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08.Ghost Rider

「せっーのっ!」

瀧川と米澤はそうやって完璧な形を求めるような肢体になって青空にむかって手を伸ばしてお互いの肌と肌を重ね合いながらぼくの目の前から姿を消してしまった。だから次の日の学校の昼休みに普通科で起きたことをぼくは正確に知る術を持っていない。とても陰惨で気分の悪くなるような事件が起きて騒然となり、結局のところぼくら魔術科も午前中で授業をきりあげる羽目になってしまった。

「普通科棟で自殺騒ぎ。感染者としては珍しいのかな。多分廓井さんあたりが現実認識を書き換えたってとこ」

弥美が担任の山神が伝える下校の知らせを頬杖をついて聞きながら綻びの産まれた学園での異変をぼくに伝えてくる。瀧川と米澤は暗がりで精気を吸い尽くされるようにぼくの意識に干渉してファルスが暴走していく現実から逃げ出すと、正常な感覚の全てをブラックエンドの児戯に委ねてしまったようだ。きっと覚醒した意識で自己嫌悪から逃れられず眠ることすら奪われたまま朝を迎えて痺れるような快楽に溺れてしまったことを忘れられないともう一度登校していつのまにか混入した認識と知覚の置換によって空と地面を履き違えてしまったのだろう。

「弥美の意地悪に耐えきれなくなった罰で一晩中苦しんだぼくよりはましだよ。きっと彼女たちは自由を手に入れたんだ」

弥美は少しだけ笑顔がへり、彼女を覆い尽くしているどうにもならない暗闇から逃れる手段がほんの少しだけ差し込んだ気がして吐気がして耐えられないほどの劣情に呑まれていることを出来る限りぼくに悟られないように鞄を持って一人でさっさと下校してしまった。彼女は左腕の刻印を右手で優しく撫でながらもう誰かを責めることなんてしなくていいのかもしれないって伝えるようにして教室から出ていってしまった。崩れていたバランスが正しい位置に戻されることで失われてしまった情景がもうぼくの前には訪れないんだと知ってぼくは耳を塞いで突然の陰惨な事件の知らせで沸き返るクラスメイト達を置き去りにする。

普通科棟へは、職員の許可を得て交流証を手に入れる必要があるけれど、自殺現場となっている中庭の様子は西側の中央図書館前を通って普通科棟と職員棟を渡り廊下を抜ければ見ることが出来る。普通科は南側の第一正門、魔術科は北側の第二正門を通常は使用している為、七星学園は主に主要な都立高などが採用している課外授業や選択授業などでの魔術教育とは完全に一線を画して、個々人にあった高度な専門教育という名目の元、使用する通用門が違うように全く別の教育方針及びカリキュラムを強いている。もちろん普通科における進学率の高さと同様により専門性の高い教育を受けた魔術科は全国統一選抜試験においてチルドレンへ送られる最優秀者を最も多く輩出している全国的でも稀有な私立高であり、だからこそCRASSという明確な進学を選択することがなくなった生徒への配慮をさることながら、たぶんそれでも馴染むことの出来なかった生徒が集う暗がりという場所が大切にされてきたのかもしれない。

「学園初の自殺者だってさ。どうなるんだろうね」

「わかんねーよ。けどさ、あいつら全然不満なんてなさそうだったんだぜ。なんなんだよ、まったくよ」

通りすがりの普通科の生徒が愚痴を言いながら渡り廊下を抜けて第一正門方面へと歩いていく。普通科棟を迂回して中庭側へ回り込もうとすると既に警官や救急隊員が集まり始めてきてKEEP OUTと貼られたテープの向こう側を見ようとする生徒たちを静止している。相互理解によって腐った情念を消化するだけが目的となった裁定者や虚構と実相の区別をなくしたまま権力の発動だけに取り憑かれる王の側近や寄生した称賛にだけ許諾を与える自己嫌悪の末路が集積した回路の極限値が暴発した異時と異変の収束点に近づこうとする柔軟性に混じり込んで異臭を放ち続けている。束縛が地下深くに混ざり込んでいるのに気付いたものたちが悪魔的な儀式から養分を吸い取ろうと気を伺っている。

