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【試し読み】『誰よりも、うまく書く』  半世紀にわたり作家たちを支えつづける、 不朽の名著

 アメリカの伝説的な作家・ジャーナリストであるウィリアム・ジンサーが、初めて創作をする人に向けて書いた『誰よりも、うまく書く』(On  Writing Well)という名著があります。この本は1976年の刊行から半世紀にわたり、国語教師から生徒へ、ベテラン作家・記者・編集者から駆け出しのルーキーへと読みつがれ、いまでは売り上げが累計150万部におよぶと言います。

アンダーウッド社のタイプライターで仕事をするジンサー。 https://www.williamzinsserwriter.com/index.html

 ジンサー以降も膨大な数のノンフィクション・ライティング本が誕生しています。数多のライバルの中からこの本が座右の書として選ばれるのはなぜでしょうか。それは、徹底的に無駄を省き「簡潔に、明解に」書く技法を磨き上げたそのさきに、最も大切な「自分らしさ(humanity)」を表現する方法を授けてくれるからだと私は思います。初心・基本にたち戻らせつつ、書くことに不安を抱く人たちを勇気づけ、鼓舞してくれる。そんな一生モノの友を手に入れて、文章を書いてみてはどうでしょうか。
 本書の魅力がよく分かる、訳者である染田屋茂さんの「あとがき」を公開します。

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訳者あとがき

 世に「ロングセラー本」と呼ばれるものがある。
 ベストセラーと比べれば華やかさに欠けるし、かといって「古典」ほどの重みはない。それでも10年、20年、ときには半世紀以上も読者の支持を受けて着実に版を重ね、売れ続けていく。どんな商品でも同じだが、売上が計算できるこうした作品は版元にとってベストセラー以上の価値がある。とはいえ、そう簡単にロングセラーが生まれるわけではない。特に現在のように変化の激しい時代では、出版時の世評がいくら高くても、半年もすればすっかり忘れられてしまう。時代に合ったテーマであると同時に、時代を超えて読者の心をつかむ、摩耗しない魅力を備えた内容を持つ必要がある。
 本書、ウィリアム・ジンサーの『誰よりも、うまく書く』は、まさにその典型とも言えるロングセラー本だ。1976年に初版が刊行され、以降、現在に至るまでに6度の改訂を経て、総計で150万部以上を売り上げたと言われる。少なくとも三世代にわたって読者の支持を受けてきた計算になる。
 ひと口で言えば、日本でも数多く出ている「文章読本」に、ノンフィクション作家や記者、作家志望者を対象にしたハウツー本を合体させた内容で、類書が決して少なくない米国でも、このジャンルと言えば真っ先に挙げられる一冊になっている。ウェブサイトを検索すると、本書から創作の心得を引用した「ジンサー語録」のサイトがたちどころに何十と見つかる。もはやロングセラーを超えて、「古典」の領域に入りかけているのかもしれない。

 本書がこれほど成功した理由を訳者なりに考えてみると、まずはジンサーが小説家でも学者でもなく、根っからのジャーナリストである点が大きいのではないだろうか。
 ジャーナリストの鉄則は、本書でも繰り返し述べられるように、何より簡潔で明晰な文章を書くことだ。不要な形容詞や副詞などは削除し、ムード先行の曖昧な表現を使わない。一時の流行であったり、仲間内でしか通用しなかったりする俗語や専門用語も排除する。文章のリズムと勢いを大切にする。ジンサーの揺るぎない姿勢には、作家や作家志望者も学ぶところが多いはずだ。
 それに加えて、ジャーナリスト出身らしく取材やインタビューの心得も教えてくれる。インタビューが終わって、ほっとした相手のふと漏らしたひと言が作品の重要な要素になるといった、豊かな経験に基づく助言は貴重だ。「とにかく飛行機に飛び乗れ」――自分の勘を信頼して取材に出かければきっと何か見つかる、いや、出かけなければ何も見つからないぞ、と強く背中を押してくれたりもする。
 その一方で、作者の顔が見える文章を書くこと、言い換えれば、文章に人間味を加えることが不可欠だとも強調する。それが、眠気に誘われ、気をそらすものに流されていきがちな読者を読書につなぎ留める秘訣だとも言う。これは同じジャーナリズムでも報道記事と一線を画すところで、ノンフィクション作家でありコラムニスト、エッセイストでもあるジンサーらしい考え方だ。
 もうひとつの成功の理由は、時代に遅れないように機会のあるたびに加筆・改訂をしている点にあるだろう。もともとは作家、作家志望者、編集者を対象に書かれた本であるが、「自分史」を書く人、書きたい人が増えているのを見ると、すぐに自分の経験をもとに「家族史と回想録を書く」という章を書き足している。「スポーツ」や「科学」「ビジネス」などの章も社会の関心に合わせて加筆し、読者層の幅を大きく広げた。
 また、「彼」「彼女」といった文章上のジェンダー問題にも敏感で、その解説に数ページを割いただけでなく、本文のなかで無意識に「彼」と使った箇所をすべてチェックし、訂正すべきところは全部直したという。新語や新しい語法も改訂の際に積極的に採り入れたらしい。
 「本書は技巧の本であり、その原則は30年前と変わっていない。この先30年で、何か驚くべきものが現れて、書くことをいまの倍、楽にしてくれるかもしれないが、創作をいまの倍、良くしてくれるものが出てくるとは思えない」という信念を貫きつつも、時代の要請に合わせてマイナーチェンジを行っていくことで、新しい読者を獲得していったのだと思う。

