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【試し読み】『民主主義は甦るのか?』

歴史は繰り返すのか――。
ポピュリズムは民主主義をどのように崩壊させていくのか。
また衰退した民主主義はどうすれば再生できるのか。
現代の難問を解く上で、歴史からのヒントを与える『民主主義は甦るのか?』

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このnoteでは細谷雄一氏による「序章」の一部を特別に公開します。
ぜひご一読ください。

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序章 衰退する民主主義――歴史から考える民主主義とポピュリズム

細谷雄一

はじめに――オーウェルの「ファシズムと民主主義」

 1942年2月、ジョージ・オーウェルは、「ファシズムと民主主義」と題する文章を寄せていた(注1)(Orwell, 2020)。それは、第二次世界大戦中の、アドルフ・ヒトラーが指導するナチス・ドイツ軍の猛威がヨーロッパ大陸を覆い尽くす最中でのことであった。その著書、『一九八四』や『動物農場』を通じて20世紀の世界における全体主義の台頭に警鐘を鳴らしたオーウェルは、同時に彼自身が生まれたイギリスで伝統と誇りを抱いていた民主主義の精神を擁護していた。このオーウェルの政治評論は、21世紀の現代における民主主義の衰退、さらにはポピュリズムの台頭を考える上でも示唆に富んでいる。それでは、オーウェルはそこで何を語ったのか。

 ジョージ・オーウェル、本名エリック・ブレアはこの頃、BBC(英国放送協会)海外放送局東洋部インド課に勤めていた。評伝『ジョージ・オーウェル』を書いた川端康雄によれば、オーウェルは「ファシズムとの戦いで戦場に赴くのが本望だったのだが、健康上の理由で軍務は拒まれ、次善の選択肢として『電波戦争』への関与を選んだ」という(川端、2020、179)。というのも、「ドイツは開戦後間もなく英植民地下のインドに向けて反英主義のインド人指導者らを利用してラジオによる宣伝放送を仕掛けていた」からである(川端、2020、179)。

 このように、オーウェルは第二次世界大戦中に、ファシズムが民主主義の理念に執拗な攻撃を加えるなかで、その価値を擁護する仕事を自ら「志願」した。そして、「電波戦争」、すなわちプロパガンダの応酬のなかでの、認知領域における価値や理念をめぐる戦いの重要性を深く理解していた。このときナチス・ドイツは、全体主義的なファシズム体制の美徳を宣伝しながら、民主主義が有する無数の欠陥を、あらゆる例示を用いて非難していた。

 確かに民主主義は多くの欠陥を内包している。実際にイギリス国内でも、あるいはインドのなかでも、そのような民主主義が内在する欠陥や病理を訴える主張は後を絶たなかった。そのなかには、「ブリティッシュ・ファシズム」を掲げて、イギリス国内でのファシズムの浸透を試みたオズワルド・モーズリーのような指導者もいた(山本、2023)。そのようななかでオーウェルは、第二次世界大戦の戦局にも大きな影響を与えるこの「電波戦争」において、民主主義を擁護する必要を痛感していた。

 オーウェルは、「ファシズムと民主主義」と題するこの文章の冒頭で、「世界で最も容易い気休めのひとつは、民主主義の偽善の仮面を剝ぐことである」と書き始めている(注2)(Orwell, 2020, 1)。というのも、「民主主義はほんの一握りの富裕者による支配を、覆い隠すものに過ぎないと思われている」からだ。それについてオーウェルは、「これは完全な間違いというわけではないし、まして明確な誤りとも言えない」と認める。すなわち「『ブルジョア』民主主義は、経済的不平等を理由に否定されるべきだという指摘が絶えずなされている」(Orwell, 2020, 4)。このように、オーウェルは、民主主義に対する攻撃が止まず、その攻撃は部分的に理解し得る、民主主義に内在する問題として受け止めていた。

 このような民主主義への容赦ない誹謗中傷の宣伝は、ナチス体制の崩壊とともに終焉することはなかった。第二次世界大戦終結後、冷戦時代に入ってからソ連政府は西側の民主主義的理念を攻撃し、その価値を損なおうと試みた。また現在では、習近平体制下の中国も、プーチン体制下のロシアも、執拗に民主主義の偽善と病理を批判している。民主主義社会の経済的格差、混乱、分裂、不平等、偽善は、繰り返し指摘されてきた。それは、聴衆の多くの共感を呼び、民主主義の価値に対する攻撃はまるでウィルスが広がるようにいとも容易に世界中に浸透している。

