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自分史 Vol.2020.05.17

0.Flying

自分史を綴っている私にとって、今日はその一番最後の頁であるとともに、もしこの先が続くならば、白い頁の最初でもある。今感じていることを、少しでも多くの方に読んでいただきたく、そしていろいろな方の力が必要だと痛切しているからこそ、noteのプラットフォームで綴ることにした。

Sound.Earth.Nature.Spritの頭文字をグループ名に冠する彼らのライブが、Youtubeで13年以上も聴き継がれてきたことに敬意を表し、この思いが羽ばたいた先で「今」が意味を持つように。

1.Above and Beyond

​話の発端は少し前、人の移動が規制されていなかった頃から始まる。すでに宿泊客もまばらだった金沢のホテルを朝に発った私は、金沢大学の裏から福光へ向かい(道の駅で五箇山の堅豆腐に出逢った話は、また近々書こうと思う)、東海北陸道の飛騨清見から国道41号線へとハンドルを切った(飛騨清見で出逢ったシャルキュトリーの話も書きたい)。飛騨一宮である水無神社へお詣りをした後、郡上八幡(ここにある蒸留所が同日の最終目的地、再訪の折には必ず記事にする)を経て関西に帰る、我ながらよく出来たルートだったのだけれど、その日は暖冬の締め括りとは思えぬ雪で、神社の駐車場に着く頃には信じられないような吹雪になっていた。今にして思えば、足早にお詣りしようという心根が良くなかったのだけれど、傘も役に立たない吹き降りの中、凍えながら境内を回って車に戻った途端、頭上の雲が晴れて真っ青な空が一瞬にして現れたのだった。

雲の上に青空が広がっていることは、宇多田ヒカルの『time will tell』でも歌っていることで、あちらは雪ではなく雨だな、とこの空のことはFourplayの名盤『Let's Touch The Sky』から引用したい。彼らが新日本フィルハーモニー交響楽団と共演したテイクに青空を感じる人もいると思う。私はこの青空から「まぁゆっくりして行きなはれ」(関西弁ではないか)という感じを受けて、改めて背広の雪を払って鳥居をくぐり直し、絵馬を書いたり、お御籤を引いたりして、気付きをいただいたことへの感謝と再訪を誓ったのだった。

2.Catch the Moment

郡上八幡へ赴いたのは、当地のライダーズカフェからお引き合いをいただいたことに加えて、小さな蒸留所が新月の日に限って仕込みをされるという、まさにその日に通りがかる(もしくは通りがかれるように調整したとも言う)からだった。清流を眼下に、アグスタのバイクと、熊の手を煮込んでいる鍋(!)を脇にする初めての商談が盛り上がったのは言うまでもない。すっかり晴れ渡った国道を進むと、郡上の市街へ入るのに時間はかからなかった。当蒸留所について教えてくださったのは、阿波座のワインバーを営むシェフで、彼がなぜワインバーのカウンターにジンやアブサンをずらりと並べているのか、その謎を解き明かしたい気持ちもあっただと思う。

蒸留所脇の小さな扉を開けるのには、さすがの私もどきどきしつつ(だからこそやめられないとも言う)、蒸留所のご主人には、実は新月だからといっていつも開けてはいない旨、そして在庫も全て卸されて残っていない旨をお聞かせいただいたのだけれど、不思議と少しも残念ではなかったのは、同じく岐阜県は関市にあるプロシュートを作る工房を訪ねたとき、同じような感覚を受けたからかもしれない(今までお伺いした中で最も山深い工房の一つで、訪問した際の大雨とともに大変長いエピソードがある)。ご主人はご丁寧に次回の営業日を教えてくださった上、在庫が残っているかもしれぬという同市内の酒屋に、確かに僅かな在庫となっていたアブサンを1本購入できたことも、何かの因縁だと思う(シェフと再訪した暁には、また書かせていただこう)。

