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高い戦略眼をもった山本五十六がもし政治指導者だったら

先週は「「太平洋の巨鷲」山本五十六」(大木毅著)を読みました。また、年末に役所広司さんが主演された「連合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実」を改めてみており、年末から山本五十六について色々考えてみました。
 
本書は、山本五十六の人物像については阿川弘之さんの「山本五十六」をはじめ多くの著作もあることから、人物像よりも山本五十六の「軍人」としての「戦術面」、「作戦面」、「戦略面」の評価を試みたものです。この切り口からの評価は非常に分かりやすいものでした。
 
本書で紹介されていた評価は次のようなものでした。
まず、「戦術面」は、特に戦術能力が発揮される将官の時期に大きな戦争がなかったこともあり、正直その評価は未知数です。
「作戦面」については、真珠湾攻撃で米軍を破ったこともあり、一般的には山本五十六は作戦面での評価は高いかもしれません。しかし、太平洋戦争全体でみると作戦の徹底面で不備があったり、時に組織の論理が優先したりと、その評価は難しい面があります。
 
しかし、「戦略面」については、その戦略眼は非常に高いものがあると著者は評価し、私も同じように感じます。国際情勢ではドイツとの同盟が対米関係を破綻させると猛反対したり(これは歴史を振り返られる私達には当然かもしれませんが、当時の人々には当然ではなかったのです)、戦争のあり方では航空戦が中心となることを予見し、航空機による軍艦攻撃が可能となるため、巨大軍艦が無力化すると主張していました。
 
こうした国家や戦争の進むべき方向の予見はまさに的中しました。
しかし、山本五十六の悲劇は、自分が予見した対米関係破綻にともなう日米戦争を指揮しなければならず、また自分が予見した航空戦中心が実現したことで「大和」をはじめとする連合艦隊の巨大軍艦が無力化したことです。
 
このような戦略眼をもった山本五十六こそ、政府により決定された開戦を遂行する連合艦隊司令官ではなく、開戦を決定する立場であった海軍大臣や、できれば首相などを務めるべきだったのではとも感じます。
歴史に「IF」は禁物ですが、太平洋戦争が開かれた1941年に、首相の東条英機よりも、すくなくとも海軍大臣の嶋田繁太郎よりも山本五十六が政治指導者だったらどうなっていたのか、少々悔やまれるところです。

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