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自分史 Vol.4-1

更新が止まっていた自分史。ここはひとつ”I"というKeywordに立ち返って、自由に書いていこう。

 "I" the brilliant green

アコースティックギターサークルの演奏会で初めて歌ったのが、the brilliant green『"I"』だったのは、世界と自分との関係を考える哲学専攻を選んだ私にとって、静かに灯る松明のような歌であったからで、改めて聴き直しても素晴らしい選曲だった。初心者の歌にベースで伴奏くださった先輩のオオシオさんには、心より感謝申し上げます。

哲学とアコースティックギターサークルというのは食べ合わせが良くないのか、私が入部した際に4回生だったオオシバさんくらいだったと記憶しているけれど、その先輩はずっと音楽で食べていらっしゃる(大先輩 大柴広己(そう、ヒロキです)のページへどうぞ)。

サークルは好きなナンバーを演奏するために、好きなメンバーを揃えるというやり方だったから、私は「この歌はこの人とこの人のツインボーカルで歌って欲しい」とか「ギターソロのパートはこの人に弾いて欲しい」とかいった組み合わせを作っていくのが一番面白かった(自分はバックに控えて気持ち良くのです)。
これは、今の働き方にも通じているところがあって、人と人,人と物,人の才能と活きる場を繋ぐセンスにとって、このときの経験は多いに役立っている。他の人に思いつかない組み合わせが、気持ちよく繋がったときの嬉しさといったら、他には代えがたいものがある。
また、気付くとその場を代表する立場になることが多いのも、生まれ持った役割ゆえで、3回生では幹事長(龍谷大学独特の名称ですが、つまりは部長)を任された。物怖じない態度と、個性が集まる場を整える雰囲気とを買われての選出だったろうけれど、おかげ様でその年の新入部員はとても多かったから、期待された役割を果たせていたなら、とても有り難い。

同時期にはボーイスカウトのリーダーもやっていた。サークルの幹事長と同じく他薦で就いたにも関わらず、こちらが対照的に楽しめなかった理由を考えると、規律を「守らせる」のが性に合わなかったというのが一番大きい。

規律より先にある、人間の自主性や創造性の成長という概念が、私が哲学へと進んだ理由だった、という話は次回、Vol.4-2へ続けよう。

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