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菅義偉首相は「叩き上げ」と言えるのか?政権が意外に盤石になりえるかも?という理由と、その中で日本人が見出していくべき新しい変化とは

(トップ画像は菅義偉公式サイトより)

この記事は、一個前の記事↓での、

トランプ大統領が「ゼロからの叩き上げ」というのは実情に合っているかどうか・・・という分析に関する記事と対になっているかもしれません。

上記リンクで書いたように、今、アメリカメディアでは「トランプ大統領は優秀なビジネスマンといえるのか」を検証する記事が流行ってるんですが、日本でも「菅氏は”叩き上げ”といえるのかどうか」がSNSなどでは結構論争になっていたりしましたよね。

もちろん叩き上げかどうか・・・というのは果てしなく「もっと叩き上げ」な人物の例が出てくる話なので一概には言えませんが、その「比較的叩き上げ」的な性質は今後の政権にどういう影響を及ぼしそうか?その中で菅政権を私たちは「どう使って」いけばいいのか・・・という話を書きます。


1●「叩き上げであること」の価値はどういうところにあるか?

菅氏の生い立ちについては、世間的イメージのように秋田の貧農の長男が集団就職で東京のダンボール工場に勤めに上京したが、政治家への志を得て働きながら苦学して法政大学で学びつつ、地盤のない横浜で一歩ずつステップアップして今の首相の地位を築いた・・・・というほどではなく、秋田ではそこそこ豊かな農家の息子で、大学の学費も出してもらえる程度には裕福な育ちだった・・・というような話が、SNSでの「菅氏叩き上げ論争」の中では語られていました。

ただ、大学卒業後の政治家秘書からはじめて一歩ずつ成り上がってきた記事などを読むと、少なくとも安倍・石破・岸田・・・といった東京育ちの二世議員なんかとは全然違う人生を歩んできた感じはしますし、日本の政治家の平均としてはかなり「叩き上げ」と呼んでもいいぐらいじゃないかと思います。

そういう「比較的叩き上げ」の、社会の中で「命令する側」の立場も「命令される側」の立場も身を持って体験してきた人は、そうじゃない人と違って、

社会の中での「弱者」の人たちの、

・「本当の辛さ」

と、同時に

・「ずるさ」

も理解できるところがメリットなんですよね。

そういう体験がない人は、紋切り型に「弱者」扱いされる文脈にある人を、徹底的に無視するか、徹底的に「かわいそうな人」として持ち上げて”聖人化”した旗印の基礎にしてしまうか、どちらかになってしまいがちで。

でも実際に「弱者」側の立場も体験していると、そういう立場のリアリティが体感としてわかるので、

「そういう立場に立ってしまって本当につらいのはどういう体験か」を配慮してやる

ことができたり、逆に

そういう立場の人間なりの「ずるさ」を見抜いて、過剰に聖人化することなく適度にいなして扱う

ことができたりする。

もちろんこれは「叩き上げ系」の人物の中で「理想的」にはこういう能力が育ちうるという話であって、菅氏がこの2点を物凄く持っているかどうかはわかりませんが、伝え聞く部分では結構該当する部分はあるような気はします。


2●菅氏の叩き上げ的成分2つのポジティブな効果

そもそも、結構「豪腕」的な人物だと言われているにも関わらず、マクロな世論調査とかでは「人柄」が評価されて高支持率・・・というのは、ある種「”弱者”的な人がどういう振る舞いにプライドを傷つけられるのか」を理解しているからだ・・・と言えるように思います。

「弱者に寄り添う!」がスローガンの左翼政治家が、その心の中にある隠せない優越感的なものから、ときに当の労働者層から徹底的に嫌われてしまう時があるのと対比すると、菅氏はそういうところで、「弱者が自分の矜持を守るために踏み込まれたくない部分」を体感的に理解して、振る舞い的に「優しい配慮」をしてあげられているということなのかもしれない。

