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I am so much happier now that I’m dead.

「一樹先輩が? 自宅のバスルームで頭部と胴体が切り離された遺体ってことは、そうか。もう来たんだね。たぶんお葬式は実家のあるこっちでするのかな。連絡ありがとう。ファレプノシスが機能してくれればこれ以上は酷くならないと思う。うん、多分ね。彼らはまだ一つではないと思うから」

研究所の一室で緊急連絡を受け取った四月(一日)紫衣が予測された数値に間違いがなかったことを確認してから溜息をついて開発が遅れに遅れている『Archelirion』第一号機適合範囲改訂バージョンの記録を確認する。

「チィース。先輩は今日も徹夜っすか。あんまり煮詰まって仕事するのは美容に悪い。後輩の面倒ばかりに夢中になっているとその内足元掬われちゃいますよー」

 A3サイズのファイルを手に持った赤い髪の女性研究員が怠そうにあくびをしながら四月(一日)紫衣の元まで近付いてきて挨拶をする。

 どうやら夜更かしをして寝不足であるのは、だらしなく着こなした白衣の下に来た開襟シャツからも見てわかるほどの巨乳の紅莉栖朱音でもう既に開発に取り掛かっている四月(一日)紫衣の真摯な横顔を気にしながらモニターに表示されたソレノイドグラフの規定値を大きく上回る挙動を見て苦笑いを浮かべてから銀色のマグカップのブラックコーヒーに口をつける。

「いきなりで悪いんだけど予定変更。ネクストエレクトロニクスから出向してくるインターン生を迎えにいってきてもらえるかな。京都駅に十三時の予定だから急いで。寝坊した分はそれでチャラにしてあげる」

「うわ。人使いあら。けど、先輩がテキパキと仕事をする時は何か嫌なことがあったサイン。流石に三年も一緒にいたら分かってきちゃうなー。先輩のことは大体。紅莉栖は早急に用事を済ませにいって参ります」

 出力されたばかりの用紙を挟んだファイルを机の上に置いて小柄な四月(一日)紫衣に比べて少しだけ背の高く肩まで伸びた赤髪の紅莉栖朱音は大袈裟な素振りで敬礼をして車のキーを受け取ると、研究室を後にする。

「おかしいね。クロウの仕業じゃないみたいだ。すごく嫉妬深くてネチネチとした女の匂いがする。そのくせに全然人間そのものには興味がない。そんなに奪うのが好きかい? それともお前はまだたった一人でいたいだけ?」


*


 新幹線の中は平日の早朝ということもあり人もまばらでグリーン車の座席を巨躯の白河稔が堂々と占有していても気にならず、ちょっとだけ離れた席から彼が手持ちのノートPCで何か作業に打ち込んでいることを軽く確認してから時速二百八十五キロで過ぎ去る景色を眺めながら頭の中によぎる不安に囚われないようにペットボトルのミネラルウォーターに口をつける。

 朝になっても戦極一樹先輩からの連絡がなく、仕方なくそのまま家を出てしまったけれど、嫌な予感が拭いきれず、品川駅で白河稔と待ち合わせをした際に気乗りのしない顔を指摘されて無理矢理笑顔を作って空元気を演出してしまった自分に嫌気がさしてしまった。

 ネクストエレクトロニクス社はまだJ大在学中に就職という一般的なレールの上を走る人生を選択することに迷いながらも次々に明確な目的を持って行動する同級生達に引け目を感じて、つい没頭していた異次元摂理開発機構と名付けたハードウェアの研究を続けることを放り出して、父親の知人のつてを頼りインターン生としてならと軽い気持ちで承諾した挙句になあなあのまま勤務することになった成長著しいIT関連事業の親会社に当たる。

 主たる業務は電子基盤の開発と研究で、ぼくの持っている知識ならば正社員としての採用を考えても構わないといってくれた研究所の人事部であった父親の知人の誘いを断り、あまり人付き合いが少なく且つ定時できっちりと退社出来る上に自分の好きな研究と開発に割くだけの時間も取ることが出来るというぼくにとって都合の良い環境を提示してくれた開発部に籍を置くことになった。

