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寝たきり状態で入院した母のこと


(長文です、我慢できる人だけどうぞ)

※ 前書きーこれは7月下旬にぼくが東京にアンリ・マティス展を中心に一泊2日で東京の美術館や博物館を見学しているあいだ、母に三泊四日で老人保健施設短期入所、すなわちショートスティを利用した際、母はそこでコロナを貰ってしまった。そのまま自宅で寝たきりになり、今月の10日に高齢者を中心にした総合病院になんとか入院。その母親の病状をめぐる対話の本日の現況報告、およびぼくの所感です。

8月23日

 今日は母が入院している総合病院に呼ばれて行ってきた。先週、母の髪を理髪したいと病院の看護師さんから連絡があったのでそれは是非、とお願いしつつ、母の様子を聞いた所、食事を口で取ってくれないと。全体の1割ぐらいだと。うーん、それはまずいなと思った。
 予定では8月10日の入院後大体3週間後にリハビリの様子を伝えたいとの事だったから、それよりも1週間近く早いので、嫌な予感はしていた。退院して欲しいという話にはならないだろうが、状況は良くないのだろうなと。

 で、昨日は夕方のバイト後、ジュンク堂でずっと老衰や終末期の本を立ち読みしていた。気がついたら8時近くまで、3時間くらい立ったり座ったりして夢中で読んでいた。結局超高齢者の終末期の老衰死の1番は食事を取れなくなることが一番のようだ。そして次にほぼ一日中寝ていること。そのうち静かにお迎えがやってくる。それは入院前の母親がまさにそんな状態だった。



 そして病院に着いたら先生に会うまえに母親に面会。なんか厚手のビニールに囲まれたスペースが作られていて、その中に入り、ベットに入った母親がやってきた。驚いたことに思ったより明るく、元気だった。混迷状態の母を想像してたから、声の張りも若々しく戻り、むしろ覚醒状態で会話も認知症とは思えないくらい話も通っていて、それが心から嬉しかった。母も嬉しそうで、「なぜかこんな風になったけど、元気になって帰るから。もうすぐ元気になるから」と。ぼくも「うん、元気になるよ。帰ってくるの待ってるよ」と言って別れたが、ベテランの看護師がすぐに真顔になって「口からの栄養が全くとりません」と厳しい調子できっぱり。やはりか〜と思い、「嚥下機能が落ちてるんですか?」と聞いたら、「いや。認知症による拒否でしょう。詳しい話は先生に」と。

 医師の話も出だしはそのこと。口で食事を取らない問題。事前書面でも知ってたのだが、食事をする前に嚥下機能の検査をすることになっている。でも母はそれを一切拒否り、全く口を開けてくれないらしい。医師も理由は認知症のせいでしょうという話だが、ぼくはどうも納得ができず、「認知症で口から食事をしない反応というのはあるんですか」と聞くと、多数そのようなケースはあるらしい。食べ物が口に合わないから嫌だではなくて口が食事をする場所で、そこから食べる場所だと認識をしないのか?認知症はそんなこともあるのだろうか?

 結局、話は入院当初のように高カロリー栄養摂取で延命するか、それとも普通の点滴に変えてほぼ自然死、老衰死にするかという二者択一的な話。ぼくは「ちょっと待ってくれ」と。さっきかなりキチンとコミュニケーションとれた、笑顔の母と話せた直後に高カロリー点滴をやめるかどうか、という話はあまりにえげつない。
 もちろん、嚥下反応がないのであれば点滴しかなく、高カロリー点滴で生きることは不可能じゃないが、それはいわゆる「寝たきり」で、(医者に現に今、そうなってますよね?と言われた)家族としてそれについて改めてどう考えます?と言われても。
 衰弱状態が続いてたら考えるけど、繰り返しだけど、さっきコミュニケーションとれた相手について、点滴のありようをどう考えるか?と言われても……。自然死を選択します、とは到底いえない。
 それは結局、母がショートスティを利用する前、たとえ話す内容がちんぷんかんぷんでも、自分で食事をし、自分で排泄し、さあ、もうベッドに移動して。ぼくも寝るから寝ようと言って言うことを聞いた母を知っている、そんな直近があった、という未練につながっていく。

