということになりました。
学校に願書を取りに行き、その足で高校に卒業証明書を取りに行き、翌日願書を提出して、受験という、なんとも慌ただしい日々を送り、試験の翌日に合格発表。
あっさりと合格してしまい、4月から栄養学校に通うことになりました。

臨床検査技師養成所の退学日から、わずか数日で栄養専門学校に入学するという、何とも目まぐるしい変化に、冗談抜きで気持ちの整理がついていきませんでしたが「事実だけがどんどん先に進んでいく」という感じでした。

そんな状態で、1984年4月10日の入学式を迎えたのですが…
この時点では、またまた次の苦難が待ち受けているとは、微塵も思っていませんでした。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第68話:栄養専門学校入学 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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