気持ち良い国道を関まで下がって(ここから程近い美濃加茂のドイツパン専門店との有り難いご縁も、書き出すと面白いと約束できる)、改めて東海北陸道に乗った際、この曲が収録されているベストアルバム『LiSA BEST -Way-』を聴いたのは、岐阜出身であるLiSAへの敬意とともにまさに自分の走る「道」に思いを馳せていたからでもあった。「嫌になった運命を ナイフで切り刻んで もう一度やり直したら キミに出会えないかも」という歌の通り、どの道も無駄ではないというか、無駄にしたくないという思いがあって、一期一会のその瞬間、お互いに何かが掴めるならば、これからも人に出逢っていきたいし、このnoteは新しい出逢いはもちろん、今まで私と出逢った方々と「出逢いなおす」ことでもあると思う。

3.I Just Called To Say I Love You

阿波座のワインバーへは、この旅から帰ったその週末、旧友と出掛けた。蒸留所の営業日に合わせて岐阜の各地を巡るツアーは、シェフから二つ返事をいただくに留まらず、お店にいらっしゃった常連の皆様から、乗車定員いっぱいまで手を挙げていただくことになり、その光景に友人は驚いていたけれど、これもまた出逢いなおすことだったのかもしれない。

それにしても、こうして構想してきたこと、つまり地方の生産者や銘店を巡りながらその土地にしかないものを吸収するという体験の提案が、こうして形になる瞬間の有り難さといったら比べられるものがない。話は飛ぶようだけれど、仏師 円空を特集したMOOKを以前友人に受け渡したのも同じ席であって、そのエピソードがほとんどの方にとって意味不明だとしても、私とそこに居合わせた方々とっては、その先に見つめる土地に繋がっている。

西洋では共感覚なんて言葉がこうした経験とは繋がるのかもしれないが、私はこの名曲の邦題「心の愛」が、もっと直截的にこの思いを述べているのではないかと思う。恋人同士の恋愛だけが愛ではなく、自然や文化、同志に対する感情も愛だとしたら、こうして縁を結んだ者や土地が繋がっていく様もまた心が個人を超えていくことなのではないだろうか。春分生まれの私にとって3月の下旬は、変化のきっかけがたくさんあって、3年前に後輩の訃報を受けて仲間と葬儀に立ち会ったのもこの週のことだった。彼女の急逝は深いショックとともに、会いたいと思った人間には会っておこう、そしてやりたいことはやっておこうという思いを、私と私の同志にもたらしてくれた。このことがなければ、今この道を進むことも、ここに思いを記すこともなかったのは間違いなくて、物事に善し悪しはないということは、後々になって気づくことなのかもしれない。

4.Flying People

1週間のことが原稿用紙7枚以上になってしまう私が、「今」へ辿り着くには相当かかりそうだから、一気に話を進めよう。5月の初旬に計画した岐阜行きは諸々の理由でなくなった代わりに、こうした旅がこれからの本業にとって核のひとつを成すことを予見するかのように、新しい移動手段が手元に来ることになった、というのがつい今の話だ。これまで旅の友であったメガーヌ ツーリングワゴンの車検を控え、「勝手に」送ってきてくださったカングー イマージュの見積書と写真を眺めていたところ、友が機嫌を損ねてしまい急な乗り換えを決断せざるを得なくなった、というのが本当のところ。写真でしか見ていない車を発注するのは人生でも初めてだけれど、10年目で4万キロ強だったオドメーターを4年弱で10万キロ間近まで回す私の運転を、大きなトラブルもなくお世話してくださった専門店からの提案を信じることにした。

無事に旅をして来られたこれまでに心から感謝しつつ、また新しい友と旅をするこれからを選ぶ。それはとても不安な決断でもあるけれど、信じられる私でいたいし、この文章や曲達から何かを感じてくださる「Flying People」の方々には、旅にご一緒してくださることをお願いするとともに、結局都合8枚分にも及んだ原稿を読んでくださったことに感謝を申し上げ、珍道中になることを約束し、筆を置こうと思う。ぜひ近いうちに筆ではなく箸を持って美味しいものを一緒に食べましょう。


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