 主任の戦極一樹はぼくと同じく有名大学の理系出身であることもさることながら、知識、技術共にしっかりと社会経験を積んだ上での実績を持った有能な社員であり、ぼくがインターン生として籍を置く主たる目的であった学生時代からのハードウェアアプリケーションの開発の一部を業務として遂行可能な状態へと導くということに関しても前向きに積極的に協力してくれた尊敬すべき先輩だ。

 彼のことを考えれば、確かにもう少しばかり社内に対しての貢献度をあげていくことも検討するべきではないかなと不貞な考えが頭をよぎることもあったけれど、高校時代からの友人であった白河稔の意固地なまでの熱意に触れ合うたびに、高校時代に交わした約束を違えてしまったらぼくは人生そのものに嘘をついたまま生きていくことになってしまうという予感を頼りになんとか今の立場の曖昧で不確かな浮き草のような生活を半年間続けることが出来てきたと言える。

 とはいえ、実際、社会人生活は楽しかった。

 おちゃらけた学生時代にない真剣でやりがいのある仕事も経験させてもらえたし、短い期間ながら学生時代から続けてきた研究の成果自体もしっかりとした実績として残すことは出来たと思っている。

 この京都出張は半年間のインターンの集大成としてぼくが先輩を通じて本社及びグループ企業が共同で出資している研究所でのプレゼンテーションなどを行う為に用意されたもので、まあ、多分イキで格好が良く面倒見の良い戦極一樹先輩からの新人インターン生としてのぼくに与えられた最初の試練だと思っている。

 その為の資料は十分だしおそらくそれなりの成果を出すことも可能だろう。

 ただ何かが頭の中に引っかかっている。

 この研究は高等論理物理学の中で派閥を二分する元になってしまっているエーテルに関する問題を多分に含んでいる。

 いわゆる不可視粒子の一つであるエーテル粒子体はおよそ人口の三十%に発生する遺伝子欠陥と定義され、現在は亜流の人体学などでは未だに否定的な論理であり魔術回路を元に生成された各個体の有用性に関する社会学や精神医学はおろか哲学的難問も孕んだ以上にデリケートな未解明の科学命題の一つだ。

 そのエーテル粒子体を未解明な現象の因子として扱いながら、実際に運用可能な科学技術と融合させることで非常にアンバランスながらもある閉塞的社会環境での実用ならば非常に有効な手段となりうると近年になって盛んに研究と開発が推し進められているのが『メテオラ』及び件の研究を元に実際に製品化まで辿り着いたものが『メテオドライブ』と呼ばれている。

 今回、京都電子頭脳研究所へ出張する際に、ぼくがプレゼンテーションの為に用意した製品はこの『メテオドライブ』にあたり、実際に採用されればネクストエレクトロニクス社に大きな利益を与えるはずだと戦極一樹先輩は社内にいる時間のほとんどを研究に当てられるように工面してくれていた。

 それだけに出張の朝に彼と連絡が取り合えないことが悔しかった。

 もちろん今回は短期間の小手調べ的側面もあり、一週間ほどの滞在で済んでしまうのだから、東京に戻ってから十分に喜びを分かち合い未来の展望について話をすることだって出来るはずで、何も後二十分ほどで京都駅に着く新幹線の車内で思い悩むようなことではないのだけれど。

 新幹線の車内アナウンスが流れると、白河稔が後方を向いてぼくの顔を確認して笑顔を零す。

 たまたま同じ車両での移動になってはいるけれど、そもそも防衛省の業務の一環として京都に出向予定の白河稔とは到着後の予定はおろか目的も明確に違っている。

 とはいえ、お互いの進んでいる道がlunaheim.coという七星学園普通科二年生の降臨祭の時に語り合った夢の実現に向かって一直線に伸びてしっかりと交わるはずだと信じてぼくたちは視線を交わした後に立ち上がり、京都駅で降車する準備を始める。

「小生は一旦、京都地方協力本部に立ち寄って皇少佐との打ち合わせを済ませてくるでござる。三門も同席予定でござるし、自衛隊京都支部のお膝元でござるから表向きは防衛省の来期予算などを含めた定例通り話し合いになるでござるが、本題は東南アジア諸艦隊を中心としたAPECに代わる国際的組織網を水面下で主導していたテロリスト集団の話になるでござろう。解放軍の主たる行動目標ととても噛み合わせの悪い彼らの組織力はもはや防衛省すら看過出来ない状況でござるからな」

