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「好きを仕事にする」の「好き」を持つ難しさ
この頃、
「好きを仕事にする」
そのことを信じ、実践している人がいたり
その重要性がいろんな賢い人の口から説かれていると思います。
最近読んだ、ホリエモンさんと落合さんの「10年後の仕事図鑑」って本、
本当にやりたい仕事で生きよう、であったり、意思決定を自分でしよう、であったり、
簡単なようで、多くの人たちが見失う観点が、裏付けと共にわかりやすく説明されていて
とっても面白い本だと思いました、オススメ。
一方で、私たちはこの文化に生きる以上、
本当の自分の欲求に向き合えることがあるのかなとも思います。
どういうことかというと、
まず、今の文化、社会では、
人間同士の関係も市場原理に基づいているということ。
そうした社会の中で、私たちの欲求は
何を志すか、どんな仕事をしたいか、
日曜の過ごし方も、今日の夕飯も、
市場原理に基づいているんじゃないかということ。
以下、エーリッヒフロムの『愛するということ』の引用です。
資本主義社会は、一方では政治的自由の原理に、他方では、あらゆる経済的関係をーしたがって社会的関係をもーすべて調整するものとしての市場原理に基づいている。商品市場は交換条件を決定し、労働市場は労働力の売買を調整する。…このような経済構造は価値体系にも反映している。資本は労働力を意のままに動かす。蓄積された物品は、生命をもたないのに、労働力や、人間の能力や、生きてるものよりも高い価値を持つ。
市場原理に従うと、
価値のあるものと価値のないものは明確に分けられます。
そうした社会背景をもとに、現代人の特性を以下のように述べます。
…現代人は自分を商品化してしまった。自分の生命力を投資だと感じ、自分の地位や人間市場の状況を考慮しつつ、その投資によって最大限の利益をあげようと必死になっている。…最大の目標は、自分の技能や知力を、また自分自身を、つまり「人格のパッケージ」を、できるだけ高い値段で売ることである。相手もまた、公平で有利な交換をしようと血眼になっている。人生にはもはや、前進する以外に目標はなく、公平な交換の原理以外に原理はなく、消費以外に満足はない。
要はで言うと
今、成果を求めることそれ自体、なんの疑いも持たれず正しいと信じられているし、
私たちがシンプルに欲求するものって私たちのものだと信じられてる
でもそれって本当は誰の何の欲求に従ってるんだろうということ
つまり、この社会で必要とされる人格に当てはまることを、
求めさせられてるような気がしてきます。
(その市場原理自体を私たちが作り、
私たちを市場原理が作っているので
まぁ私の欲求っちゃあ欲求なんだけども)
ちょっとね、不安に思ったりします
世の中の価値に絶えず適応することが
強力な処世術だとも思うし
そうすることが善だとされてきた
そんななか、急に「好き」を見つける生き方を!
と言われてもなかなか難しいもんで
そんな中見つけた「好き」でさえも
結局市場原理に基づいた、「然るべき好き」に過ぎなくて
なんの欲求に従えば
私は私らしく生きられるんだろうか
本当の「好き」を見つけられるのか
ちなみに、食べてるときとかはだからとっても安心します
その欲求はものすごく人間らしいのでね
解の出ないお話でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございます〜
何かみなさんの思考を深める一助になれば幸いです