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ぼくの観光論 〜 京都・かぐや姫観光シンポジウムで話したこと

先週の日曜日、京都府などが主催する『京都・かぐや姫観光シンポジウム』というイベントで少しだけ話をしてきました。

僕は声をかけていただいて2年ほど前から大山崎町を含む京都府乙訓地域の観光について考えるワークショップに参加していて、このシンポジウムはその区切りというか、まとめみたいな位置づけもあって開催されたようです。あ、ちなみに「乙訓」は「オトクニ」と読みます。

2年前にワークショップがスタートしたときに考えたことはこちらのブログにまとめています。

あらためて読み返しても、このときの考えは今と変わっていないのだけれど、2年間のワークショップを通じてこのときに書いたような理想に近づいているかというと、残念ながら現実は厳しく、そうなってはいません。

そんな中、今回のシンポジウムではワークショップ参加者のひとりとして、2年間のワークショップを通じて思ったことや、乙訓観光の課題、今後どうすべきかなどについて自由に話してほしいという依頼をいただいたので、「大山崎町民を代表した意見なんて言えないけどいいですか?」「本当に思ったことを素直に話しますけどいいですか?」と念押しして、OKをもらったので、話をすることに決めました。

僕が話したこと

僕は5分ほど話をしたのですが、せっかくなのでその内容を残しておこうと思ってこのブログを書くことにしました。なので、長くなりますが全文を記します。といっても話した内容を録音していたわけではないので、あくまでも「こういうことを話したよ」という意味での全文です。一語一句同じではないです。

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こんにちは。大山崎町から来ました中村佳太です。

まず少しだけ自己紹介をすると、僕は6年前に大山崎町に一目惚れして夫婦で東京から移住してきました。いまは大山崎町で夫婦でコーヒー豆の焙煎所・コーヒー豆屋をしているのと、あとは、大山崎町とお隣の大阪府島本町、いわゆる山崎地域のみんなと『oYamazakiまちのこしプロジェクト』という活動をしていて、山崎地域をロケ地とした映画を作り、上映会を開いたりしています。

今日は2年間参加してきたワークショップについて話すということなのですが、その前に、前提として僕の観光に関する考えについて少し話をさせてください。

実は僕は、ちょっと前まで「観光」というものについてほとんど興味がありませんでした。実際、観光に行くことも少ない方だと思います。でもその認識を変える出来事があったので、その話をします。

〈ある経営者の話〉
数年前、僕は京都市で外国人向け、いわゆるインバウンドの観光事業を展開している若い経営者の方とお会いする機会がありました。僕は観光というものに興味がなかったので、その方に率直に「なんで観光の会社を始めたのですか?」と質問しました。するとその方は「まずひとつには、観光産業がいまの日本では数少ない成長産業だからだ。」と答えました。つまり「儲かるから」ということです。僕が「この人は金儲けがしたいだけか」とがっかりしていると、その方は続けて「そしてもうひとつ、観光は世界平和につながるからだ。」と言いました。僕は意味が分からず「どういうことですか?」と尋ねると、その方は次のような内容の話をしてくれました。

"これまで世界中を観光してきて、訪れた国の人々と知り合い、交流し、その国の文化を知ることでその国のことを身近に感じるようになって帰ってきた。その後、たとえばニュースなどでその国のことが流れてきたら、それまで他人事だった遠い国のことが急に身近なこととして感じられるようになる。紛争や災害が起きると心配になり、自分に何かできないかと考えるようになる。だから、世界中の人々が観光を通して交流すれば、世界は平和に近づくはずだ。"

〈『観光』の本質〉
僕はこの話を聞いて、これはこれからの「観光」の本質ではないかと思ったんです。つまり、僕は「これからの時代の観光」について考えるときには常に「人と人との交流」を中心に置いて考えるべきだと思うのです。観光名所や特産品などというのは本質ではなく、交流を生むきっかけでしかありません。