 そのような攻撃に対して、オーウェルは民主主義の価値を次のように擁護する。すなわち、イギリスのファシストのように、大胆にもイギリス国内でヒトラーに賛同をしたり、イギリス政府を批判したりすること自体が、そもそも逆説的に、その「民主主義的自由が全く偽りではないことを言外に認めている」のだ(Orwell, 2020, 4)。というのも、民主的体制下で言論の自由がなければ、そもそも、そのような民主主義を批判することすらできない。他方で、ヒトラーが政権に就いた後に、何千ものドイツの共産主義者たちがフランスや、スイス、イギリス、そしてアメリカへと逃亡していったことは、それによって自らが、全体主義的な政治体制を拒絶し、その代わりに民主主義体制を選択したことを意味するのだ。いわゆるレーニンがいうところの「その足で投票した」ことになったのである。人々の心を、永遠に鎖に繫いでおくことはできない。

 このように、戦時中にBBCに勤務するオーウェルが民主主義の価値を擁護して、ファシズム体制の病理を暴露したのは、今から80年以上も前のことであった。その後の80年間に、民主主義の理念と制度は世界中に広がっていった。いまやヨーロッパ大陸や北米大陸のみならず、世界の多くの大陸で人々が投票によって自らの政府を選択するようになった。

 だが、民主主義は本当に、拡大し、浸透したのだろうか。むしろ反対に、近年繰り返し民主主義の衰退が語られている。そして、ファシズムや、権威主義、全体主義が新しい装いとともに台頭してきている。たとえば、歴史家のティモシー・スナイダーは、その著書『自由なき世界』のなかで、次のように語っている。「20世紀は完全に終わり、そこから教訓が学ばれることはなかった。新たな政治のかたちがロシア、ヨーロッパ、アメリカに出現した――それは新たな時代に似合った、新たな『自由なき世界アンフリーダム』である。」(スナイダー、2020、8)21世紀となった現在は、スナイダーのいうところの「自由なき世界」が広がっており、かつてオーウェルが擁護した民主主義の価値は大きく減じているといわざるをえない。

(注1)ピーター・デイヴィソンが編集するオーウェル書簡集の年表では、『左派の裏切り(Betrayal of the Left)』と題する書籍の第8章として、この文章は収められている。Peter Davison, $${\textit{George Orwell: A Life in Letters}}$$(London: Penguin, 2010)p.524.
(注2)訳文については、Haruka Tsubota『オーウェル評論集7 新しい言葉』(オープンシェルフパブリッシング、2021年)を参考にした。

(続きは本書にて)

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編者

細谷雄一(ほそや ゆういち)
慶應義塾大学法学部教授、東京財団政策研究所 研究主幹。
1971 年生まれ、慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。国際政治、イギリス外交史。主要著作:『外交による平和──アンソニー・イーデンと二十世紀の国際政治』(有斐閣、2005 年)、『迷走するイギリス── EU 離脱と欧州の危機』(慶應義塾大学出版会、2016 年)ほか。

板橋拓己(いたばし たくみ)
東京大学大学院法学政治学研究科教授。1978 年生まれ、北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。国際政治史、ドイツ政治外交史。主要著作:『黒いヨーロッパ──ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋(アーベントラント)」主義、1925~1965 年』(吉田書店、2016 年)、『分断の克服1989–1990 ──統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』(中公選書、2022 年)ほか。

目次

序 章 細谷雄一 衰退する民主主義──歴史から考える民主主義とポピュリズム  

第一部 戦間期ヨーロッパの教訓
第1章 板橋拓己 戦間期ヨーロッパにおける民主政の崩壊とファシズム・権威主義の浸透  
第2章 水島治郎 オランダの経験──戦間期民主主義における「三つの挑戦」  
第3章 山本みずき イギリスの経験──「議会主義への懐疑」と「自由放任の終焉」  
第4章 高橋義彦 オーストリアの経験──「非」ポピュリズム的なファシズム?  
第5章 長野 晃 ドイツの経験──エルンスト・ルドルフ・フーバーと「ナチズム」  

第二部 戦間期日本の教訓
第6章 五百旗頭薫 戦間期日本の政党内閣──緊張・生命・国体 
第7章 村井良太 民主主義をめぐる帝国期日本の教訓
     ──かつて日本でも民主的後退があった  
第8章 竹中治堅 なぜ戦前日本の民主化途上体制は崩壊したのか  

第三部 現代における危機
第9章 藤山一樹 ブレグジットにひそむ記憶と忘却──〈一九四〇年〉の呪縛?  
第10章 大串 敦 ロシアのポピュリズム的個人支配体制──その成立と問題点  
第11章 ジョン・ニルソン= ライト 現代日本のポピュリズム──ノスタルジーとロマン主義  

付 論 板橋拓己 ポピュリズムを考える 

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