「私もついこんな場所に来て壊れ方を観に来てしまっている。魔女の呪いは確かに耳元で囁いて安寧に引き摺りこもうとしていたし引き返す手段は確かにあったのにさ」

天宮がぼくの隣に立って鞄を後ろ手に持って立って教師たちの注意を受けて散らばり始める生徒たちの波に抗っている。

「何も見えなかった訳じゃないのは確かだけど、放り込まれたのは暴走し続ける転移の象徴なんだ。気付けたとしても君にはどうにも出来ない」

「脚は踏み出していたのに、掴み取るものが何もなかったなんて割り切れるような話でもないよ、私にはさ」

「とても深く刻まれた対価を手にしたいと考えているだけってことかな」

「あはは。辛辣だね。呪術的環境に遭遇したことが運の尽きなんてさ」

「記憶にこびりついた暗闇だって受け入れることは出来るのかも」

「けれど場所に集まった何人がそう思ってるんだろうね。女の子のすすり泣く声がずっと聞こえてくる」 

「学園内で初めて起きたことだけどまるでいつも起きている現実みたいにして君もぼくも明日には受け入れている」

そうなんだろうねと天宮は生徒たちの波に呑まれるようにして振り返る。少しだけひと気が少なくなった中庭の反対側の渡り廊下に黒い眼帯の女子生徒が立っている。芹沢美沙はこの場所で起きた出来事を記録してこれから始まる物語の主人公になろうとしているのかもしれない。じゃあぼくはどうするんだろうとひとしきり考えているうちに警官に注意を促されその場を離れる。これから起きていくことの一部始終を見ておきたくて集まった場所にはもう特別な人は残っていなくて真っ直ぐ帰るべきか暗がりによるべきかどうかを考えてまるで誰も彼もを遠ざけてしまうような学園内に残った雰囲気をもう少し味わっておこうと第一グラウンドから体育倉庫へと歩いていく。休校になったせいで誰もいない校庭を一人で歩いていると孤独を感じる余裕すらなくなっていることにちょっとだけ感傷的な気分で浸り用務員棟を覗いてみるけれど、珍しく焼却炉の火は消えていていつもたった一人で業務に勤しんでぼくに何かしらの金言を与えてくれるはずの用務員さんもいないのでそのままこっそりと体育倉庫の二階へあがっていく。はしゃぎ回っている子供の声がたくさん聞こえてくることは気のせいではないはずだし眼に見えないものを信じない訳でもないけれど血液の入った小瓶をこじ開けようと弄んでいるオオツチグモがどうしてか箱から抜け出していて、弥美から受け取った魔女の毛筆が傍に転がっている。どうやらこの場所には悪いものが棲みついてしまったらしい。いつのまにか小さな女の子が暗がりの奥にある小さな窓枠に腰掛けるように座っていて脚をぶらつかせながらぼくを見下ろしている。もう涙は流していないようだけれど、きっとまだ全然物足りないんだってとでも言いたげな表情で口を尖らせてぼくを見つめている。もう既に瀧川と米澤はやって来ていて行き場所がなくなって困っているんだったことを懇願するようにして小さな女の子に何かを訴えかけている。

「もう少しでお迎えがやってきてくれるから砕けてしまった骨の痛みとつぶれてしまったお腹の涙を感じていきなよ。気持ちがいいってどんなことかわかると思う」

空気が澱んで揺れながらぼくの鼓膜に脅していて白い肌の米澤と黒い肌の瀧川が女の子にお願いごとをするのを辞めて藁半紙に不規則な数列を書きこもうとしゃがみ込みもしかしたら自分が此処にはいないんだってことを彼女たちは忘れるようにして一心不乱にペンを動かしている。ぼくはたった一人で暗がりに残り幽霊たちと思索に耽る。

