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【短編小説】幻の珈琲

 三時間、その状況は続いていた。
 母はキッチンに立ち、隣に住む加藤さんにトマトをいただいたとか、今年のお盆は家族で旅行に行きたいとか言っている。
 話し相手は食卓テーブルの椅子に座わる父だった。
「あなた、今年のお盆は仕事の休み取れ……」
 いつまでそうやって話し続けるつもりなのだろうか。
 私の我慢が限界に達した。
「お母さん、いい加減にして!」
 珈琲が入ったマグカップを壁に投げつけ、母の言葉を止めた。
 陶器の破片と珈琲が、花火のようにそこら中に飛び散っている。
「何をそんなに怒ってるの?」
 怪訝な顔をしながら、母は私を見つめた。
「お母さん、もう受け入れてよ。お父さんは死んだのよ」
「沙紀(さき)、お父さんはそこにいるじゃない」
「違うの。ここにいるお父さんは幻覚よ」
「何を言ってるの?」
「お母さん! しっかりして!」
 すでに私の力だけで母を止めることはできなくなっていた。
 あれから三年が経つというのに、いまだ父の死を受け入れようとしない。
 それどころか、幻の珈琲を飲み過ぎて、中毒になっていくように見える。
 ああ、母をこんなふうに変えたのは、私だ。
 私のせいだ。 
 戻れるものなら、今すぐ、あの日に戻りたい。
 

 その喫茶店は、仕事帰りに偶然見つけた。
「あなたも会える! 幻の珈琲、本日入荷!」
 看板に書いてあったその言葉を見た途端、自分の直感がざわついた。
 誰かが「一杯飲んでいきなさい」と話しかけてきた気がしたのだ。
 重厚感のある扉を開けると、珈琲の香りがふわっと鼻腔をくすぐった。 
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
 ギンガムチェックの赤いベストを身にまとった初老の男性が、カウンターに一人立って、愛想よくにっこりと微笑んでいる。
 店内はカウンターに六席しかなく、私の八畳の部屋よりも狭く感じた。
 お客は私一人だけだ。
「ご来店は初めてでしょうか?」
 店のマスターと名乗る彼は、高級ホテルのフロントデスクのように丁寧に私に話しかけてきた。
 年齢は六十歳を少し超えたくらいだろうか。
「はい、そうです。表の看板を見て……」
 入口から二番目の席に腰をかけながら言うと、
「幻の珈琲をご存じで?」
 と聞いてきた。
 まったく知らないけれど、惹かれて来店したことをマスターに告げたところ、少し間を置いてから幻の珈琲の話をしてくれた。
 エチオピアで四年に一度しか収穫できない、貴重な珈琲豆。
 それが幻の珈琲だという。
 豆を挽くことで、中に含まれる覚醒成分が活性化するらしい。
 そこに沸騰したお湯を注いで飲むと、三時間ほど特殊な興奮状態になり、亡くなった最愛の人が幻覚として見えるようになるそうだ。
 そのため、幻の珈琲と呼ばれているという。
 興味深いのは、実際は「風樹(ふうじゅ)」という変わった商品名であることだ。
「風樹の嘆(ふうじゅのたん)」が由来らしい。
 親孝行をしようと決めたとき、すでに両親は亡くなっていて孝行できないという後悔と、喪失感を表した言葉とのことだ。
 意外にも風樹の生産者はエチオピアに住む日本人だそうで、十年前の震災で両親を亡くしたみたいだった。
「親孝行はいつでもできるとはかぎらない。家族を大切に」
 そんな願いが「風樹」という珈琲に込められているのだと、マスターは言った。
 ひとしきり話を聞いた私は、妙な納得感を感じていた。
 私には三年前から、たまらなく会いたい人がいたからだ。
 

 私は母の肩に両手を置いて、体を揺すろうとした。
 しかし、その手はどこにも触れることなく空を切り裂く。
 次の瞬間、バランスを崩して前のめりになり、顔から派手に転んだ。
「ああ……、あああああ……」
 誰もいないリビングに、私の嗚咽が響き渡るばかりだった。
 幻の珈琲の中毒になっているのは、母ではない。
 私だ。
 ここにはもう、父も母もいない。
 二十年ぶりに過去最高気温を記録した、三年前の夏。
 父が運転していた車が、反対車線からはみ出してきたトラックと正面衝突した。
 即死だった。
 原因は、トラックの運転手の居眠り運転だという。
 事故の知らせを聞いたとき、電車で帰るのが面倒くさいという理由だけで、父に迎えを頼んだことを後悔した。
 電話口で、外食に行こうと嬉しそうな声で提案する父。その声の奥で、早く支度をして家を出ようと急かす母。
 あのときの二人の声が、今も耳から離れない。
 両親はしばらく元気でいるだろうから、親孝行はいつでもできると思い込んでいた。
 ところがそれは幻想であり、二人が亡くなってからそれに気づくなんて、あまりにも遅すぎたと後悔している。
 私は心の奥にある悲しさや寂しさ、孤独を癒すために、幻の珈琲を飲み続けるのかもしれない。
 それは両親の死に執着する行為ともいえるけれど、それだけではないだろう。
 芳醇な香りとほのかな苦味をじっくり味わっていると、珈琲好きだった両親とのつながりを確かに感じる。
 その瞬間、私は勇気と希望がわいてきて、今ここから、また前を向いて力強く生きていこうと思えるのだ。

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