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万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ

徒然なるままに。
こんにちは。

徒然草第21段冒頭の一節です。

万(よろず) のことは、月見るにこそ、慰むものなれ。

(現代語訳)
全てのことは、月を見ることによって心が慰められるものである。

兼好法師はどうやら月がお好きのようで。
徒然草全体を通して、6回くらい月の話が
出てくるんですね。

その中でも、この第21段の冒頭は
兼好法師の月に対する想いが素直に
シンプルに現れた1文なのではないかと思います。

でも、現代に生きる私は始めこう思いました。
「全てのこと」が月を見るだけで慰められるって
すごくないか?
嘘だあ~~~~~、と。(師匠ごめんなさい)

例えば
怪我をして大事な試合に出られなかったこと、
準備していたのに全く上手く出来なかったこと、
誰かに嫌われたかもしれないと落ち込んだこと、
大好きな人を亡くしたこと、
自分の存在価値が分からなくなったこと。

本当にこれら全部のことが
月を見れば慰めになるとは思っていませんでした。

しかし、こう疑問に思っていた中学生の頃から
時日は流れ…。

例えに挙げた全部のことが現実に起こったんですね。
私はその度に空を見上げ、月を見て、星も見ました。

気づいたこと。
変わらないですね、月は。
鎌倉時代に兼好法師が見ていた月から
多分、殆ど変わり無い光なのではないでしょうか。
そりゃあ、厳密に観測した結果では
多少の違いはあるのだろうと思いますが…。

嬉しいときに見る月も、
悲しいときに見る月も、
楽しい思い出の中にある月も、
消したい記憶の中にある月も、
同じ暖かさでそっと光っています。

日々私達の置かれた状況が刻一刻と変わり、
感情も刻々と変化していく中で、
変わらないものがいてくれる。
それが慰めになるのかなあ、と。

でもそれがなんで太陽ではなく、
星でもなく月なんだろうか。

まだまだ考えたいことはたくさんあります……
が、次のネタに取っておきたいと思います。

それでは今日はこの辺で^^


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