「了解した、白河軍曹殿。相変わらず忙しそうでさすが将来の士官候補生。ただお前の考えていることはぼくの手にすら余る大きな問題だよ。あまりのめり込みすぎて困難を背負い込まないようにしてくれ。たまには甘えることだって必要なんだ。ただ稔の思いは単なる悪質な性癖と捉えることにするよ」

「ふふ。酷い言い草でござるな。小生は狐の姿になる前から変わらない心持ちでいるでござる。受け入れてくれたという事実を大切にしたいだけでござるし、きっと余計なものを探す必要がないと考えているだけでござる。ご主人は小生にとってかけがえのない想い人であることに変わりはないでござる」

「沙耶に散々その歪な考えを否定されたのを忘れたのか(笑)。けどわかるよ、俺たちは同じ価値観を共有している仲間なんだ。とにかく夕方にまた合流しよう。師元もその時は一緒のはずだから」

「了解したでござる。恐らく今回の出張で『eS』の基本理念は構想段階から脱却できるでござるよ。お互い頑張るでござる」

 軽口を叩きながら京都駅改札を抜けてぼくらは一旦二手に分かれてお互い社会人としての職務を全うしようと休み明けの腑抜けた気持ちを切り替えて、ぼくは事前にメールで連絡が来ていた待ち合わせ場所に向かう為に中央口へと向かう。

 バスターミナルを抜けて待ち合わせ場所として指定された阪急ホテル前には、真っ赤なMINIクーペ コンパーチブルが停車していて左ハンドルの運転席側の路上に遠目からでも目立つ赤髪の女性が立っているので、車道を注意深く横断して革ジャンとタイトで黒いストレッチパンツを履いたとてもスタイリッシュな女性に勇気を出して声を掛ける。

「おはようございます。ネクストエレクトロニクス社から派遣された佐々木和人と言います。失礼ですが、京都電子頭脳研究所の関係者の方でしょうか」

視力が弱いのか赤髪の女性はぼくの顔を眉間に皺を寄せて覗き込みながら品定めをするようにしてから握手を求めてくる。

「迷いなく私の元に一直線とは恐れ入る。直感がとても優れているということは知識を十二分に持っているということだからね。君のことを歓迎するよ。紅莉栖朱音だ。よろしく。とにかく早速だけど研究所に向かうとしよう。主任はとても時間に煩いからね」

 お互いの間に条件反射的に自然と出来た心の壁のようなものを追い払ってしまうようにぼくらは握手を交わしてとても簡単に出会いを祝福すると、彼女の指示通りにぼくは動いて旅行用のスーツケースを車のトランクに詰め込むと、右側の助手席に乗り込んで屋根が仕舞い込まれたMINIクーペに乗り込んでシートベルトをする。

 アクセルが踏み込まれて車が動き出すと先ほど握手の時に微かに感じた紅莉栖朱音の匂いが鼻先を刺激してぼくは鼓動が乱れるのを誤魔化すようにして咳をしてから親交を深めようとする。

「お会い出来て嬉しいです。今回のプレゼンテーションは個人的にとても楽しみにしていたもので、御社の研究室の方々と共同で開発出来る環境を整えてくれたことに感謝します」

「あはは。随分と堅苦しい上に、もう君の研究成果が受け入れられたと思っているとは随分な自信だね。残念だけど、女性を口説くのならばもう少し手順は重要なのではないかな」

「うーん。きっとジェンダーの問題ではなくて、優先順位に関する提案なんです。ぼくがもしあなたに一目惚れをしてしまったとしても電子頭脳研究と肺胞欠陥に起因するエーテル粒子体の話を誤解して欲しくないと」

「うお。素直に私の子犬ちゃんになってくれると思ったら意外と君は女性慣れをしているね。けれど、何故か今は素直に距離を縮めたくないといったところか。まあ、それなら君の無礼を許そう。私はこれでもポリアモリーでね。気に入った男ならば何人でもコレクションに加えてしまうんだ」

