人間とは何か?~ヤンデレという属性から観た考察~

僕はヤンデレという属性が好きだ。
ヤンデレとは性格のことではない。属性なのだ。
ポケモンでいえば「でんき」とか「ひこう」みたいなもので、平面化して考えることができる。平面化できるということはわかりやすいということでもある。つまりヤンデレとは長所でもあり短所でもあって、平面化できるということはそういうことなのだ。
平面化とはキャラクター化できるということであり、二次元的ということもできる。ここで僕がいいたいのは、「人間をキャラクターとして捉えて良いのか?」という問いである。


よく聞く言葉に「あいつ根暗だよね」とか「コミュ障だよね」とか、そういったものがあるが、これは対象の人物を侮蔑するときに使われることが多いように思う。だが、人間を属性で分類し、浅ましくも侮蔑することができる権利なんて誰が持ち合わせていようか?根暗やコミュ障などは単なる属性に過ぎず、先述の通り長所にも短所にもなり得る。つまり人間とは多面体であり幾層にも重なったレイヤー構造で形成されているから、安直に人間を一つの発言や行動でアニメのキャラクターのように断定してはならない。人間は成長もすれば適応もする。つまりは変化するのだ。「あの人はこういう人だから距離を置こう」というのは一つの発言や行動で判断してよいものではない。思想や理念がどうしても合わない場合はある程度距離を取るのもやむを得ないだろうが、なんとなく嫌い程度の感覚で人を突き放すのはあまりにもSNS的な思考だと僕は考えている。個人的な感覚としては危険だと思う。


大量消費社会の中で、インスタントなコンテンツが増えている。人はゆっくりモノを楽しむということを忘れてしまいつつある。「モノからコトへ」という言葉が出てきて久しいが、コト、つまり体験を商売にしてしまったが故に人間は体験というインスタントかつ強烈な刺激ばかりを求めるようになった。インターネットにおける炎上などは最たる例だろう。少し前にホストが女性に刃物で刺され、重症を負ったというニュースがあった。僕はそれをTwitterで知ったのだが、羨ましいなおい刺すなら俺を刺せよ馬鹿野郎やろうじゃねえ女の子だクッソ俺を刺せ殺してくhjdqhLJFjhHfbhHFhンj・vlSLJVLかkljAfjJLKJPSJSg;:migekjgffwんrkpKfwkrmbkrwkwmkkqfl:




取り乱しました。失礼。
つまり僕はヤンデレが好きなのです。あれ完全にヤンデレだろ。間違いねえよ。だって刺し殺そうって思えるほど好きなんだべ?そんな愛され方をしてみたいのよ俺もさあ!クッソがあ!


僕も人間として壊れているのだと思います。
殺されてもいいと思えるほど人を愛したいし、殺したいと思えるほど愛されてみたいのです。


五年前のある日のこと
「ねえ、殺してもいい?」
「いいよ、俺を殺せるのは君だけだ」
そう言ったとき君は天使のように微笑んだ。それが悪魔に見えなかった時点で、たぶんぼくはもうにんげんとしてこわれていたのだろう。

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