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品格の向こう側

品格とは何か。私にはまだ分かりません。ですが、体験をもとに現在の考えを書き留めようと思います。




1. 品格の有無

あるオンラインイベントに参加した際、登壇したクリエイターの方々が品性に欠ける話し方をしていました。登壇者同士が仲が良いのか、アイスブレイクなのか。

気になって内容が頭に入ってきません。私は耐えきれず、冒頭の10分程で退出してしまいました。心がざわついていました。

しかし私は、クリエイターに品格を求めてはいません。作り手ではなく、クリエイティブそのものを見たい。良いものは良い、ただそれだけです。ですが、この日は作り手が気になってしまいました。


2. 核心に辿り着けない

私は何を求めていたのか。少しの間、考えを巡らせていました。「品格のある人が好きだ」という私の嗜好でしょうか。確かにその通りです。

ただ、その人に適した話し方があり、それが個性だとも思っています。正解は無いですし、私が言及する事ではない。しかしながら、視覚聴覚情報は印象形成に大きく影響するため、登壇した方々の話し方・姿勢が気になってしまいました。

それが理由となり退出を余儀無くされた。肝心の本編を聞くことができなかった。「品格の有無が気になった場合は、核心に辿り着けない」という聞き手が現れてしまうことは避けたいところです。


3. 奥に隠れた情熱と哲学

美しいクリエイティブには洗練された言葉がある。洗練された言葉の背景には、静かに燃える情熱・想いがあってほしい、あるべきだ、教えてほしい、と無意識に期待してしまっている自分がいます。

たとえ、クリエイターに品格の欠如を感じても、その方が生み出したクリエイティブの価値は変わらない。その奥に隠れている哲学を、私は感じたいのだろうと。

つまり私は、品格の有無が気になってしまい、情熱に辿り着けなかった。もしかするとイベント後半には、情熱や哲学を話してくれたのかもしれません。勿体無い事をしてしまいました。


4. 入口を担う品格

逆を言えば、自分が登壇する際は品格を持っていた方が良い、という事になります。品格の欠如によって「聞いてほしい本編」に辿り着けない人を生み出してしまってはならない。

品格という得体の知れない入口。これはデザインも同義だと思います。あらゆる情報の入口・顔として佇んでいるデザイン。サイトのFV・パッケージ・装丁など、あらゆる入口を担っています。

人と情報が出会う、その入口に触れる、その瞬間にどのようなコミュニケーションを生み出したいのか。日々考えています。


まとめ

品格とは何か。立ち振る舞いや所作から受け取る第一印象。品格の有無に基準はありません。相手がどう感じたか、のみでしょう。

品格は「生きてきた軌跡」が表れたものだと考えます。これまでの人生で何を選んできたのか。触れてきたものや時間が蓄積され備わっている。佇まい・所作・言葉・表情などに気品が宿ります。

それはそのまま「信頼」に通じていくのではないでしょうか。まだ、品格の実態が分からないままですが、正解は無いとして、これからも考え続けていきたいです。




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