「複数人に対して同時に恋愛感情を抱くという考えは自己防衛的精神の現われと判断する人だっていそうだけれど、ぼくは至って普通のモノガミーですよ。とはいえ、登記の問題を抜きにすればかなり柔軟に関係を築けるタイプです」

自己紹介がてらに交わしたお互いの異性観の違いを確かめてから塩小路通りを抜けたあたりで、紅莉栖朱音は怪訝そうな顔をしてゆっくりとブレーキを踏んで赤信号でミニクーパーを停車させる。

 よく晴れた空と秋先の風が心地よくオープンカーに乗っている気分を思う存分に味わえるけれど、奇妙な距離感のようなものが運転席と助手席を挟んだシフトノブを境にして出来たような気がしてぼくは出張用に用意したNumber NineのストレッチイージーJKとUnderCoverの白いワイシャツの襟を正して視線を悟られないように紅莉栖朱音の横顔を伺う。

「そうか。新型メテオドライブの研究なんてするのは鼻持ちならない思想もへったくれもない連中の集まりだと思っていたけれど、君は違うんだな。佐々木和人。正直に言えば、君への第一印象はとても好意的なものだ。エンジニアだからといってルックスに手を抜いている訳でもなく端々まで気遣いが行き届いている」

 心地よいエンジン音がアクセルブレーキペダルの踏み込まれたことを伝えてきて、ぼくは助手席のシートバックに背中を支えられて京都電子頭脳研究所へと向かうミニクーパーの車内で手応えを感じている。

 ちょっとした静寂を間が持たないと感じたのか紅莉栖朱音はカーオディオをラジオに切り替えて風が運んでいってしまうさりげない時間のズレみたいなものを埋めようとする。

「コーヒー&シガレッツ。ベースボーカルのマシマロとギターボーカルのアイニーのツインボーカルに、トラックメイカーのアキレスの三人組。ど直球のマシマロの目線の鋭い歌詞とシャウト混じりの吐き捨てるような声、アイロニックなアイニーの気怠そうな歌をブリストルサウンドを予感させるアキレスのトラック、けどちゃんと三人揃うとロックンロールなんですよね、全然ぶれてない。ぼくこの人たち好きです」

「おお。実はこいつらは大学の同級生だ。当時から奴らもまーたぶん私もすごくぶっ飛んでて、まあ、よく朝まで飲み明かした。馬鹿みたいに羽目を外して取り返しのつかないと思うような夜を何度も過ごした。そんでお互いに今は好きなようにやれてる。ちなみに、アイニーの少し遅めの童貞を捨てさせてやったのが私だ」

「うわ。さりげなく爆弾発言。でもなんとなく雰囲気で出まかせを言っている訳じゃないのはわかります。マシマロはあなたみたいな人が好きそうですね、二人はあなたのことをずっと歌っているような気がする」

「どうかな。みんな目の前にないものばかりが好きなのさ。だから奴らもそういう歌で人を喜ばせようとするんだ。悪魔に魂なんて売らなくたってきっといいんだってそういう歌をさ」

「ぼくはどうかな。頭の中に嫌なやつが棲みついていて、たまに大袈裟な夢を語り始めてせめて触れてみたいだろって誘ってくる。悪魔なのか友達なのかは未だに判別がついていない」

「お前はそいつを大事にするんだ。私はその方がずっといい気がしているよ。小さい友達も見えない親友もそれから他の誰かと違う大切なパートナーも捨てないままでいいんじゃないかな」

「新型メテオドライブ『バイオポリティクス』は多分、そういう欺瞞を抱えたまま生きようとする人がちょっとだけ楽になれるそういうICチップだと思います。目立たないけれど縁の下の力持ちってやつですね」

 少しだけミニクーパーのスピードが緩められると、バックミラーを気にしながら紅莉栖朱音がウィンカーを出して追越車線から車線変更をする。

 後ろからブーストの効いた四つ打ちエレクトロを全開にした車が迫ってきているからだとぼくも気づいてルームミラー越しに確認すると二十代前半の男性と女性が周りなんて何も気にしない様子で座っていて、更に距離を縮めながらスピードをあげてぼくらの乗っているミニクーパーを追い越そうとする。