「紙霧に卵を産ませておいた。せめて死ぬ瞬間の快楽の絶頂が呼び戻されるように、呪いが解けぬ死を解放出来る術を知れるように」

「廓井さんにはお世話になってばかりですね。私の研究がこんなとこで役に立つとは。悠宇魔は絶対者ではない。彼の力はそれを忘れさせてしまう」

「右腕も左腕も悠宇魔殿に力を貸すには訳がある。ほうっておけば児戯と戯れる。百舌、お前も何か見つけたな」

「ええ。新しい卵、可能性を見つけました。とても難解な命題となるでしょう」

CRASSにいた頃はぼくは自分が誰かの為に生きるなんてことを選ぶのがとても馬鹿らしくまるでちょっとぐらいの汚れ物ならば残さず生かして殺さずにいたぶる術を見つける方が楽しいのかもしれないって心のどこかで思ってる気がして目の前で死者が望んだはずの欲求を手に入れてペンを奔らせることが絶望にしか繋がらないなんて知る由もなかった。ぼくはこの暗がりという場所がとても心地よく沈んでいくような雰囲気に身を委ねて本を読むことにする。鏡に映ったぼくは生真面目で何をするにも真っ直ぐで嫉妬なんてものが産まれる余裕もなくてワープする宇宙や夢とエロスに関する複雑な分析を網膜から侵入させて視神経を通り抜けた後に視覚野を外在させて記臆野に保存したら各器官に振り分けてしまう。血液によって伝えられた君のことが忘れられないからって泣き言を言うわけではないけれど、目の前には涙でぼやけた文字が涙腺から零れ落ちるぼくの後悔で耐えきれなくなって黒いインキを滲ませていく。小さな女の子も瀧川も米澤もたぶんもう笑ったりすること出来ないみたいでほんの少しの時間だけ一緒に過ごしたっていう些細な事実をぼくに徹底的に焼きつける。プリントを代わりに燃やしてしまう用務員さんはいないので白い煙は空には舞い上がっていない。

「お前たちのことがわかったよ。私たちはもう帰る。ありがとうな」

「やり残したことがあるから彼女にお願いごとをしたんだ。伝えておかなきゃいけないことがあるからさ」

瀧川理恵は七星学園2年B組出席番号17番で金髪の肩まで伸びたパーマがかっていてよく日焼けした肌をしていた。米澤恵理奈は同じく2年B組の出席番号37番で真ん中で分けた黒い髪が艶々してとても綺麗でやっぱり肩まで伸びていて白い肌はとても綺麗で二人は仲が良さそうに手を繋ぎながらたぶんもしかしたらこの先も続けてみたかった記号と配列のパラドックスに関する短いラブソングを誰かに送ろうとしていた。もう彼女たちの呼び掛けには答えてはいけないのでぼくは押し黙ったまま暗がりで佇んでいる。

「柿元先生がファイリングしていたのは卒業アルバムにも載らない情欲の形です。存在ごと抹消しろとナンバーズ全員が一致したはずでしたので私が処理しました」

「俺たちは自由なんだぜ。ゴミでもカスでも自分で決めてやりたい放題。頭を叩き割って何が悪いんだよ」

「聞く耳を持たない。狩り場を荒らされては困るんです。あなたの計算は単純な整数の四則演算です。そして有理数が無理数を犯して汚す」

「肉塊が増えたって誰も困らないじゃん。どうせ頭の中だけで忘れちゃう話だろ」

「おぼれるか。それもいい。血と肉の色は格別なんだ」

三者三様の答えが交わらずにその場所から動けず固定化されたまま螺線図に映されている真理が神様を気取って踊り狂っている。幽霊たちがいつのまにかぼくの前から消えている。瀧川と米澤が書き込んだ藁半紙の規則性に縛られた数列を並べた術式だけが彼らのいた痕跡を指し示している。目の前ではオオツチグモが魔女の小瓶に飽きてのそのそと何か獲物を探している。放っておけば天井あたり棲家を作ってイエグモや女郎蜘蛛あたりを捕食して暗がりに群がる昆虫たちを餌にしていつまでも生き長らえようとするのかもしれない。ぼくは藁半紙を一枚取り出して今、最も必要な術式をボールペンを使って書き込もうとする。"七色の世界でぼくは詩を詠う"を実行する手順はとてもシンプルだけど、確かに生贄の残した血液が必要になってしまう。ぼく一人分の計算であればぴったり二人分の生命を触媒にして身体と心を分離させて束の間の自由を手にすることが出来る。瀧川と米澤が残した藁半紙を傍に寄せて彼女たちの体内に最後まで残っていた数列の必要な部分を抽出して簡単に7という数字を基にした詩篇を創り出していく。