そして同時に、菅氏は「やると決めた政策は、反対する官僚を左遷してでも実行する」そうで、新聞では「ふるさと納税」制度について、反対した官僚を左遷した話・・・とかが出てきたんですが・・・

その記事を読んだところでは、まあその官僚さんの言っていることはわからんでもないものの、そうやって「本当の本当を言えばこうあるべき」とか言うのを「全部のせ」にして付帯条件がいっぱいついたわけがわからない制度になってしまう・・・というのが「日本あるある」なことを考えると、「適度に無視して強引に進めるパワーを持っていることを示す逸話」であるように私は感じました。(左遷された官僚さんもただ職場転換されただけで、露頭に迷っているようでもなかったですしね)


3●習近平的エアポケット的安定権力になるかも?

そういう菅氏の「叩き上げ感」が、浮ついた「政治的図式からの空論的罵り合い」から距離を置く力があるように感じられるだけじゃなくて、なんとなく「政治力学」的にも、一般の予想よりも安定した政権になるんじゃないか・・・と感じている部分が私にはあるんですね。

というのは、中国の習近平が突然トップに躍り出た経緯とちょっと似ている気がするんですよ。

習近平がトップに躍り出るまでの権力構造については、以前こういう記事を書いたんですが、簡単にいうと習近平は派閥争いの間のエアポケット的なところにいた地味な人物だったところが菅氏と似ているように思うんですよね。

普通に考えると「最大派閥Aのボス」の方が安定する気がしますが、しかし「最大派閥Aのボス」ということは、その他の「派閥B・C・・・」から見ると明らかに「敵」だったりするわけじゃないですか。

一方で、習近平氏や菅氏のように必ずしも自前の大きな派閥がない状態の中で、「派閥Aと派閥Bの間の争いの結果、消去法的にトップにつく」と、権力バランスの中であまり掣肘されづらいポジションが形成されるというか。

私は経営コンサルタント業のかたわら色んな人と「文通」する仕事もしてるんですが、その文通してる「ゲーム理論研究の経済学者」さんと話していたら、たしかに”そういう均衡状態”になることってあって、

国民が「不安定になってもこの人は嫌」と思う様なレベルの、何かスキャンダルが起きない限りは、この政権は安定する気がします。

と言っていました。

だから、とりあえず「予想よりもちゃんと仕事ができる」政権になる可能性が高いんじゃないか・・・と私は感じているわけですね。

それを良いことと捉えるかどうかは、また別の問題があるでしょうけれども。


4●菅新首相は安倍氏のような「やってるふり」では終わらない

私のクライアントの経営者の一人が、

「安倍首相の任期後半は、”やってるふりはすれども実質的に大きな変化に繋がるようなことは何もしないだろうという逆の安心感”があった」

と言っていて笑ってしまったのですが、これはなかなか的確な表現だったかもしれません。

今の「対中国封じ込めの国際潮流」をゼロから立ち上げていったと言ってもいいかもしれない外交面や、大胆な金融緩和路線は別ですが、こと「いわゆる三本目の矢」的な具体的戦略についてはからっきし「やってるふり」しかしていなかった「逆の安心感」が、安倍氏の特徴だったかもしれない。

一方で、この記事のここまで書いたような理由で、菅新首相は、「やってるふり」では終わらない、「本当になにかやる」可能性が高い人であるようです。

有名どころでは「ふるさと納税」も「GOTOキャンペーン」も菅氏の肝いり政策だそうで、いざ「やる」と決めたら反対する官僚を左遷してでもやり抜くガッツがあるタイプだそうです。

「ふるさと納税」にしても「GOTOキャンペーン」にしても、官僚的な細かい理屈を言えばいくらでもケチがつくようなものだと思いますが、それをここまで「良くも悪くも国民的関心」みたいに仕立てて、需要側も供給側もワイワイ色んなプレイヤーが参加できるところまで仕立てた手腕は、これはなかなか地味に凄いことなんじゃないかと私は考えています。

