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若おかみは小学生!を観て、ある方程式にたどり着いた話。

そのことばには、理解できない魅力がありました。

全国ツツウラウラの、「推し」を惜しみなく推してまいる人々。好きにまみれて爆走するその勇姿は時に滑稽で愛らしく、時に全てを超越しているようで、頼もしい。このコロナ禍においても。

いきなり何の話だよという感じですが。
わたしは推しがいません。性格上、一つの対象に心まるごと入れ込むということができない。

そんなわたしにとって、いまいち理解できないあることば、がありました。

いや、昔からあることばなんですけど

歓喜の涙をながし、嗚咽に震えながら限界オタクたちが絞り出すそのことばは、いまや世界に波及し、すでに新しい項目として大辞林に記載されると噂されるとかされないとかですが、

うーん、爆裂的になにかを愛したり推したりできない性格ゆえか、はたまた無宗教国家に住んでいるゆえか。


まぁそんな話はさておき。

先日アマプラで、こんな映画をみたんですよ。どうみても小学生向けな絵柄ですが、なにやらネット上で評判がよかったので。

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(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会


観終わって、わたしは人知れずつぶやきました。



「っ...尊い...」


この映画「若おかみは小学生!」のおかげで、わたしはいままで理解しえなかったことば「尊い」を心から実感したのでした!!!!

ちゃんちゃん!!!終わりません!!


ということでね、今日は映画「若おかみは小学生!」について、じっくりと語らせてください。

ざっくり目次

◯この映画の概要、監督さんのこと、脚本家さんのこと。

『若おかみは小学生!』
2018年日本映画。「春の屋には、たくさんの出会いが待っていた…」令丈ヒロ子による児童文学小説シリーズをアニメ映画化した作品です。両親を亡くし祖母が女将である温泉旅館に引き取られた小学生の少女が、旅館の仕事を手伝ううちに不思議な体験を味わうことに・・・。
原作:令丈ヒロ子・亜沙美(絵)(講談社青い鳥文庫『若おかみは小学生!』シリーズ)
監督:高坂希太郎、脚本:吉田玲子、音楽:鈴木慶一 他
キャスト:小林星蘭、水樹奈々、松田颯水、薬丸裕英、鈴木杏樹、ホラン千秋、設楽統(バナナマン)、山寺宏一 他
主題歌:藤原さくら「また明日」(SPEEDSTAR RECORDS)
製作:若おかみは小学生!製作委員会
アニメーション制作:DLE、マッドハウス
配給:ギャガ
劇場版公式サイト:http://www.waka-okami.jp/movie/
(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

ということで、もとは有名な児童書が原作です。
有名といってもわたしは知りませんでしたが、なんと20巻も出ている長寿作だったようです。その後コミック誌「なかよし」でおおうちえいこさん作画で連載もされており、テレビアニメ化もしています。児童書の連載開始が2003年ですので、当時ファンだった大人の方もけっこういらっしゃる感じなんだろうなと思います。

監督の高坂希太郎(こうさかきたろう)さん。
「茄子アンダルシアの夏」の監督さんで、この方生粋のジブリで仕事してた方です。ジブリではラピュタから原画で、耳をすませばからは作画監督になり、その後だいたい有名なジブリ作品は彼が作画監督を努めています。そして、この方以外にもそうそうたるジブリ出身者が何人かいらっしゃいます。

あとにも書きますが、この映画の描写は、キャラの動きや表情、水てきの描き方など、いたる所で「ジブリっぽさ」が感じられます。

なんていうんでしょう、丁寧ていね丁寧で、デフォルメされているのにリアリティがあって、リアル以上に空気がうごいて匂い立つ、あの感じ。

ただ窓を開けているだけで。涙がひとしずく流れるだけで。ただたまご焼きを切っているだけで。目を奪われる、あの感じ。

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ジブリが好きだけど新作が出ないなぁ、と思っている人は、それだけでこの映画、観る価値大アリです。


そして、脚本は吉田玲子さん。
この映画を調べてみるまでお名前を知らなかったのですが、「ガールズ&パンツァー」「聲の形」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「きみと、波に乗れたら」などなど!ストーリーがいいと評判のタイトルの多いこと多いこと。その界隈では、今や引く手あまたの実力派脚本家さんです。

実は、原作の児童書版を、ためしに1巻だけ買って読んでみました。
そちらも素晴らしく、大人も大事にしたいエッセンスが子どもにも伝わるようにかみ砕いてかかれていました。

