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次に進む道を、何を大切に選択する?

社会人として初めての会社を、3年勤めたのち、退職。
退社後のことは、大まかですが考えてはいました。

グラフィックデザインの仕事をしたいと思っていたんです。
まったく畑違いの分野です。
でもやりたかった。

子どもの頃好きだったこと

ぼくは子どもの頃から、
ぬり絵をしたり、ダンボールで基地や着ぐるみを作ったり、
ということが好きでした。

だからなんとなく、将来そんな仕事ができたらいいな、
と思っていたんです。

小学校や中学校の時の、
図工や美術の成績は、だいたい5。

別にすごく勉強したとか練習したとかはなくて、
ただ楽しいなと思って描いたり作ってると、
なぜか先生や周りから褒められる。

何も特別なことはしていません。


逆にいうと、
自分が面白いなって感じられないことはまるっきりダメ。

同じ図工の授業の中でも、
挨拶しましょうとか、街をキレイに!
のようなマナーポスターを作りましょうというのは、
つまんないなあと思っていた。

今、実家に帰ってその絵を見ると、まあひどい。笑

人の顔がオレンジだったり、空が機械的に水色で適当に塗られていたり、
あからさまに手を抜いているのが分かる(笑)

高校卒業後の進路

高校で進路相談が始まるころ、
工芸科という学科のある高校を見つけ胸が高鳴りました。

なにこれ? ものすごく楽しそう!

親にそれを伝えたところ、猛反対を受けました。

高校の時点から、工芸や芸術という方向に絞ってしまうと、
あとでツブシが利かない。
高校は普通科に行って、
大学受験時に美大進学ということを考えても、遅くないのではないか。

とのことでした。

ぼくはそれに対して、明確に反論ができなかった。

そればかりか、
ああ、確かにそういうものかもしれないな。
と、変に納得してしまったのを思い出します。

あの時、親の考えを、
もっともだ、と受け入れてしまったのが良かったのか?
それとも、
自分の考えや想いを、曲げずに貫き通すのが良かったのか?
それは分かりません。

ただ今となっては、そんなのどっちでも良かったんだな、
って本当に思っています。

結局は一緒、なんです。

その時その時で選んだ道は、
きっとその時点での自分の精一杯の自己表現だし、必要なことが起きている、
という確信が今はある。

どっちの道を進んだところで、
やっぱりそれがその時に起こるべきことだったんだなと、
心からそう思うんです。

岐路はたびたびやってくる

高校はけっきょく親の意見に従い、普通科に行きました。
普通に楽しかった。
けど、これじゃない感はどこかにずっとあった。

数年後。

今度は、高校卒業後の進路を決めるという岐路がやってきます。

ぼくはその時、今度こそは美大に行くのかな、と思っていました。
高校進学の時に選べなかった道に、いよいよここで合流するか?

↑書きながら今思ったけど、けっこう人ごとみたいだな。笑


今度は学校の先生が言いました。

「美大に行きたいなら、3留、4留は当たり前」
「河合塾に行け。〇〇大学に入るにはこういう描き方、〇〇大学ならこう、というのを教えてくれるから」
とのこと。

・・・

これを聞いた時にまっさきに浮かんだのが、
面倒臭そう
という感情。

そんなに大変ならいいや。

受かりやすい絵の描き方、というニュアンスにも、
すごく違和感を感じていた。

自分が描きたいから絵を描くわけでそれはおれがしたいことじゃない。

などと偉そうなことを理由にして、
目の前の山を登らないことを正当化しようとしていた。


今なら、
その面倒くささって、
さらに先にある大きなゴールの前の越えるべきハードル、
くらいに思えたのかもしれないけど、
当時のぼくは、
目の前のハードルをなんとかする面倒臭さ、しか見えてなかったんだと思います。

結局あっさりと、美大への夢も捨ててしまいました。

人生は自分で決められる

これらの出来事を通して、
自分の思いというのは、大事に蓋をしてしまっておくもの、
というような無意識が、
生まれてしまったんじゃないかなと感じています。

自分の好きなことはそっと片隅に置いておく。
人生は我慢。
チャレンジは危険。
安心で安全な道を選ばないと。

そう思い込むことで、
無難な道を選んだ自分を、肯定していたんでしょうね。

これがこの頃の、
ぼくの人生はこういうもの、という定義でした。
だから、実際の人生もそういうものになっていった。


だけど裏返せばそれは、
人生は自分が思い込んだ通りになる、ということでもあります。

自分が良いと思えばそれは良いものになる。
満たされると感じれば、それで十分満たされるんです。

人生は自分が決めています。

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