銀色の風が記憶を掻き消していく

赤い電気信号と解離性人格障害

意志薄弱な未来における環境汚染

白夜の帳が青く儚く消えていく

雨と破滅に織り込まれた虚な祈り

夢の終わりとハードコアガール

孤独な迷い猫と盲目の曲芸師

暗いところで待ち合わせをしようと誘われてぼくはいつものように暗がりに訪れてつい自信を失って見えない場所を飛び回ることが自由だと思っていた為に震える指先だけを重ねることに夢中になってしまい宇宙と、大地の違いなんて知る必要もなくて縛られている身体からゆっくりと心を切り離していって自分がどこまで飛べるのかだけを考えてありったけの情熱のようなものを引き剥がしてしまえるように冷静な思考だけを増殖させながら甘い誘惑や冷たい偏西風に追い抜かれないように浮遊して出来る限り重力なんて無視できるように力の全てから解放される瞬間のことを信じているとぼくの感覚は上空一万メートルを飛び回る形を取り戻して何もかも手に入れられているってことをきちんと実感して忘れないことがきっと大事なんだって青空に夢を置き忘れてきたような気がするので掴み取ってみるとそれは白い雲のように淡く儚く消えてしまうので聞いたことがない声に耳を傾けて久しぶりだと返事を返してやりながら存在が耐えられないぐらい軽くなってしまうことが境界線なんて存在しないっていう目印になっているんだよって付随する余分な規則や柵ならば振り解いて飛び続けることにしようって有限な時間の中を泳ぎ続けられる実体をついにぼくは獲得してしまう。不自然であることは簡単に許容出来てしまい、甘い残響が鼓膜に侵入して恋が訪れる時の優しい嘘が襲い掛かってくるけれど原因不明の憂鬱がなぜか空を飛んでいる間はとても心地よい風に思えてしまいもっと遠くへ飛んでいこうと宇宙空間で深呼吸することを出来ますようにと、すぐ傍を横切る彗星の高熱に煽られながらも光の速度を超えてガス状惑星の周りを飛び交う隕石群を駆け抜けていると宇宙ポッドに乗って旅をするサメ型のリュックを背負う少女に発見してしまう。冒険旅行はこれから先もずっと続くことをお互いが理解しているのかたった一人であることになんて怯えている様子はなく漆黒の空間に降り注いでくる星の明りは無限を明らかに示してくれているのでどこに向かったとしても君はまた彼女と出会い、銀河の果てまで歩いて行こうって約束が潰えることはないだろうと耳元で天使たちが騒ぎながら歌っている。アンドロメダで鎖に縛り付けられる少女が救われるのを知っていることに辟易しながら、ベガとアルタイルが邂逅する一年にたった一度の奇跡は軽々通り越してしまうとどうやらぼくには孤独を癒している時間はなさそうでもっと遠くへ宇宙の果てまで跳び続ける必要性があることに気付いてしまい、宇宙図鑑で見たことのある冥王星を通過して太陽系と呼ばれるぼくらの故郷付近まで辿り着くことに成功する。速度を緩めてあたりを見回して土星の円形の防御システムや木製のマダラ模様を十二分に堪能しながら燃え盛る火星付近を通り過ぎてそれはかつて地球と呼ばれていた水と緑の惑星で飛び続けることが出来るのならば狂気になんて呑まれることがなくどうやら大気を吸い込んでこの地面に辿り着くことが出来そうだときっと存在するのであろうぼくの分身を見つけ出して大気圏を突き抜けて成層圏まで辿り着き深呼吸をしても息苦しさの一つも感じないガイアとよく似た形の空気の中を跳び回りまるっきりぼくによく似た形のたくさんの人形が宇宙から飛来したぼくを発見して一斉に振り向くけれど音速を超えている身体は発火もせずに地上付近まで近づいていきビルの間を駆け抜けてアスファルトすれすれを低空飛行していきながら路上を歩くたくさんの人の群れを通り抜けてどうやら抜け出すことのできない日常の中を生きている反復の中へと舞い戻りたった二つの生命を利用して自由自在に自分の存在を完全に溶かして旅をした束の間の自由からとうとう解放される。まるで鏡の中へと入り込んで自分という存在を確定させる為の儀式を終えたぼくは狂気から剥離させる為の信号を正確に現実から転写して七つの詩篇を統合させてしまうと黒いガラスを叩き割って侵入した暗がりのぼくにそっと話し掛ける。気が付くとぼくは惑星船団ガイアフォールド級大和の七星学園にいて身体から抽出された思念が宇宙空間を飛び回り舞い戻ってきている。