 著者のウィリアム(ビル)・ジンサーについては、本文中にも作者自身の口からその人生の端々が語られているので、ここでは簡単な紹介にとどめよう。
 1922年、ニューヨークで生まれ、プリンストン大学を卒業。第二次世界大戦では陸軍に入隊し、二年間、北アフリカとイタリアを転戦する。復員後、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙に入社し、演劇・映画担当編集者、論説委員などを歴任。1959年にフリーランサーとなってライフ誌などに寄稿するかたわら、1970年から9年間、イェール大学でノンフィクションとユーモア創作の講座を受け持つ(本書はその間に執筆された)。その後もニューヨーカー誌などに寄稿し、80代後半で目の病を患い、執筆を断念せざるを得なくなるまでコラムを書き続け、2015年5月に92歳で逝去。生涯に19作の書籍を出版し、本書のほかに『イージー・トゥ・リメンバー:アメリカン・ポピュラー・ソングの黄金時代』(関根光宏訳、国書刊行会、2014年)が邦訳されている。趣味のジャズピアノはニューヨークのジャズクラブで演奏するほどの腕前だったようだ。
 直弟子とも言える作家マーク・シンガーはニューヨーカー誌に追悼記事を寄せ、優れた教師でもあったジンサーの素顔を紹介しながら、イェール大学の講座の宿題に徹底的に直しを入れられた思い出を楽しげに語っている。不思議なことに、弟子たちのあいだではジンサーの直しが赤インクだったか青インクだったかで意見が分かれ、いまだに解決を見ていないという。

 最後に、数ある「ジンサー語録」サイトを見わたして、これから何か書こうという人に勇気を与えるジンサーの教えを五つほど選んでみた。

  1. 書くことを許されないテーマなど、どこにも存在しない。

  2. 私は自分の4つの信条を列挙した。明解さ、シンプル、簡潔さ、人間味である。

  3. 文章は模倣から学ぶものだ。

  4. 何より自分を喜ばせるために書くべきであって、あなたが楽しんでそれに取り組めば、きっと読ませるに値する読者なら楽しんでくれるはずだ。

  5. 自分が何をやるべきかを決断せよ。そして、それをやると決断する。その後に、仕事にかかろう。

 書くことは大変だけど、とにかく書いてみたら、と勧めるジンサーの声が聞こえるような気がする。
 ただし、彼ならきっとこう付け加えるにちがいない。
 簡潔に、簡潔に。

2021年10月

【著者プロフィール】
ウィリアム・ジンサー(William Zinsser)

1922 年、ニューヨーク生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家、大学講師。1946 年、新聞記者としてニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙でキャリアをスタートし、以降、80 歳代後半まで計19 冊の著作と記事、コラムの執筆に携わったのち、2015 年5 月に死去。音楽、野球、旅など多岐にわたるテーマの作品を著し、なかでもノンフィクション創作の心得を教授する本書はロングセラーとなって、三世代にわたる作家や記者、編集者、教師、学生に座右の書として愛読されている。1970 年代にはイェール大学で創作講座を受け持ち、講座からは数多くの著名作家、ジャーナリストが輩出した。本書のほかにThe Writer Who Stayed, Writing Places, Easyto Remember(『イージー・トゥ・リメンバー』関根光宏訳、国書刊行会、2014 年)などがある。

【訳者プロフィール】
染田屋茂(そめたやしげる)
翻訳者・編集者。
1950 年、東京都生まれ。1974 年、早川書房入社。以後、10 年間の翻訳専業期間をはさみ、朝日新聞社、武田ランダムハウス・ジャパンKADOKAWAで翻訳書を中心に書籍編集に携わる。現在は、S.K.Y.パブリッシング代表取締役。訳書に、スティーヴン・ハンター『極大射程』(扶桑社ミステリー)、トマス・H・クック『死の記憶』(文春文庫)、ガリル・カスパロフ『DEEP THINKING 人工知能の思考を読む』(日経BP)、オーウェン・ウォーカー『アクティビスト――取締役会の野蛮な侵入者』(日本経済新聞出版)などがある。

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