こういうのって、小理屈から付帯条件をどんどん付けて「全部のせ」的にわけがわからない制度になってしまっていたら、決して今のような広がりにはなっていなかったはずなんですよね。

さっきも書きましたが、重箱の隅をつつくように「ここがこうなってないとかオカシイじゃないですか!」的なことを延々と主張する人がたくさんいて、それを「全部盛り」にしていくうちに商品としてわけがわからないものになる・・・・というのは、組織人として日本で働いたことがある読者の方には目に浮かぶ体験だと思いますから、そういう意味では結構ポジティブな面はあると私は感じています。


5●独裁者になるか?対話の起点になるか?

もちろん菅氏のそういう能力について、「独裁に繋がる」と恐怖を感じる人も多くいるのは理解していますが、ただ、安倍氏時代と比較して、「とりあえず動かし始めることで、やっと対話することも可能になる」ことって実はたくさんあるんですよね。

「やる・やらないレベルの話では独裁的なぐらい強引にやったほうが”対話”はちゃんとできるようになる」という事は、特に日本ではたくさんあります。

逆に安倍氏はそこが弱腰でフラフラしていたからこそ、逆に物凄く「高圧的・強権的」に見えてしまっていた可能性すらあるはず。

例えば目玉政策の行政のデジタル化などは、コロナ禍で台湾や韓国とのあまりの違いに愕然とした国民も多く、野党議員もこぞって「なんとかしろ」と息巻いていた問題ですが、やろうとしたら果てしなく細部の問題を粘り強く解決していかなくちゃいけないタイプの課題なわけですよね?

コンサルタントとしての体験から言うんですが、そもそも「やる・やらない」レベルのところでトップダウンで強引に「決めて」くれず、トップの態度が責任逃れ的に曖昧で、現場レベルでの推進者が「そもそもそれをやるのかどうか」から相手を説得しなくちゃいけなくなると、現場レベルでは逆に「対話」が余計に不可能になるんですよね。

トップの態度がフラついていると現場レベルの推進担当者が常に「無誤謬なフリ」みたいなことを示し続けて埋め合わせる必要ができて、結果として相手の事情をちゃんと理解するためにスキを見せて対話するみたいなことをする余裕がなくなってしまう。

以前この連載で使ったこの図

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のように、

「無理やりじゃない対話的な導入」というのは、逆に「そもそもの意思決定」レベルでは逃げずにトップが「やる」と決めないとできない

んですよ。これは、組織の中でなにかを横断的に動かそうとリーダーシップを取ったことがある人なら痛いほどわかるはずです。

安倍氏時代に「一部の反対者の憎悪」があそこまで募った背景には、「腰が定まらない不安定さゆえに現場レベルで非常に高圧的に見える・双方向的なコミュニケーションが不可能に見える」構造があったと思うんですが。

もし菅氏が、その「政治的安定」をベースにちゃんと「やるべきこと」を”実行”していけるようになると、「とにかく何かが変わっていっている実感」自体がポジティブな感覚をもたらすので、安倍氏時代の「果てしない分断的感情」とは違う様相を持ち始めるかもしれない。

たとえば役所仕事からハンコをなくすとか、ゴールド免許はリモートで講習を受けてもいいとか、そのレベルの「小さいこと」でいいからちゃんと「おお、変わったなあ」という感じさえ積み重ねていけたら、その勢いを利用して社会全体にポジティブな変化をもたらしていけるんじゃないかと期待しています。


6●安倍氏時代の鬱屈の原因をマクロに見ると?