しかしこの原作1巻だけみても伝わる、この吉田玲子さんという人が映画の2時間単品にするために、どのエピソードを、どの要素を抽出し、どれをなくし、どう繋げたか」という作業のちみつさ、丁寧さ、そして、センス

そしてね、「セリフに言わされてる感がない」!全てのセリフが、そのキャラがその人らしく考え、血肉のある肉体から出てきた言葉にちゃんと聞こえるんです。あぁ、どういう行程を経ているのかわからないから、センス、としか形容できないこのもどかしさ。原作の令状ヒロ子さんも感激するほどだったらしいです。わたしも、1巻だけでそう思いました。

これだけでつまりこの映画は、

細かい描写まで丁寧で、空気や匂いが立ちのぼり、キャラたちも本当に生きて思考してそこにいることが伝わる

という、わたしの好みドツボな映画だったわけです。はい、もう好き。
でもまだ「尊い」ではない。


『大切な人の死を受け入れるって、どういうことか分かってる?』

ここからは3つのテーマを軸にお話しします。一つめはこれ。ここからネタバレ全開なので、見たくない人はお気をつけて。


主人公おっこは映画序盤で、交通事故で両親をいっぺんになくしひとりだけ助かってしまい、おばあちゃんの旅館「春のや」で暮らしはじめます。
いろんなことが起きて、お客さんに喜ばれたりユーレイと仲良くなったりして、次第に両親のことを、受け入れていきます。

「大切な人の死を受け入れる」創作物において非常によくあるテーマなのですが、この映画はその描き方がすさまじい。。

忙しくクルクルと日常を駆け抜けてゆくおっこですが、その随所に、まるで両親が生きていて春のやに一緒に住んでいるかのようなシーンが挟まるんです。例えばお客様に浴衣を着せてあげたあと、お母さんが浴衣を着てしゃべっているシーンとか、いつの間にかおやつのプリンがなくなっていたあとに、お父さんがもぐもぐしていておっこと楽しそうに喋っているシーンとか。

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↑両親の布団に潜って顔を出すおっこ。もうとにかく幸せそう。

それの何がすごいって、生きてるなんてあり得ないのに、アレ?と混乱するほどに違和感がないんです。

おっこが両親の死を全く受け入れられていない描写だから、かなり酷なシーンなわけです。でも描写があまりにも、あまりにも幸せそうすぎて、心が幸せになっちゃうんです。悲しめないんです。

おっこのセリフ「なんだかまだ両親が生きてる気がするんです」って笑顔で言ったとき、「え?ウンウンウン!」と心の中でヘッドバンキングしました。ここまで主人公の感覚を、しかも不思議で説明のつかないような感覚を追体験させられたことはない。と同時に突きつけられてしまったんです。


わたしは、大切な人の死を受けいれるという過程が全くわかっていなかったんだと。メジャーなテーマだから、わかってるつもりになってた。

すごいシーンがあります。おっこが両親に、「お父さんたちは、まだ生きてるんだよね?」と聞く。

するとお父さんは、「何言ってるんだ…当たり前じゃないか。」と。

ここの描写がほんとにすごい。ゾッとするんです。声が暖かいのに凄みがあって、画面はお父さんの横顔アップで、妙に暗くて不穏な迫力があって。現実じゃない、でも真実っぽさが現実以上なの。ゾッ

とにかくフィクションは人が死にますし、わたしも、父を亡くしています。でも、ここまで何か、心の深い深い部分に根ざした混乱を突きつけられたのは初めてでした。


そんなおっこに、後半試練としか言いようがない事件が訪れます。たまたまやってきたお客様家族が、なんと両親の事故の相手側のひと。その人もその事故で腎臓を摘出する大手術をし、退院して慰安のために春のやを訪れたのでした。
この地点は冬で、事故からは3つの季節が過ぎています。

(偶然旅館に来たのはまだしも初対面のおっこにそんな事故のことをペラペラ語ってしまうのか、という疑問は、おっこのけなげさに絆されていたからと思えば納得できました。おっこは油物が食べられないこのお客様のために、自分のプライド厭わず奮闘しました。キャラクターやお話を丁寧に積み上げてきたからこそ、ご都合っぽさもなくなるのだと思います。)

ここからラストまで映画は残り13分。おっこが、本当の意味で、お父さんとお母さんを喪失します。哀しみ、受容し、前に進もうとする姿は、是非映画を見ていない人はご自身の目で見ていただいたいです。