「暗闇が光を求めて舞い戻るように真っ白な絶望が病を壊しにやってくるんだ。教唆された預言には今度はぼくの名前が記されているはずなんだ」

正気であることを瘴気を吸って自覚する。異常であることを狂気を壊して自制する。暗くて深いので正座をして出迎える訳にもいかず、ぼくはソファに座ったままおそらく七星学園を作ったとされる一人である足首まで掛かる桜の刺繍が縫い込まれた白い襦袢を着た狐面の男が現れてぼくの目の前にしゃがみ込む。黙って何も言わず仮面を取ると焼け爛れて鼻の削がれた顔を狐面の男はぼくに見せると記憶が再生されてぼくの役目のようなものを伝えるために現れた螺線図の使者がゆっくりと口を開き始める。

「月へ帰る気がないのなら、お前は自由に振る舞うといい。獅子が嘆くのはその為だ。私たちは水色で十分だから気にすることはない」

七星はこの学園を作ることでチルドレンに捧げるべき貢物を生産し続けることで彼らの知恵と知識を永久に地上へ降り注がせるシステムを作りあげた。ぼくは子供の頃からはっきりと自覚しているように物事の正常な構造を視覚或いは聴覚として捉えることが出来る為に余分なものが入り込んでしまった場合の純粋な状態からの断絶をあまり好むことが出来ずにとても苦労をしたように思う。歩き続けることに迷いはないけれど、もし嵐が起きてしまった時のことを考えると少しだけ憂鬱になり解決方法を模索するためにペンを走らせるという手段をもって正確な順序を直線上に配置する程度のことしか出来なくなり無力さを嘆くことすら出来ずに表象を具現化していく事実だけがぼくを救う手段となり得てしまう。暗がりに巣喰う亡者に耳を傾けているほうがずっと楽であるのだけれど、ぼくはゆっくりと目を開けて体育倉庫の二階にある暗がりと呼ばれる場所にたった一人であることをもう一度自覚する。

「私にとっては単なる反復だけが正解でしかない。彼がこの場所にいては困るのだからな」

「49番と呼ばれる人格を貴方たちは否定したかっただけなんでしょう?」

「いずれ訪れることは分かっていたはずとはいえ、串刺しにされてまで生き長らえるとは夢にも思わない」

「彼がそうであることは最初から知っていた。だからこそ貴方たちは恐れている」

「aemaethが奴をコピーしたものだと思っているのだな。バグを生成されても死野川が管理する場所までは壊されん。だが彼女たちは壊される」

「確かにそのことにぼくは喜びすら感じてしまう。だからしばらくは地上で狂宴を眺めていたいのです」

分かっておるのならいいと嘆いて男は狐面を被り立ち上がると後ろを振り向いて暗がりにいるぼくはあまり長居をしてはいけないことに気付いて『エロス』の続きは弥美の言う通り魔女の旧い血を使ってぼくが書き足していく必要がありそうだけれど、もうこの場所には誰もいないのだしとようやく学園から死者の痕跡を追い出すことが出来たとぼくは下校する。

「発狂する死体と成り果てる前に退却するか。どちらにせよ感染は始まっている。私でも40年ぶりだ」

用務員さんは焼却炉にプリントを放り込みながらぼくにいつものように奇妙な予言のようなものを残す。さっきまでどこかで用事を済ませていたのだろうか。こんな時だから彼もたくさんの雑務に追われていたのかもしれない。正門から出るのはなんだか忍びない気がして用務員棟の奥手にある裏門から学園内をでていくと、クラスメイトの宝生院が男子生徒と真剣に何かを話している。彼女はこちらに気付くけれどまるで知らない人間でも見るかのような視線を向けると再び男子生徒と話を始める。

