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姫初めの誘いばかりか嘘つきめ

私はどうしても真面目に生きなくてはいけない。裏切りや信念といった価値観を蔑ろにすることが破壊という耽美な現実に最も近似値を示し、確かに美しさだけに堕ちていくことが出来るのなら捨てる必要のない価値観ではあるけれど、かといって当然ながら肉体を忘れて電子の海に溺れている状態を私は幸せと呼ぶことが出来るわけがないからだ。死という恐怖に打ちかってみることは確かに特定の狭窄的な価値観においてストイシズムの極点と誤認しかねないけれど、現実には飽食によって肥えた豚として生きることを受け入れているだけに過ぎず、空想や意識の段階で愛を囁きあっている事実を私はどこかで疎ましく感じている瞬間があるからなのかもしれない。

まぁ、けれど、仮にその常態を富裕層だと名づけるのであれば、金銭的呪縛から解き離れた世界には意識下で行われる変形した性交渉を怠惰だと捉えるのではなく奇異だと判断して常識を媒介にして生きることを選ぶ人々の餌となり続けるという体たらくである。

何せ、美しさというものは常に相対的価値観でしかなく、私が私のことをとても大事にしたいと考えてるのであれば、夢に溺れる手段をなんとかハイエナのように探し回りながら逃げ続けることもまた生きた軌跡としてレコードには刻まされているはずだからだ、当然ながら誰にも咎めることは出来ないし、その労力すら疎ましいと感じてしまうはずだ。

とにかく生きることを選んでいくだけで苦しみがのしかかってくることを人間はどうしても克服できていないのかもしれない。

当然ながら機械ならばと考えておきたいけれど、未だ金属という実態に縛られている限りは経年劣化という鏡面反射を私たちは多数派として日々享受していかなければならないのだ。

だが、情報はどうだろうか。

メールの文章には確かに重みがある。

10MBの文字数には意味が果たして隠れているのかどうかは疑わしい。

兎にも角にも生活が破綻してしまい、どうにもこうにも家を失うという事態に発展している。

原因は座敷童と遊ぶことを拒否して日本に古くから伝わる伝承の通りに、末代にまでわたって一家が離散して家が呪われ続けるというもので、実際に呪いの一端というよりも渦中に呑み込まれてみると確かに座敷童が笑ってくれるまで一緒に遊んであげればいいという単純明快な理屈を乗り越えられなかったのは葛藤や後悔がにじり寄ってくる原因にはなっている。

かといってそれを実態として人間にぶつけるわけにもいかず、妖怪とは高次元に存在する阻害因子のことを指し示すのだということを脳科学や論理物理の段階から説明しなければいけないというのはいささかの滑稽さが垣間見える。

まあ、どうにもこうにも人に優しくなる手段だけを見つけておけるのであれば意地悪である自分のことを肯定したりはしないはずだ。

空を飛ぶ夢を探していけるのであれば、私はきっと新しい現実を手に入れることで強さを肯定して弱さを唾棄する普遍性を正解だと言い放てるはずなのだ。

なんにせよ、この場所で私について説明をしても埒が明かない。

一つだけ約束できることは文字表現にはキリがなくどうにかして現実を手に入れる論理的思考を身につけていく手筈を今日も整えるだけなのである。

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