振り返り、涙をためてセリフを言い放つあるシーンでは、わたしはただただ、口をあけて泣いて画面を見つめるほかありませんでした。これが尊いということか・・・



『自分の傷よりも、大事にしたかったこと。』

ふたりめのお客、グローリー水領さん。この方との邂逅がまた素晴らしいのです。

初顔合わせシーンはトンデモ占いお姉さん。でも、おっこと仲良くなるにつれ、カッコよくて優しくて、信じられない速度で好きにさせられていきます。短い時間で愛着を持たせるキャラの描き方がバツグンです。ダウナーなご様子から、浴衣を着付けしてもらってテンションも上がり浴衣ファッションショーしちゃうとか、温泉の中で氷をガツガツ食べるカッコよさとかね。

仲良くなったふたりは一緒にお買い物に行こう!となるのだけど、その車の中で事件は起こります。

走る車から見る道路の光景に、おっこの押し込められていた事故のトラウマが開いてしまうのです。

この時の描写がまたエグい。お守りの人形をこれでもかと握りしめて、過呼吸になって、全ての音は水の中のようにくぐもって聞こえて、おっこの目のアップ、瞳の中に対向車のライトがビュンビュン飛び交っていて、あの怖すぎる、トラックが飛び出してくるシーンがフラッシュバック。

車を止めて、飛び出したおっこをわけもわからず介抱する水領さんの一挙手一投足が、とても優しくて暖かいです。

事故のことを聞いた水領さんは、もう帰ろうか、と言うのですが、おっこは、「わたし、水領さんとお買い物行きたいです!」と返します。

せっかくここまできて水領さんにも悪いし、楽しいことしたいし、気を取り直していこ、という、自然な流れではありますが・・・

ここでわたしは急に自分のことをふり返って、「あぁ、わたしは自分の傷を大事にし過ぎたんだ」と気づいてしまいました。


個人的な話で恐縮ですが、わたしにもトラウマはあります。

そのトラウマに直面するたびに、逃げてしまって、余計トラウマが強くなるということをアホほど繰り返しました。いま、それでものすごく苦しんでいます。

でも思い返せば、その時々で自分のトラウマよりも大事だったことは確かにあって。
なんでわたしは逃げたんだろう。
苦しみや恐怖と向き合わなかったんだろう。
何度車に乗っても、旅館に引き返してしまったんだろう。

なんのことはない、何度も自分を守ることを選んでしまっただけ。
いや、選ぶことすら逃げた結果のいまだから苦しいのかも。ちゃんと比べたうえで選べていたなら、こんなに後悔はしていなかったかも。

もし、当時のわたしに何かを言えるならば。「自分を守ることはとても大事だよ。でも、あなたが恐怖で閉ざしているその傷と、それを守ることで失う大事なものを、ちゃんと比べてみて。」と言いたい。

失ってから気づいても遅い。そんなの、耳タコなんだけどね。


さてさておっこたちは再び車に乗り、ここから、おっこの声優である小林星蘭さん(当時12歳!)の楽曲、ジンカンバンジージャンプ!が流れだし、ノリノリのBGMと共に、試着室でのファッションショーが開かれます。

トラウマ直面のダウンからのアップということでここの盛り上がりは最高!!!もしかしたら1番好きなシーンかもしれないです。

とにかく可愛くて、ハッピーで!ただただ楽しげなシーンなのに、泣けてきて。

オシャレするシンプルな喜び、生きる喜びに満ち溢れてて、
おっこの無垢さと水領さんの懐の深さが洪水していて、
しかも流れる楽曲が、全くストーリー進行を邪魔せずにぐいぐいと二人の背中を押して走っていく。

途中謎にマネキンになってるユーレイふたりとかもおかしくて。あぁ、また観たくなってきた!

自分の傷を抉られて、それでも大事なものを選びとったその先に、こんなに幸せで尊い時間が待っているなら・・・そんなふうに、勇気をくれる最高で最高のシーンでした。尊すぎる。尊みの深さが知れなすぎる。



『前を向く + 癒される + 受けいれる = 前に進む』

いわゆる「喪失体験」から回復していくプロセス、またはそれを促すことを、臨床心理の言葉で"グリーフワーク"と言うらしいです。ググりました。

大切な人を失った人は、それを受け入れるまでにどんな道をたどるのか?

