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心が落ち着いたことがない自分に気づく

こんばんは!

ケミオです。


ここ数日、自分の気持ちなり気分なりを発見したことを、書き続けてきました。

最初からそんなことを書くつもりだったわけではなく、単に毎日続けて気づいたことがあった結果として、です。

そして今日も、気づきがありました。


私は少年時代から複数十年もの間、「心が落ち着く」経験をしたことがありません。

愕然として、言いようのない悲しみに襲われました。

逆に言えば、いつだって、心がピーンと張りつめていたことに気づいた、ということにもなります。


身体的なリラックスの感覚は、経験がありますしわかります。

しかし、それも心まで達することはありませんでした。

心はどこか、自分から離れた場所にある。

もしくは、どんな感覚も中に入れない、硬い硬い石ころのようなもの。

そんな感じでした。


そして、それに気づくと、なんて自分は過酷な状態で生きていたのだろうと思いました。

苦しいに、決まっています。

「よく頑張って生きてきた」と思うより前に、大きな悲しみに襲われたのでした。


これを自分の中で整理し、受け止めるのは、少し時間がかかりそうです。

あれこれ考えるより、感情が先にやってきてしまいますので。


もちろん、これは子どもの頃の環境が影響しています。

少年時代の私は、家にいることに安心を感じたり、そこでリラックスできたことがありませんでした。

家では自分を否定されるばかりですので、学校から帰ったらなるだけすぐ、外に出て遊んでいました。

それができる友だちがいたことは、大きな救いでした。


ただ、親を憎む気持ちは、不思議と起こりません。

アダルトチルドレンの克服に取り組む前であれば、こんなことに気づいたら、どうしようもない憎しみに襲われていたことでしょう。

それがないのは進歩だと思いますが、進歩したから今日の気づきを得たということもできますし、その辺は鶏が先か卵が先かです。

どのみち、親は憎んではいませんが、受け入れてもいません。

今の様子を見ても、昔から何も期待できない人だったんだと、思う以外にありません。


そんな気付きを得た上で考えたいのは、「これをどうやってクリアするか」になりましょう。

しかし、考えたってまだ、まとまりそうにありません。

今感じている悲しみを、自分の中で丸っと受け入れることが、その前に必要なことのように思います。

というより、それしかできない気がしていますが。


正直に言いますと、アダルトチルドレンの克服に取り組むうえであと何度、このような悲しみを経なければいけないのだろうと思います。

ちょっと間が空いては、悲しくしんどくなる時がやってきます。

これが、とてもきつい。


とはいえ、悲しみを認め自分で癒し、大人の階段を上れることを期待するしかありません。


今日もお疲れさまでした!

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