ラストを突然突き詰められても、との思い。

 今日はぼくにしては粘りに粘って、母のQOLのありようを聞きに聴いた。自分はまあそういう疑問を一つ一つ聞くのはできないこともないのだが、こんなに食い下がったのは生まれて初めてだと思う。在宅での見取りも提案したが、それはやはり家族の負担が重すぎて無理。

 今後については二つ。一つは24時間看護師がつく有料老人ホームでいまの高カロリー点滴を続けながら生活優先の治療をすること。そういうホームが二箇所だけあるらしい。もう一つは、現下の病院は面会が「月に一回だけ」しかできないのだが、もっと面会のできて現状の治療を続けられる老人病院を当たること。いま、福祉施設のほうは、ほぼ面会フリーになっているようなのだけど、病院は面会制限があるらしい。コロナの対応ゆえなのだろうか。その仕組みもよくわからない。

 母の今後の生活、システム、行き場についての詳しいことは主任看護師さんに聴いたのだが、どうも母について高カロリー点滴の継続に消極的な雰囲気を感じて仕方なかったので、こんなこと聞くのは失礼を承知で「看護師さんは高カロリー点滴などの延命に反対の哲学なんですか?」と究極のことを聞いてしまった。すると、「いえ。ただ、お母さんを見ているとどうしても口からモノを食べたがらないので、それはつまりお母さんはもうこれ以上長生きを望んでないかもと思ったんです。もう死んでもいいんです、と言いますしね」との答え。うーむ、それはどうなんだ?確かに家で寝たきりの時もそう言ってたし、口で食べたがらないのが認知症の結果だとさっき仰ったのなら、認知症であるのに、そんな意識的な母の深い哲学が開陳できますか??と思う。

確かに、お互い元気な時にどんな終末期を迎えたいと話し合ったことがあります?と言われれば、ないですとしか言いようがない。母も昭和2年生まれ。戦争を20歳頃に迎えた戦中世代。終末期について親子で話し合うなんて、そこまでリベラルな家庭じゃないし、増してまだしっかりしてた頃は父親が戦前意識が抜けない人の妻だから、家でそんな現代的な問題を語る家庭とは真逆だった。まして父が亡くなった頃にはもう半分認知力が低下していたし。
ただ、寝たきりで意識不能な感じを良しとするような母ではなかったし、今後もベースはそういう人だと思う。

ここまできたら、遠からずお別れは来ると思うけど、出来るだけ母の寝たきり生活、限界があるにしても実りあるものに全フリしていこうと思う。
今日の母の姿を見て、話が出来た姿。それをみてそう思った次第です。
もちろん、そんなに遠からずそのようなコミュニケーションも難しくなるとは理解してるつもりだけど…。

マザコン丸出しの長文ですみません。そう、マザコンなんだよ。ただ、マザコンであることもあるけど。それよりもほっとけないじゃないかよ、という思いも強いです。

追記
 寝たきりから脱せない以上、動けない、天井を見上げる、時計や上にあるものを見上げる動作しかできない以上、認知症状低下のスピードは上がるでしょう。空間の把握や移動というのは、人間の認知力に大きな働きがあると思う。食事も排泄もそうでしょう。
冷静に見れば、医療者がそういうところで「生活の限界」の立場から延命に消極的なのもわかるし、ぼくもただ生きてる姿は見ててつらい。父が入院させられた老人病院が辛かったので、というと、主任看護師さんは「ここに長く過ごしても同じですよ」と言われたのは沁みた。
だから、悪あがきでも、少しでも刺激を提出してくれる場所を終の住処にしてほしい。それがラストのQOLだと思うから。

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