それはたとえば『受け入れられない時期→怒りの時期→抑うつの時期→悲しみきる時期、そして受容の時期』があるだろう、とかね。
諸説あります。
なるほど、「ただただ悲しむ」っていうことが、どれだけ遠い道のりか。うん、そうだよな。
それがわかるだけでも、きっと患者さんはいまのじぶんの足もとを見下ろして、心の整理ができたりするのでしょう。

おっこもこれに近いなぁと思いつつ、もっと普遍的な「前に進むための方程式」をこの映画の中に見たような気がしました。
おっこがたどった道。
「前を向く+癒される+受け入れる=前へ進む」。

「前を向く」
前を向くとは未来を向くこと。

未来を向くとは?それは、自分の残りの命について考えること。

学校にいくこと。人の役に立とうとすること。目の前の相手に向き合うこと。いつか悲しむために、いまを楽しむこと。

自分のこれまでの時間ばかりみて地蔵のように固まっていたわたしは、いつまでたっても癒やされることはありませんでした。おっこは前を向いていたからこそ、この映画を見ている時はわたしも前を向けていたのだと思います。

「癒される」
おっことあかねくんのお別れのシーンであかねくんがプリンを作ってくれたおっこに言います。大きく全身を使うように、

「とーってもおいしかった!ありがとう、若おかみ」

ここのあかねくんの動き、おっこのうるむ目、上がる口角。何回見てもグッとくるんです。「人の役に立つこと、認められること、その喜び」の原体験だなぁと。

といって、誰もが人の役に立てて認められるわけじゃないけど、おっこはこの小さな旅館で前を向いていたからこそ、癒やされることができたんだなぁ。前を向くことは癒されることの必要条件なんだ。十分ではないけど。

「受けいれる」

映画の中でおっこが両親の死を、本当の意味で受け入れたきっかけは、最後のあのお客さんだったと思います。

本当に悲しいシーンですが、どこか見ながらホッとしたのは、これでやっとおっこは「悲しみきる」ことができるかもしれないと思えたからです。

もう一度になりますがこの時、映画の中では3つの季節が過ぎています。
長くもないが、決して短くもない時間です。現実ならもっとかかる場合が多いでしょう。

「前を向く」というのはトラウマに対してじゃなくて、目の前に対して。未来に対して。
おっこはひょんなことから始めたおかみの仕事に真摯に向き合ったから、癒しを獲得していったのだし、そうした癒しを積み重ねていったからこそ、受けいれる準備、悲しみきる準備が整った。

そうしてそれらぜんぶが足されたから、前へ「進む」待った無しだ!と見ていて思えたのです。

昨年は見ていた御神楽の舞を、1年後は自分で踊るという構成。
ずっとこの世に留まり続けたユーレイふたりがその日に旅立つということ。

そういった作り手のメッセージが、ちゃんと実感をもって「前に進んだんだなぁ」という確信として届いた。
その御神楽のシーンで映画は終わりますから、この先は見せてくれないわけですが、ここまで追体験してきたわたしは、これからもおっこが元気に進んでいく景色が目に見えるようで、よし、わたしも頑張ろうと思えるのです。

未来に一歩歩き出したい時のために心の端っこにでも留めておきたい。おっこが歩んだ方程式。

大ラストのシーンがまたいいんですよ!

このラストのシーンで、ウリ坊とみよちゃんがふっとホワイトアウトで消え、舞っているのが桜の花びらだけだったのが、四季折々の花々が突然混ざって、花だけが舞いながら、エンディングテーマに繋がるっていうのが!花の雨を降らせてくれたウリ坊のシーンを伏線としていて、ウリ坊が空に昇るまえに降らせてくれたんだなぁと、最高の余韻を残してくれます。

そしてそしてそして、このエンディングテーマ、藤原さくらさんの「また明日」という曲が、もーーーーーうわたしも成仏しそうなほどにイイ!!

しばらくヘビロテしていたし、いても立ってもいられず部屋の中でその曲かけて踊り散らかすくらい、本当に大好きな曲の一つになりました。曲の感想まで語り出すともうほんとにアレなんで、自粛します。



◯好きポイントをむやみに語っていくよ。

全体のストーリーがどうとかではなく、ちいさく「あ、この描写好き〜」というのを吐き散らかします。

・旅館の窓のカギが、つまみをクルクル回すタイプのカギ。その、クルクル具合。懐かしさと、おっこの無垢な「あ、こうか!」と嬉しむ声。。

・みねこちゃんを助けるウリ坊の、シュンビンで高い身体性の伝わる動き。それだけでダンスみたい!