「どうして私が殺めることに囚われ始めているなんてわかるの?」

「そうじゃない。けれどぼくに触れた日の夜は必ず君の感覚は喜びに打ち震えている。傍にいないのに痛いほど伝わってくる。文字通りに」

「あなたに知って欲しいからよ。寂しさが心を覆い尽くしていることに」

「痛みはぼくの感覚器官を通して相殺される。君のエーテルみたいにうまくは出来ないけれど回路が心を封じ込めていないことは知っている」

「それはあなたの身体に刻印を刻んだお父さまに言うべきよ」

「君はその為に罪を犯すという。ぼくにはどれだけ知ろうとしても理解出来ない」

「罪ではないわ。私は必要な悪を大義に基づき行なっている」

「それでも君は女の子なんだ。その手を血で汚す必要があるとは思えない」

「私には宝生院の血筋と相殺の力が宿っている。黒包丁が血に飢えているなら役目を果たさなければいけない」

「君がするべきではないこともあるよ。というより宝生院真那と時田学にはもっと狭い世界が必要なんだ」

ぼくは目の前で行われている非日常的な会話をまるで演劇でも観察するように眺めてしまう。宝生院はぼくに見せつけるように時田学という彼女の幼なじみの男子学生と蜜月を示しながら教室で見せる顔とはまったく違う女性的な仕草で普通科と思われる男子生徒と殺人考察を始めていて、もしかしたら彼女たちはぼくの知らない場所で暗がりよりもっと深い闇に沈んでいきながら悲劇と喜劇の違いを明確に判別出来ない奪い合いを堪能してきたのかもしれない。深呼吸をして街の中に散らばっていた矛盾螺旋を拾い集めるようにして既に過ぎ去ってしまった生命の奪い合いを宝生院真那と時田学の姿に重ね合わせる。柔く細い首筋を力強く男性的な両腕で簡単にへし折ってしまう優しい母だけを求める光を忘れてしまった男や工業製品の中に工業製品として人間を埋め込もうとする機械だけを愛する女が真夜中になると、自らは血液によって汚されることなく至高の快楽だけを追い求める感染者たちの狂宴に呑み込まれているのかもしれない。 個性なんてものはもしかしたら必要ないことかもしれないけれど、それでもそんな小さなものを追い求めてしまう獣たちが集う夜をぼくは魔術回路を模倣した電子の交通網の中に噂が走り回っているのを聞いたことがある。殺害時刻が記載された秘匿通信に紫色のカバが入り込んできてI.D.にまつわる数字を提示するように求めてくるのだ。次の日から黄色い長靴を履いた紫色のカバに殺意の使用を認められ体液の味を知ることを赦される。

「いいか。大切なのはそれを持っているということを忘れないことだ」

紫色のカバはカッターナイフや出刃包丁や拳銃の所持を邂逅したものに提案して日常からもはや抜け出してしまうことを求めてくる。宝生院は出会えたのかもしれない。けれど、瀧川と米澤は心残りを抱えたまま黄色い長靴を履いた紫色のカバとは出会えなかったのだろう。突き抜けるような青空に向かってまるで停止した時間に止まることを最初から求めていたように彼女たちは手を繋いで屋上から飛び降りて完璧を求めるような死体へと変貌してしまった。魔女の血をどこからかこの学園に持ち込んで災いを持ち込んでしまった為に罪過に苛まれるものを増殖させてたぶんそのうち七星学園だけではなくたくさんの街を巻き込んで闇に紛れながら欲望を振りかざすものを集め続けてながら肥大化させていくだろう。

「ぼくはこの狂宴が始まったことを自覚して呑み込まれないようにするだけなんだ。正確な回路図だけがぼくの中に埋め込まれている」

きっとブラックエンドはこの因果を弥美の左腕へと閉じ込めてしまったんだろう。だからぼくはまるで学園中を呑み込むような悪意になんて振り回されないように黒い祈りによって埋めこまれた真理の扉を切り開かなければいけない。どうやらとても純粋な光によって箱舟に乗れずに取り残された暗がりは統制されてしまう危険性があるようだ。逃げ出したくなるってことよりも縦横無尽に張り巡らされた結界から抜け出す術だけを考えるべきなんだろう。そうやってぼくは弥美に手渡された眼球にまつわる奇異な物語の数々を拾い集めて満たされることのない渇きによって犯された白紙のページに黒いインキを染み込ませていくしかないと決意する。

「けどさ、君はいつも約束を破るじゃないか。私に痛みを与えてもいいって約束はまだ続いているんだ。忘れないでいてほしい」

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