インターネット普及がもたらしたもの

インターネットが普及して、ただただ便利になった。
SNSが流行って今までできなかったここの発信ができるようになった。
これは少し前までの考え方だ。

世の中の情報を誰もが得られるし、知る権利が平等にある。そして誰とでも繋がれるようにもなった。では本当の意味でインターネット普及がもたらしたものはなんだろうか。
今回はこのインターネットの普及について考えてみた。

インターネット普及がもたらしたもの
それは「選択」と「格差」ではないだろうか

選択とは
これだけの情報が無料公開しているし、皆があらゆることを発信している。自分に必要な情報を探す選択もあるし、どの情報に価値があるのかを見極めるの選択もある。そして知る選択をした上で行動する選択も自由ということ。

格差とは
世界がつながった今、やる人がやって、やらない人がやらない。自分の可能性を自分で伸ばせる世の中だということに気がついて行動できた人だけが生き残れる。だからこそ格差が広がっていく。日本に住んでいる限り、どこの家庭で生まれようがみな平等に可能性がある。

このような考えからインターネットがもたらしたものは「選択」と「格差」だと考える。情報が溢れかえっているからこそ正解の情報や正論に価値が薄くなっていることも事実だ。その情報を前提にどう考えるかとか、どう行動するかが大切になってくる。
このことに少しでも気づけなければ取り返しのつかないところまで落ちることはないだろう。ただ世の中に溢れかえっている情報を鵜呑みにしているだけだと、日本に住んでいる限りどん底に落ちていくことは目に見えている。

日本がこんな状況になっていることに気づいている人はどれくらいいるだろうか。今までの時代の中で最低で最高と言えるほどではないだろうか。
これはどういう意味かというと、日本人が完全に二極化している。中流階級がほとんどいなくなることは時代を見て頂ければ感じると思う。
だからこそ危機感をもって世の中の情報の本質に目を向け自分が今何をするべきなのかを考え行動したほうがいい。

そしてもう一つ伝えたいことがある。それはハイテクのウソ。
知る自由も選択する自由もあるとお伝えしたが、やはりインターネットでググるという行動自体が自分の好きなことしか出てこなくなる要因。素晴らしいとしか言いようがない。検索先に最短ルートで案内してくれる。
世の中、すごくハイテクになってきているので全てと言ってもいいくらい便利になった。しかしここで感じなければならないことがある。

「とても便利でとても不便」

SNSやインターネットを開けば自分の好きなことしか目に入ってこない。
とても素敵なことだ。
ただ自分の想像の中でしか生きていけない。選択の自由と言いながら、実はその選択する分母が狭められていることに気づいているだろうか。少し前であれば、家に帰ってテレビをつける。とても当たり前の行動。この行動があったからこそコマーシャルから自分の意識の外の情報が得られた。しかし今は自分が検索したものとしか接する機会がなくなりつつある。

このことは自分の輪の中でしか生きたくない人を幸せにし、外の世界を冒険したい人には不幸にしている可能性がある。

ビジネス的な言葉に置き換えると
今、広告を出すのであれば看板やポスターなどの無意識に目に飛び込んでくるものがいいのかもしれない。YouTubeやアプリの広告をまじまじと見る人がどれほどいるだろうか。前提として邪魔なものという認識で入っていないだろうか。そう考えると作り出されてみる物よりも無意識に目に入る環境をつくったほうがファーストタッチに雲泥の差が生まれる。

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今ある情報の本質は何かを都度考えてみよう。

そして自分の選択以外の情報が飛び込んでくる図書館とか本屋が好きな まつでした。またね。

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