・エェー!と驚くおっこのベタなシェーストップと、お茶を倒していそいそと拭くギャップ。おっこがとにかく瑞々しく、愛らしい。しかも天丼2回目もあるんだよ。お茶はもう入ってないよ笑

・魔法?で草花がいっせいに芽吹き、降ってくる表情。ウリ坊の仕草に「となりのトトロ」を思い出したひとは多いはず。美しいっていうよりも、お花や、草が、ワクワクに直流するんだ。童心にかえる。

・プリンを食べたくちのもぐもぐ。ただただかわいい。でも、もぐもぐがかわいいってことを、これを見るまで忘れてた。人間は、いろいろとかわいい。

・自己紹介での顔の赤らめかたは、ジブリともまた違う。この表情だけで、おっこの気恥ずかしさ、喜びがこれでもかと伝わってくる。こっちまで笑顔になる。


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ユーレイに思いもよらないことを言われてのシェーポーズとお茶。この後天丼するんだけど、手の位置が逆になる。かわいい。

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(予告編からのキャプチャ画像なので字幕がついてる)赤くなった部分の描きかた、表情。おっこのキャラクター性が伝わる!

だめだ冒頭30分の中だけでこんなになってしまった。もうやめます。


すみません、セリフで好きだった箇所だけもう少し!

「普通なんてあいまいな物差しで人を測ったらいけないよ!」

お客様のあかねくんと口論になり、おっこが叱られるシーン。同じシーンでの原作版には書いていなかったので、脚本家さんか監督さんの書かれた言葉でしょう。なにかと自分を比べるとか、なにかを評価するとかは、誰もが、どうしてもやってしまうものです。今この瞬間にも、あなたはこの文章が面白いかどうかを評価しているでしょう。それは人間の本能に近い機能なのだと思います。
そこで大事なのは、自分はどんな基準でこれをジャッジしてるんだ?てこと。そのメモリ、グニャグニャしてないか?と自分に問いかけ続けること。「今自分が当てているモノサシはどんなモノサシだ?」ということに自覚的でいること、出来なくもそうしようと努めること、だと思うのです。結局人は主観でしか物を見れない中で多様性が叫ばれる昨今ですが、自分から発される言動に責任を持てるのは、自分しかいません。

「お口に合う料理をつくれなくてすみません。」

減塩、減油だけどコッテリした料理が食べたいというご要望に応えられず、康さんが深々と頭を下げるシーン。ぎゅっと握ったコック坊から誠実さがひしひしと伝わってきます。そもそもお客さんに合わせてオリジナルのメニューを作ることがすでに凄まじいサービスなのに、この後おっこと康さんは協力して、お客様を満足させる料理を4品ほど作り直します。そんな旅館あるかい!と思いつつも、「お客様に満足していただく、喜んでいただく」というひたすら誠実な魂が伝わってきます。

「あなたには意地ってもんがないのかしら?」

これは、セリフがいいんじゃなくて、このすぐあとにパチっと隣の間接照明が点滅するのがいいの。説明は全くなくて、初見は何にも思わなかったんだけど、この記事を書くにあたってもう一度じっくり見ていたら「あ、これは姉のユーレイみよちゃんが、こら!と叱りつけるような気持ちでやったんじゃないかと思ったんです。その頃にはおっこはあまりユーレイが見えなくなってて、みよちゃんの姿は一回も描かれないんだけど、その後、なぜか肖像画のみよちゃんのカットが入るんだよね。あ、これが示唆だったんだなと解釈できて、何が言いたいかっていうと、無駄なものは1カットもないよなぁそうだよなぁって、改めて本当に作り手さんたちを尊敬したのです。
そしてこの後!出来る限りの知識をおっこに伝授して、材料まで渡して送り出した後、耳を触ってむすっとしながら廊下をかけていく真月ちゃんが、本当に可愛くて。「あんたのことなんか気にしてないんだからね!」という記号的ツンデレとは一線を画すツンデレ描写だなぁと脱帽したのでした。


あとは真月さんの読む本の付箋の多さとか、道場でケンカしてる時の鼻がぎゅーっとなったり隙間から指導者さんが見えるユーモアとか、おっこと真月さんが初めて言い合ってる時のクラスメートたちの動きひとりひとり面白いとか、虫を触れるようになるとか細かい演出も抜かりないんだよ〜語りきれない!


まーでも
割と散らかしたので満足です!


ここまで読んでくれた方!

とーっても嬉しいです!!ありがとうございました!(全身をつかって)








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