「信じる」って何だろう?

フカキンです。
タイトルについて考える。
『信じる』にも、『信用』と『信頼』って言葉がある。
それぞれのニュアンスの違いは何となくではあったが理解していた。
ただ、やはり『信頼』って何なのか、もう少し本質的なところを理解したいと思い調べてみた。

参考にした記事を下に記しておく。

自分が理解したいと思い、スライドにまとめてみた。

よく『信頼』は「無条件で信じなさい」と書いたある記事がある。ただ、スライドにあるように「自己判断」であることは忘れてはいけないのだと思う。
そして、『信用』と『信頼』の違いで、どういう関係においての『信じる』なのかで、人間関係では『信頼』にあたる。
『信じる』ことができないというのはおそらくこの『信用』と『信頼』の違いが曖昧だからだと思う。自分も実は『信じる』って何だろうって考える前までは区別できていないかった。

さて、『信頼』の本質的なところに話を進めていこう。
上のスライドに書いてある通り、『信頼』には
①期待せず、お互い目的のために努力する
②未来(="目的")を共有する
ことである。

『信頼』では「自己判断」で『信じる』ことだが、つまり「自己責任」が伴うということでもある。
「自己責任」下では自分がどうしたいのかを考えることであり、
①"目的"がどういったものかを相手と互いに共有していて
②その"目的"を達成できるようにお互いが努力する
ことが『信頼』になるのだと思う。

さて、"目的"というワードを見て思ったのが、"目的論"と関連のある「アドラー心理学」を連想した。
「アドラー心理学」によると、幸福感を得るには共同体感覚を得るのが重要であり、共同体感覚を得るのに必要なことのうち、『他者信頼』というのがある。この『他者信頼』とはどういった『信頼』なのかを考えてみた。

アドラー心理学の共同体感覚は「他者を仲間とみなし、そこに『自分の居場所がある』と感じられる」ことを表している。
つまり、アドラー心理学でいう『他者信頼』とは「他者を仲間とみなす」ことから競争をして争う必要はなく、協力できる『信頼』関係を築くことだと考えている。

最後、まとめると『信頼』というのは、同じ目的を達成しようと相手とお互い努力することである。
つまり、『信じる』には相手と共有すること、努力することが必要となり、そうすることで、協力とかができたりするのかもしれない。

以上、『信じる』ことがどういうことかを考える話は終わり。
明日、明後日はお休みで、次回の作文は土曜日に書きます。
読んでいただきありがとうございます。

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