いま世界中、京都市でも、行き過ぎた観光による生活環境の破壊や文化の破壊といった問題が明らかになってきていますが、これも人と人との交流を観光の中心に置くことで回避できるのではないかと思っています。昨年、哲学者・批評家の東浩紀さんによる『ゲンロン0 観光客の哲学』という本が出版されましたが、この本ではまさにこのような観光客的な交流がいまの社会の分断を解決する手がかりになるということがかなり精緻に、理論的に述べられています。(注:正確にはこの本でいう『観光客』は抽象的な概念であり、リアルな観光客だけを指しているわけではないのですが、リアルな観光客にも当てはまる議論ではあります)

〈ワークショップの違和感 〜 テーマ『かぐや姫』批判〉
さて、話をワークショップに戻します。
今話したような観点で見たとき、今回参加したワークショップの中では「どうしたら人と人との交流が生まれるのか」という議論は組み込まれていませんでした。そのことはとても残念ですし、自分の力不足も反省しています。

今回のワークショップでは、乙訓地域に共通するテーマを探し、「どうやってたくさんの観光客に来てもらうか」、「どうしたらお金をたくさん使ってもらえるのか」という議論に重点が置かれていました。でも、ワークショップに参加された方はわかると思うのですが、結論としては共通のテーマは見つからなったというのが本当のところです。そして「(適切なものが)他にない」という理由から今回のシンポジウムのタイトルでも掲げられている『竹の里・かぐや姫』が乙訓観光のテーマということに、とりあえずなりました。

でも、関係者の方は怒らないでほしいのですが、僕が自分で調べた限りでは、特に『かぐや姫』、つまり『竹取物語』の発祥の地としてテーマにするには乙訓地域ではその根拠が薄く、強引すぎると言わざるを得ません。「キャッチーなんだからいいじゃん」という考えもあるかもしれませんが、そういった本質的でないテーマを掲げても、地域に根ざしていない分、人々の交流の出発点にはなりずらい。地域の住民は誰もかぐや姫(竹取物語)の発祥の地だなんて思っていないのに、「役所が言ってるから」という理由で観光客とかぐや姫の話をしたりなんかしません。

〈本当に大切なこと〉
これからは『竹』とか『かぐや姫』とか、そういう大きなテーマで人が集まる時代ではありません。みんなそれぞれが事前にSNSなどで「どこに行って」、「何かするか」を決めてから観光に行きます。大きなテーマを強引に作るのではなく、今回のワークショップを通じて認識された本当に地域に根付くひとつひとつの魅力たち、たとえば建築とか、お店とか、人とか、を住民が丁寧に、楽しそうに伝えていくこと、そうして住民と観光客が交流していく基盤や仕組みを作ることの方が大切なのではないかと、そんな風に考えています。

ありがとうございました。

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話を終えて

僕は、この話をすると決めたときから、「みんな引くかもなぁ」って、ちょっと諦めていました。これまでのワークショップでも僕の話が伝わってるなぁと感じることは少なかったし、さらに今回のシンポジウムの参加者は行政の人や府議会議員、各地区の議員の人とかが多くて、今回の話を前に進めて行く立場の人たちだから、世界平和だの、かぐや姫はダメだのと言ったら、「あいつは何言ってんだ?」と思われるだろうと覚悟してました。(思われるのはいいんだけど)

でも、結果としては後半の市長&町長のパネルディスカッションでも、その後の参加者のみなさんの感想でも概ね共感してもらえたみたいで、なんだか素直に嬉しかったです。

これから

今回のシンポジウムは、特に結論のようなものも、今後具体的にどうしていくってことも無くて、「で、これからどうするの??」って感じでした。(シンポジウムってそんなものなのかな?)

僕としては、以前のブログにも書いたように、僕の住む町がいわゆる観光地になってほしいとは思っていなくて、でも、「楽しいから来てみなよ」って想いはあって、だから、今回話したような本当に地域に根付くモノやコトや人を中心に楽しい交流が増えたらいいなと思うので、そうなるように日々暮らし、お店をしていけたらと思っています。

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