 見間違いだと信じたかったのはまだ心の中に彼女が棲みついているからだろうか。

 二年前の出来事を忘れることが出来なくてぼくが勝手に作ったイメージが自分自身を騙してしまうほど嘘をついているんだろうか。

 一瞬だけすれ違った黒いGTRの助手席に座っていたのは、悪夢を植えつけるように断末魔の悲鳴をあげて、決して拭い去れない記憶を再生するように過去を呼び戻す笑顔で、二度と立ち上がれないように希望を奪い取ろうとする喘ぎ乱れる表情で、隅々までよく知っている梅里桃枝とよく似た、いや、到底本人としか思えない彼女の生き写しだった。

 ピコーンピコーンピコーン。

 ジャケットの右ポケットから警報音のようなものが鳴り、赤いメタリックな身体のアースガルズがひょっこりと這い上がってきてぼくの中に浮かび上がってきた違和感の正体を告げようとする。

「よぉ、兄弟。織姫が彦星を探してうろつき回っているってセンサーが反応しやがった。このままだと、京都は荒れるな。心なしか、お前も浮かない顔をしてる」

「へえ。機械生命とはね。世界的に見てもかなりのレアもの。私も見るのは初めてだけど、なんて名前なんだ」

「おー。姉ちゃん。俺はアースガルズって言うんだ。ユグドラシルから舞い降りた鋼鉄の天使。だが、超自我の観点から伝えるのならば、複数のアルゴリズムを人間の意識に似せて作られている。だから、正確に言えば、俺は存在が不確定な状態のまま実態を実存へと転化している状態だ」

「なるほどね。だとすれば、会話だけではなく外部の演算装置及び記憶装置と接続して情報をアップグレードさせているわけか。イーサネットだな。データベース次第では知識の問題ならば普通の人間では敵いようがない。優越感は存在しているのか」

「難しい問題さ。俺には自分が人間とは違う合成された人格を持った擬似生命であるという自覚がある。自己複製や自己相似性、新陳代謝に関しての課題をクリア出来ていない以上生命そのものでは確かにないからね。だが、意識レベルでは俺はウィルスや人間以外の種と違いお前たちと直接コミュニケーションすることが可能だ。そう言うことをざっくりまとめて話すのならば俺がお前より上回っているという認識情報が付与される状況にはなかなか巡り合えない」

 五条通りを直進してスピードを少しだけあげながら、運転席の紅莉栖朱音はまるで自分のことのように得意げな顔をして笑みを溢す。

「こいつはきちんと抽象的な思考に関しても問題なく話ができます。詩の類を詠むことだって出来ますが、絵に関して言えばかなり記号的です。データベースはぼくのスマートフォンのアプリケーションを利用して外部のサーバーと接続している状態です」

「ふん。わかりやすい嘘をつくな。インターネットに常時接続しているような環境ではそいつの人格に暴力性がより深く介在的になるはずだ。暗号の類を考慮する必要がないほど情報解析能力が発達しているのならば、アースガルズ君に手にいれられる情報はほぼ無限に近いし秘匿状態のものも即時参照できるはずが、たとえそうだとすると、国内や海外の諜報機関が黙って見過ごす可能性も考えにくい」

「けっ。俺を舐めてやがるな。より高度に発達した人格を形成すれば情報の優先度と影響濃度を選択可能な状態におきながらより効率的に意識を管理下に置くことのできるアルゴリズムを生成することは簡単だぜ。それでも悪に惹かれるのが人間の意識の本質だって言うのは少々傲慢すぎやしないか?」

「禅性をニュートラルな状態で恒常的に実行し続けるのは情報過多な都市生活では不可能に近いと言っているだけだよ、アースガルズ君。何故ならば君の感覚器官装置は通常の人間と同程度の能力を有しているんだろ?」

