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夢は突然に


#かなえたい夢

私は小さい頃から「夢」がなかった
要はなりたい職業が見つからなかったのだ。
だから小学生の時の文集は本当に困った。「将来の夢」という項目が必ずあったからだ。
そういう時は友達のを真似していたものだから、ある時は「お花屋さん」ある時は「看護師さん」となっていた。

絵を描くのは好きだが、だからといって画家で食べていける人はほんのひと握り。
無理だ。
美大への進学も美術の先生にすすめられたが、美大出身者で芸術系の仕事に就ける人は少ないと言う

そして私は消去法で文学部に進んだ。

今なら、もうひとつの、やかんなど生活雑貨をデザインする学部の昭和女子大学に通えばよかったとは思う。大学選びで唯一後悔しているところだ。

規定にあった通学時間1時間半までがギリギリだったこと、当時は発熱しやすかったため必須の海外での短期勉強期間を乗り越えられるかということ。
心配した母の考えに従い、というか小心者でもあるため、せっかく受かったが平凡な文学部に行ってしまった。

もちろん、早大の文一のような大学であれば誇らしいのだが……。

そんなこんなでだらりと大学生活を送り、やっとデパガに憧れを持ち(なのに土日休みたいなとかも思っていた甘ちゃん)受けてみたものの就職氷河期の勉強嫌い。
全滅した。

そして祖母の介護を1年半。
大学事務を10年。
その後プー生活を経て、ハローワークから紹介された会社により、申し込み期限が切れたがねじこんでくれた現在の会社での面接を受け、無事入社。

設計事務所だ。

ここに働き出して、そういえば伯父は建築士だったことに気づいた。
というか、初代所長が同じ東工大だった。
気づくのが遅い!

働き出すと今度は建築の素晴らしさに気づき、建物が好きになった。回覧で回ってくる『新建築』は大好きだ。

「建築士を目指せばよかった」と同期に話したら、「でも、数学苦手でしたよね?」と返された。

そうだった!
私は中学生まで数学は得意で満点もとっていたほどだったが、高校からの段違いな数学の世界において一人置いていかれたのだ。
とういうか、理系全般。
完全なる文系脳になった。

そしてこの事務所でただの建築好きとして過ごしていた時コロナがやってきた。

母の肺疾患もあり、今もまだ推しが通う「お好み焼き屋」さんには行けてない。
ここに行くこと!
これは小さいけど大きな夢だ。

いや、ここで求められてるのはこの『夢』はこれではない!
では何か。

それは『歌人』だ。

このコロナ禍。
巣ごもりを余儀なくされ悪いことばかりが目立ったが、唯一「短歌」に出会えたことは良かった。

私の家系は亡き祖母、母と歌に親しんできた。
母はNHK文化センターでコロナ前まで9年ほど短歌を学んでいた。
そこで短歌を母にすすめられ、母はコロナ時師匠となった。

駆け出しのぺえぺえな私なのに、母のように朝日歌壇に載ることを夢見て応募した。

これはいい!と思っても載らない。
いつもお名前を見る方の、そんなにいい?と母と疑問を持つほどの歌が載っていても。

嫌になってしまった。
そしてやめた。
猪突猛進、諦めるのも早い。

その後。
急に思い立ち小説の応募もした。
それも、なんなら賞金に目がくらみ『小説すばる新人賞』に、だ。

お気に入りのショップの店員さんにものすごく有名な賞と聞いて焦った。
そ、そうだったのか!

しかも私は必須事項の受賞作を読む、もしてない。

本は好きだが、時代小説(歴史小説は苦手)、警察小説を読むため全く手を出してこなかったジャンルだからだ。
締切までには読む時間もない。
仕方ない、と言い聞かせ書いた。

推しの田中圭くんを当て書きしたものだからスラスラとかなりの枚数を書いた。応募要項の規定枚数を軽く超えたのだから。
これはこれで楽しかったのでまた書いてみたいとも思っている。

ひっそりこっそり作家さんを狙ってもいる。

文章を書くのが好きだから。
そんな簡単な世界ではないが。

そんな時だ。

このnoteの企画で『推し短歌』に出会うのは!

推し、私の大好きな田中圭くんを詠めるのか!
と、飛びついた。

飛びついたはいいが、好きが宇宙並みに大きく、詠む歌詠む歌駄作だった。
数打ちゃ当たるというほど詠んだものだから、選者の先生方ごめんなさい!だ。

推しの意味合いが「人」だけではないと知ったので、そういったものも詠んだ。こちらは思い出や懐かしいことを詠んだものだから熱もなく比較的まともなものも詠めた。
と、当時の私は思った。

すると、その選者の方のお一人が旧Twitterで歌を詠みバズって歌人になったというではないか。

これだ!

流されやすい性格でもある私。猪突猛進でもある私は推しの他に短歌のアカウントも2023年10月下旬に作った。
すると様々な投稿サイトも見つかった。

徐々に、そして急激に(どっち?)短歌の熱はコロナに侵されたように身体中を駆け巡った。

前回との違い。

それは、巣ごもりで見る景色がない中歌を詠まなければならなかった状況が、今は題詠というお題がある歌を詠めること。これは私の中で大きな違いだ。
ここでまずお題から連想させる想像力、これまで経験したことを表現する力、光る言葉探し、総じて詠む力が養われる、と思っている。

そして、だからこそ、前回とは違い続いているのだとも思う。熱も全く冷めやらぬ。
果ては、見る景色景色を詠みたくなり、実際に即詠もしている。

そして今、やっとたまに母が悔しがるものが詠めるようにもなった。
だが、やっと壁の下に立った状態だ。

そう、壁。

私を支えるこの歌詞。

高ければ高い壁の方が登ったとき 気持ちいいもんな
まだ限界なんてきめちゃいないさ

Mr.Children 『終わりなき旅』

私の歌への全てがここにある。

だから応募も必ずしている。
埼玉文芸賞には50首。
フォロイーさんに教えていただいたナナロク社の「あたらしい歌集選考会」に100首。

まだ始めたばかりというのに、堂々と送った怖いもの知らずな猪突猛進の私。
こういう猪突猛進なら良いだろう。

更にはできるだけNHK短歌への応募もしている。

そしてこれが最大の壁。
「読売歌壇」の俵万智氏に選ばれること、掲載されること!
応募は毎週木曜日と決めて続けている。

日本すら先が分からないのだから、私の人生だってどうなるか分からない。
しかも、前者は自分ではどうにもならないが、後者は自分次第だ。

と、言い聞かせ、今日も歌を詠む。

紆余曲折あってたどり着いた夢。
活躍できるのはひと握り。それでもせっかくたどり着いた夢。

この大きな大きな『歌人』という夢に向かって歩き出す。
終わりなき旅を。

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