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エゾシカ〜角のある暮らし

節分の日に

こんばんわ。
節分を過ぎたね。豆まきはした?

久しぶりのスナッキンだ!だ!
嬉しいなー、どうしてたのスナッキン。

そうか、北海道に、、、
そんな写真が撮れたんだ。
凄いね。

カメラも凄い。
自然も。
それを撮れる環境も。
見せてもらいながら、エゾシカのイラスト描いてみた。

角だ。素敵。
でも、その角の状況に、目を奪われた。


流氷とエゾシカ
角のある暮らし


角は素晴らしい。
強さの象徴。

戦うために、それは、角となった。
もともとはおでこの端っこ?



時にね、彼ら雄鹿はその縄張り争いで、一方の角が突き刺さってしまい、どうしても抜けなくなって、一頭をそのまま引きずって暮らすことがあるんだ。
スナッキンが旅の話を話し始めた。


争いに勝ったとはいえ、その鹿は、重いもう一頭のことを引きずったまま、数日間から数ヶ月、餌を食べ、安全な寝床を探さなければならないんだよ。

衰弱死してしまうことだってある。
もし、天敵の狼がいれば、生き延びるにはあまりに不利だ。

けれど、現在北海道は、狼が少なくなって、こういったエゾシカも、角が抜け落ちるまでなんとか無事に過ごすわけさ。 

スナッキンが半島で見つけたのは、首だけになった鹿を角に突き刺したまま、ひっそりと生き延びるであろう、その鹿だった。


船に隠れるようにはしていたけれど、たくましさと強さは写真からも、角はもちろん、足や筋肉から有り有りと見て取れた。


ちぎれた首の写ったグロテスクな写真に釘付けになった。
そこは、流氷や海の青、白い雪の大地と枯れ草、いたってシンプルなものだけがある。
厳しい自然環境の中だ。
空気の冷たさが、突き刺さるような綺麗な写真だった。
スナッキンが、写真の知識と腕前が相当なことは誰でもわかる。

スナッキン!!この写真描いていい?
許しを得て、デッサンに使った。

なのに、鉛筆で写し取っていく過程で、やはり突き刺された首のことは、描けなかった。
花冠に替えて描くのはどうか、ふと思ったが、それも違うのかな、と思った。
鹿は鹿として、命を掛けたのだ。
花には置き換えられなかった。
もちろん花だって、生命力を感じさせるものではある。
うーん、どうしよう、描いてもいい。
迷った。
そして、やめた。
今すぐにはまだ、描けない。

ストレートに伝えるための写真があるとしたら、絵はどこまでもリアルでなくていい。
ぼやかしても、これは私の記憶の中では戦い抜いて生きていく生き物を描いたものだ。


エゾシカと海
北のくに


僕が近づいたときは、隠れるようにしていたけど、首を外してやれるなんてことは、ないんだ。


エゾシカも人を恐れている。
日本中の山で、鹿は害獣にもなり得るため、狩られるだろう。

可哀想?
君、肉を食べていることをわすれてない?
食は、栄養やエネルギーはを必要以上に取らないことが本当の美食なんだろうな。
取りすぎず、残さない。
美しく食べたいものだ。


鶏の、断末魔の声がそこらで聞こえていた時代に戻ったら私達は、残酷な鬼の形相をあらわにするか。
今の子どもの心にはどう映るだろう。
工場からキレイに出てくるその食肉製品を何もなかったかのようにどれだけ食べていくのだろう。
私も、鬼なのか。角が、ないからといって我がふりを見ないなんてね。


鬼はーソト 

福はーウチ

節分の日には、いつも鬼を追い出そうと、真面目に取り組んでるよ。スナッキンもまるかじりなんかするの?

もちろん、北北西だろ。
しっかり残さず食べたさ。

豆まきだって、、、。

果たして、このウチとソトって、どこのことなんだろう。
ウチとソトを分ける境界線は、どこだろう。

お茶を少し飲んで、スナッキンは言う。

だいたいウチだから、家?
敷地、マンションなら玄関かな?

(じゃあ、内の外は、よその家と違うんかーい!!よそへ行けばそれでいいのか?)

追い出して行き場に困った鬼は、いったいどうなると思う?


各家から集結した鬼は、集団になってどこかでヒソヒソやっていると思うな。
福の振りをする相談なんじゃないかな。

スナッキンは、矢継ぎ早に話し、咳き込んだ。
福の振りをする鬼、なんて!!福になりきって、少しは、良い目を見せるんじゃないか?
その福はあたかも正しいことをすることで、なにかが、もたらされると、人を信じさせて、本当の大切なものを奪って行くんじゃないか。

いやーそれは、一体なんだろう。

やはり本物を見分けるには、それなりの鍛錬された目が必要じゃない。

スナッキンは私よりも思考時間がずっと早い。私が妄想しているのがわかって、黙っていた。

そうか。
鬼は、いるのかいないのかじゃなくて、いるんだと言う前提だ。
スナッキンの話で、福の振りをするかも知れないと、気付いた私は、疑いという心に、囚われている。
そして前提は、もう疑われない。

本当かどうかなんて、自分の心次第だ。

奪われたものを無理に取り返そうとしなくても、私は気づけばいい。
大切なものは心のなかにずっとあり続ける泉のようなもの。


内にいる鬼、泉からでるものを、どうか味わって。
お残しはだめよ。

スナッキン、今日は楽しかった。
特にこのエゾシカの写真、きっと何度も見ることになると思う。
これは本当のことだから。

角が生え変わる春には、鹿もきっと元気になるね。

春よ来い
書いてみた
浜辺の歌
書いてみた


それは、日本です。
静かに、自分の欲を減らしながら、許しながら、幸せを願います。

豆の数は、ちゃんと数えないと、必要以上に食べちゃうから10個ずつ分けてます。
1.2.3..…




読んでくださってありがとうございます😃✨


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