結局、安倍氏時代がなぜあれだけ「賛否両論」だったかというと、日本人の中の「ある一部の性向の人」のいうことは徹底的に無視さざるを得なかった・・・ということにつきるのではないか、と最近思うようになっています。

民主党政権時代、沖縄の基地問題などで紛糾して、「基地負担問題を取り上げていくのはいいけど、その後の落とし所ちゃんと考えられているのだろうか?」みたいなのが空白のままだと何もできないんだな・・・ということを本能的に日本人は知った・・・みたいなところがあるわけですよね。

基地負担はなんとかするにしても、米中対立が徹底的に世界の火種になっていく中で、そこに置いてある米軍のプレゼンスがなくなった時の地域不安定化に対して、何らかの包括的な策を考える・・・のってやっぱり必要だよなと。

そこに出てくるのが「攻めてきたら俺が酒を酌み交わして説得する(って言ってる大学生いましたよね)」みたいなのしかなければ、さすがに責任感あるオトナがそういう政策を押し出していくわけにはいかないだろうということになる。

ただ、その後長い安倍政権時代の中で、最初はちょっと孤軍奮闘気味でしたが、結果としては全世界を巻き込んだ「対中包囲網」的なものが形成されてきて、「沖縄の問題」が単なる一国だけの課題ではなくなったところまで来た。

そういう状況下で、かつ「菅政権の安定性」を持って「一番良くない噴出の仕方には持っていかない」ようににらみを利かせながらであれば、日本人の中の「とにかく色々と変えていきたい気持ち」を噴出していっても、破綻しない情勢に持っていけるのではないか?

最大限好意的に見れば・・という感じかもしれませんが、「菅時代」をそういう風に持っていければ日本人にとって非常に有意義な情勢にできるはずだと私は考えています。


7●アメリカ大統領選挙後の、不安定化に対する基礎石を提示していく

この記事は、一個前のアメリカ大統領選に関する記事と表裏一体なわけですが、

上記記事の最後で述べたように、もしバイデン米民主党が勝ったとしても、それでメデタシではなく「党内過激派と現実派」の争いというのは明らかに激化し続けるわけですよね。

そこで、今はトランプ派が果たしていた「リベラル的理念の閉じた先鋭化を牽制する役割」を、誰か別の存在が軸となって果たしていく必要があるわけですが、ここ最近何度も使っているこの図のように、

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その時代の中で日本が果たす役割は大きいはずだと私は考えています。


8●マクロな情勢と日本国内の改革欲求をシンクロさせる

大事なのは、この「マクロな世界の流れ」と「日本国内の改革欲求」をうまく繋いでやる一貫した世界観を作っていくことなんですよね。

この記事には書ききれないので「次(ファインダーズでの連載記事を予定しています)」に書きますが、「改革エネルギー」と「現実的安定性」の両立・・・という課題をクリアーしてこそ、「経済」面でも日本はちゃんと時代の流れに対応した変化を起こしていけるはずなんですよ。

安倍氏時代には日本人の中の「改革欲求」的なものは必死に抑え込んでおく必要があったわけですが、菅氏時代には、ちゃんと「菅政権自体の安定性」と「米中対立時代の世界的潮流」を表裏一体に貼り合わせれば、思う存分「改革エネルギー」が噴出していっても崩壊しない「構図」を生み出すことができるはず。

私はそういう風に考えています。


今回記事の無料部分はここまでです。

以下では、ちょっと菅義偉氏の選挙区である「横浜」の話をしようかと思います。

なんか、何人かの知り合いが、菅氏の息子さんと学校が同期だったとかで、「友達の優しいお父さんみたいな印象」みたいなことを言っていて、これ確かRADWIMPS(バンド)のボーカルの人も同じこと言ってたなと思って。

その、「首相になるような政治家」との間の「近所のおっちゃん」的な距離感を感じるカルチャーって、ちょっと「横浜的」なとこあるのかな、って思うんですよ。

昔、横浜の不動産屋さんのクライアントがいたんですが、その人が言っていた「横浜という土地の特殊性」という話が非常に面白かったので、その話をしたいと思います。

「土地の形状」が、「その土地の人の気質」に影響を与えていくという、結構面白い話があるんですよね。

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