 何かに気付いたようにアースガルズが顔を引っ込めてもう一度ぼくのジャケットの右ポケットの中に身を隠してしまう。

 純粋理性を野放しにしたまま話をするような人ではないことをぼくとアースガルズは理解して、どうにかして彼女が直感的に探り当てた外部記憶装置と演算装置の存在には気付かれることがなかったことに安堵すると、ぼくは鼓動の高鳴りを誤解しないようにだけ注意して呼吸を整える。

「そうですね、時間という問題を考えればアースガルズの獲得した情報は生命意識として確立した段階から考えてもちょうど八年。人間で言えば、まだまだ大人の階段を登っている段階と考えるのが妥当ですか。性格形成に抽象的な問題を挟み込む余地は此処ではなさそうだ」

「君の秘密はこれ以上詮索しないでおくことにするよ。さて、私なんかよりもっとずっと手強い先輩がお待ちかねだ。一週間の滞在中により発展的な思考ともっと先進的な開発に取り組めるだけの何かを手にいれられるといいな」

 真四角なコンクリートの要塞のような京都電子頭脳研究所の建造物が見え始めると、紅莉栖朱音はゆっくりとブレーキペダルを踏み込んでいく。

 大きくハンドルを切って右折して空きの多い駐車場へミニクーパーを停車させると、キーを回してスロットルから抜いてぼくの方を見てさっき待ち合わせをした時と同じ表情で視線を交わしてから運転席を降りる。

「思ったより大きい。京都市内だけではなく、国内、それから海外からも研究者や科学者たちが集まっておそらく国内初となる完全な電子頭脳の完成を夢見ている。もちろんそれ以外にも最新鋭の機材と研究成果を元に為された開発が目白押し。エンジニアの憧れの施設ですね」

「全く言う通りだよ、佐々木和人。そして私はこの京都電子頭脳研究所第三脳組織開発室の主任補佐。つまり、人間の意識、特に変性意識を取り扱うプロフェッショナルということさ」

 ぼくが助手席を降りてリュックを背負い、トランクからスーツケースを取り出してから研究所の躯体を見上げていると、紅莉栖朱音が車のキーを振り回しながらぼくを先導して夢を叶えるための最初の一歩を踏み出すことに躊躇いなど必要がないことを背中越しに伝えてくる。

「なあ、和人。さっきはあのスーパーガールに突っ込まれて話しそびれたけれど、たぶん奴はもう京都市内に到着しているのは確定だ。俺たちの後を追いかけてきているのは明らかだとしても、行動が早すぎる。このままじゃベガがアルタイルを捕食する可能性だって否定できない」

「わかっている。社会人としてお手本通りに振る舞って道を切り開く前に、精算しなくちゃいけない過去があってぼくには乗り越えるべき障害が待っている。けど、そいつはおそらく俺の人間的勘ってやつだけど、二つの選択肢を一つに変える方法があるんじゃないかって思うんだ。だからさ、まずは虎穴に入らざるは虎子を得ずだ」

 アースガルズが杞憂を表情に出してとても心配そうな顔をしてぼくのことを右ポケットの中から見上げているけれど、ぼくにはまだ自分の運命のようなものの具体的な形が見えていなくてただ誰もがそうするように足掻きながら進むことでしか掴み取れない答えだったのだとなんとかして悪い予感が後ろから追いかけてくることから目を背けていたせいなのかもしれない。

────和人。念の為、インターネットは接続を解除しておけ。アースガルズにも此処から先は情報を無闇矢鱈にかき集めるのを辞めるように伝えるんだ。この建物はどうもきな臭い。お前たちでは簡単に防ぎようがない類の『メテオラ』を使ってくる連中も念頭に入れておけ────

────なんだ、妙に用心深いじゃないか。さっきあの人との会話でそれとなく探りを入れては見たけど、やはり『爆発する知性プロジェクト』との関連は簡単に見つけ出せないか。危なくこちらの方が余計な情報を相手に与えてしまうところだった。言われなくてもスマートフォンも含めて『phoenix』もとっくに外部情報は遮断してあるよ────

────ならばよい。頭が壊れてしまわないように平静を装っているお前のことが心配なだけだ。いいか、分裂した世界の向こう側を今は知り過ぎる必要はない。『eS』を必ず知りすぎたものへの罰ではなくしてやる。それが俺がお前の意識に転生している所以だからな────

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