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人生の側が「生きる意味」を問い続けている

あなたはなぜ生きているのか?

その問いに対して明確に答える事が出来る人はどのくらいいるのだろうか。

いきなりそんなこと言われても、答えなど分からないというのが実際のところかもしれない。

とりあえず生きているのだから生きている。

生まれたのだから、生きている。

死なないために生きている。

人生がなぜ存在するのかということ深く考える時間は、現代人にはそこまで多くない。

食事をしたり家事をしたり、仕事をしたり子供の世話をしたり。

常に哲学的で本質的なことをゆっくりと考える暇はない。

だからこそ、偶然このことについてたまに思いついたとしても、忙しい日々の中で別の優先事項にとってかわられて流されてしまう。

その結果、自分自身で答えを探そうとする時間もなく気が付いたらタイムリミットを迎えることになる。




なぜ生きているのか。

その問いの答えについては、各自で探すもの。

絶対的な正解はないし、不正解も存在しない。

その答えを自分の中で納得した上で、その自分で探し求めた答えに対して忠実に生きていくだけ。

そもそもの人生そのものには何も意味はない、まっさらなもの。

だから、そこにどれだけ独自の色を付けられるかどうかという事に過ぎない。

その中でどれが優れているとか、どれが劣っているとかすらもない。

完全に自己満足の世界で、自分なりの評価を決めてしまえばいい。

そこの部分を他人の軸に任せたり、他人からの評価軸に乗っかってしまうことほど不幸なことは無い。

仮にその他人軸の満足を満たせたとしても、それが本当の意味での自分の満足に結びつくことはないのだから。

だからこそ、自分の中でまずは軸を定めて、その通りに進めることが出来るかどうかという事が重要。




常に人生側に聞くのではなく、人生側に問われ続けている。

その問われ続けていることに対して、いかに答えようと頑張ることが出来るか。

それを思考だけでなく行動で示すことが出来るか。

それが出来るか否かで、本当の意味での充実度は大きく変わってくるに違いない。





ありがとうございました。

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