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不登校と中学受験(38)

ある子どもの中学受験と不登校(1)


長年、不登校だった男の子が、やっと、まともにテストに向き合えるようになり、共通テストの受験まで漕ぎ着けたのです。

本当に長い、長い道のりでした。


彼にしたら、自分はすごく変わったと思っています。

私もそう思います。


それでも、まだ、道半ばだと私は思っています。

それでも、よくぞここまで元気になった、と思うのです。



彼は、どうしても難関国立大学に合格したいという強い思いがあり、それは、不登校になった分、難しい大学に行って取り返さないと生きていけないという、脅迫的なまでの思いが難関国立大学に合格したい思いにつながっていました。

この「不登校になってしまった」=「学歴で取り返すしかない」というこの構図は、私がこれまでに出会った子ども達も、本当によく思っていたのですが、ここまで脅迫的になってしまった子どもはいませんでした。


それには、何か特別なことがあったからではないかと、私もずっと思っていました。



彼は小学生の頃は、ものすごく勉強のできる子どもだったそうです。

小6生の時には、学校で一番と言われるくらい、勉強ができていました。


それだけではありません。

足も早く、スポーツもできました。

自分が勉強や運動ができることを鼻にかけるようなこともなく、偉そうにもしないので、誰からにも慕われる、優等生的なたいへん優秀な子どもだったらしいのです。


ところが、小6の秋に、風邪をこじらせてしまい、しばらく学校も塾も休むことになってしまいました。

ここから、彼が少しずつおかしくなっていったそうなのです。



この風邪をこじらせた後も、本調子でない体に鞭打って、彼は遅れを必死に取り戻そうと、頑張ったそうなのです。

おかげで塾のクラスは下がらなかったらしいのですが、同じ塾に通っていた隣のクラスの男の子が猛烈に頑張り出して、塾のクラスを追いつかれてしまったそうなのです。


お母様がおっしゃるには、このことで一気に彼の雰囲気が変わってしまい、すぐにイライラするようにもなり、悲壮感が漂うようになっていったそうなのです。

受験は、関西の男子の雄、灘中を受験するつもりだったのが、伸び悩み、精神的にも余裕を持って受験できるようにと、塾の先生の勧めもあり、甲陽学院中を受験することにしたそうです。

彼は最後まで灘中を希望していたのですが、その頃には、彼もかなり精神的にまいっていたので、納得しての受験だったようです。

結果は、残念ながら不合格になり、他の中学校を全く受験していなかったために、彼は、公立中学に進学することになったのでした。


一方、隣のクラスで塾のクラスが追いついてきた男の子は、ぎりぎりと言われていた灘中を受験して、見事に合格したことを知ると、彼は自宅で大声で3時間以上、泣き叫び続けたそうなのです。

不合格になった上に、その友達の灘中合格を聞いて、彼の落ち込み方は、ご家族も声のかけようもないくらいに激しく落ち込んで、憔悴しきってしまい、しばらく寝込んでしまったそうなのです。


小学校の卒業式には、何とか無事に出席して、卒業しました。

彼は生徒会長をしていたこともあり、卒業生代表として、挨拶をするよう先生方から推薦されたにも関わらず、それを断り、生徒会副会長の女の子が卒業生代表として答辞を述べることになったとのことでした。


こうして、失意のまま、小学校を卒業したのです。

そして、ここから、さらに彼は落ち込んでいくのです。


つづく



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