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『観光』ってなんだ?

先日、声をかけていただいたので『京都・乙訓地域 観光振興のためのプラットフォームづくり推進業務 ワーキンググループ・キックオフ会議』(ながい…)というものに参加してきました。

簡単に言うと、僕の住む京都・乙訓地域(向日市、長岡京市、大山崎町)の観光を盛り上げる方法をみんなで考えて、最終的には国の政策である『日本版DMO』をこの地域にも作ろう!ということだそうです。それで、JTB西日本がこれを業務委託で推進していくのだそうです。

僕はおそらく『oYamzakiまちのこしプロジェクト』を通して地域のみんなで映画を作ったりしていたから、お声がかかったんだろうと思います。

話をいただいたとき、僕はこの会議へ参加するかどうか迷いました。会議の内容とか、日本版DMOがどうとかいうことは置いておいて、ここではそのことについて書きたいと思います。

『観光』に興味がない

僕が参加を迷った理由は、そもそも僕が『観光』というものにあんまり興味がないからです。自分が旅行をするときもいわゆる『観光地』という場所は避けることの方が多いし、自分の住む町が観光地になって欲しいと思ったこともありません。

僕が『観光地』と聞いて思い浮かべるのは、史跡や風景などの名所があって、その周りに観光客目当てのお店がたくさんあって、そこにたくさんの観光客がやってきて、一つの経済が成立しているような場所です。

当たり前ですが、これ自体は何も悪いことはありません。ただ、僕個人としては(あくまで個人的な趣味として)、あまりそういう場所に興味がないんです。それより僕は、その土地の人々はどんな料理を食べ、どんな服を着て、どんな家に住んでいるのか、その暮らしからどんな思想が生まれ、どんな風に世界を捉えているのか、それが自分とどう違うのか・・・そういったことに興味があるんです。

史跡や風景は、その地域の文化や歴史を”代表するもの”であり、それはとても大切なものですが、それだけを観ても僕の興味があることには辿り着かないのです。

観光地から失われる『本物感』

そしてもう一つ、僕が観光地のイメージとして持つ『(観光地になることによって)一つの経済が成立しているような場所』という点も、僕の足が遠のく理由の一つです。

観光地として経済が成立してしまうと、どうしても観光でお金を稼がなくてはならなくなります。元々はその土地本来の伝統であったモノやコトが人々を惹きつけていたのに、いつの間にかそこに観光客を喜ばせるために創作されたみやげものや料理が混ざってくるようになって、いつしか『本物感』が失われてしまう、そんなふうに感じるからだと思います。

でもやっぱり観光して欲しい?!

ここまで、僕があまり観光に興味を持てない理由について書いてきました。でも、そんなことを考えたとき、自分自身に対してある疑問を持ち上がってきました。

僕は観光に興味がないと思っている一方で、自分のお店に来たお客さんが山崎に来たのが初めてだと知ると、「あのお店にも行ったほうがいいですよ」「あの神社にはこんな歴史があるんですよ」と、一生懸命に自分の暮らす地域を宣伝していることに気がついたんです。

それはつまり、せっかく山崎に来たのであればもっと楽しんで帰って欲しいし、また来たいと思って欲しい、という想いが僕の中にあったという気づきでした。そして結局、「僕はこのまちを観光して欲しいと思っている」という事実を認識したのです。

こんなややこしく考えなくても良かったのかもしれませんが、僕はこんな風にぐるぐると考えて、やっとこさそう思えたのです。ほんと面倒くさい性格です。

僕の目指す『観光』

観光して欲しいと思っているとしても、僕が上で述べたような(個人的にあまり興味を持てない)観光をして欲しいとは思いません。

つまり、僕が目指す観光は、いつまでも『本物』であり続け(『本物感』を失わず)、その土地の人々の暮らしやその土地が培ってきた思想を感じることができるものでなければなりません。

どうすればそういったものができあがるのか、それはまだわかりません(そんなものできないのかもしれません)。でも、これからこの会議に参加していくのであれば、これを目指していかなくては(僕にとっては)意味がありません。

少なくとも、観光による地域の振興を、『観光地になってお金儲けをしよう』というスタンスで捉えて進んでしまっては、長期的にみて地域にとっては文化や風景を破壊されるマイナスな結果しか生みません。そうならないように、他の参加者や行政、JTBの人たちと考えていけたらと思います。

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