見出し画像

分断に対して、中庸であること

○分断について

あらゆる分野で分断がすすんでいる。

価値観が何処までいっても合わない場合はいくらでもある。

同じ空間に住んでいても、全くの別世界ということもある。

初めに手に入れた情報が正しい、正義として解釈する傾向が大きいという認識をしている人はあまりいない。

同じ情報を手にしていても、過去の経験から解釈が全く異なる状態。

目指す姿や理想の状態を抽象化すると同じかもしれないが、全く別のアプローチ。

その違いの部分で対立していることが多い。

その結果として、意見の衝突や争い、そして誹謗中傷含めたさらなる分断状態が続いている。

少しでも歩み寄ること、逆側の意見を取り入れなくなる状態が続く限りは、分断は進み続ける。

寛容となる真の「和」の状態とは、まだまだ先の世界かもしれない。


○事例としてのワクチン騒動

最近は両方向の意見を満遍なく取り入れて考えてみることが面白い。

そして、とても勉強になるいい例として考えさせてくれるのがありがたい。

特にオミクロンワクチンに対する態度について、特に参考になる。


推奨派としては、主にこびナビの方々の情報。

Twitterでフォローすると、その人が本気で何を発信したいのかが見えて来る。

その視点に立つと、とても真っ当で素晴らしい事を日々発信されている。

さらに最近では各ツイートに対しても容赦ない誹謗中傷と捉えられる内容が日々増えており、忍耐力やストレスは半端ない。


慎重派は、それに対して反対を唱えている方々。

こちらも沢山の方々がフォローしていて拡散しやすい。

その視点に立つと、これまた素晴らしい事を一生懸命に伝えようと日々努力されている。

とくにこちら側の人間は日本国内のトレンドやマジョリティに対して反対側の意見となるので、凄まじい忍耐力が問われる。


それぞれの意見を眺めるのはとても興味深い。


●推奨派の考え
・第8波がやって来ていること、現実的に考えて対応が急務
・ワクチンは重症化を抑える効果があり、コロナに罹った人で軽度で済んでいるのは打った効果
・医療逼迫を事前に抑えるために、より軽症な状態を事前に作り出す必要がある
・文献を見ても、効果がある事が謳われている
・国民の8割は打っており、効果が発揮されている
・愛する人を守るために、自分自身を守るために
・超過死亡はコロナが見えないところで影響しているということ
・打った直後に亡くなったのは、アナフィラキシーショックで対応しなかったことが原因
・後遺症と呼ばれるものは、コロナの後遺症もしくは精神的なもの
・幼児や打っていない人達が無感染症状として、菌を拡散させている
・未接種の状態で感染すると、とても危険な状態に陥る
・打たないように情報を流している人は、デマであり陰謀論に侵されている人
・統計データを確認して、効果性が優位であることは明らか
・G20にて、本格的なワクチンパスポートの導入を検討、素晴らしいこと
・WHO含めて世界中で協力体制を敷いて、今だけでなく今後も含めてパンデミック対策をする仕組みを作ることは絶対に必要


●慎重派の考え
・第8波は、コロナウイルスの波を考えたら、当たり前
・現状の致死率や病状を判断しても、ワクチンに頼るような状況ではない
・ワクチンに重症化を抑える効果も無ければ、感染予防効果もない
・文献を見て、効果がないことが謳われている
・海外では危険性を考えて、見直す動きがある事を認識
・日本の感染者が世界一となっているのは、ワクチンによる免疫低下などの負の要因
・愛する人を守るために、自分のために打たないことが最も有効
・超過死亡は接種が原因によるもの
・スキルス癌が増加しているのは、ワクチン接種による免疫低下が原因
・打った直後に亡くなるのは、アナフィラキシーや心筋炎が原因
・打ち続ける事で免疫が狂う
・ADEやサイトカインストームのリスク
・接種後の即死であっても、因果関係不明はおかしい
・正しい統計データを見ると、効果がないことは明らか
・未接種と接種時期不明の混在など、厚生労働省のデータ改竄要因が怪しい
・打たない人に不利益を与える仕組み全般に疑問



それぞれの考えが認知バイアスによって、切り取られている現実が変わっている。

お互いに感情面から論理的なことから科学的なエビデンス含め、ゴチャゴチャになっている感が強い。

とはいえいざ並べてみるととても興味深く、同じ情報に対する解釈の違いや思い一つで世界が全く異なるという事。

ただいずれの主張も目指しているところは同じく、「多くの人を守りたい」という意思。

なので、いずれの考えや目指している点はとても素晴らしい。

そしてそれぞれの視点にいることで、なるほどというアイデアや考えに沢山浸ることが出来るのはとても良い事。

とはいえ、私はさらに別の考えなので、いずれの意見から出て来る内容は参考にはするものの、それ以上でもそれ以外でもない。

というのは上記の視点は、「人間である」という視点に根ざしているのみであるから。

その視野はまだまだ狭い。

さらにもう一段階別の視点を持って考えてみる必要があると思っている。

○中庸であること

この事例を通して改めて思ったことは、いずれの考えに対しても共感はしてもいいが、私自身はさらに別の立場として中庸でありたいということ。

そしてどのような立場であっても、それぞれに対して良い悪いはない。

あることに対してどのような効果性があるかどうかのみを客観的に評価するだけ。

ただ観察することにフォーカスし、その結果得られた知見に対して最適な選択をすれば良い。

何処の視点に自分を置いているか、それを認識できているか。

自分自身のみでは認識できていないことが多いので、客観的な評価が必要。

だからこそ、私はさまざまな観点から、それぞれの見える世界を知り、学び続ける。

私が作っている世界をどこまでも拡大していくために。









ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?