見出し画像

通過儀礼

通過儀礼

通過儀礼 

聞いたことはあるが、なかなか、神秘的な言葉。イニシエーションとも言いますね。

部族社会においては極めて重要なイベントであり、子供が大人になるための儀式だ。社会背景により、年齢は異なるが、概ね15~18才。武士の時代は元服だ。日本における現在の「成人式」は単なるお祭りや高校の同窓会となり、厳かさが失われた。結果、私たちは、通過儀礼無く社会に出ることとなる。社会においてどういった役割を担うかに対するビジョンがない大人が多い理由の一つでもあると考える。(私も、他人事ではなく、自分事として本件書いています。)

近代社会では、親世代でさえ「生きるとは?」と問うことがほぼない。問うたとしても自身の自尊心を満たす答えが見つからないことが想像されるため、多くの人は問うことをためらう。そうして、自ら人生の主人公であることを降り、他の人間が作り上げた壮大な資本主義社会の幻想の中、その部分的役割を担うことに甘んじてしまう。「仕方がないという言葉で」(なんか、ミスチルの歌詞みたいだな。)

先日、こうした状況を解消する、一つの試みとして、ヒーローズ・ジャーニーというワークショップを実施させてもらった。

スクリーンショット 2020-08-26 15.33.19

ジョセフ・キャンベルの神話の法則の簡単な説明から入り、いかに私たちが他の人間(社会と呼ばれる共同意識)の作り上げた世界観に支配されており、それが逸脱することが難しいほどの重力を持つため、「現状維持」を続け、自分らしく生きられないこと。そこから抜け出すには、いつだって、通過儀礼としての痛みが伴うこと、「死と再生」を通じ戻ってきたなら、元いた場所が全く異なり、色あせて見えること。などを体験してもらった。

そこに、進路を考える18才の高校生が参加された。帰宅した彼をみてお母さまより、以下のお礼のメッセージをいただいた。

以外許可を得て、一部転載
——————————————
昨日は親子で貴重なセミナーに参加させていただき、ありがとうございました。帰宅後の本人の様子(私の視点)と本人からのフィードバックを共有させていただきます。

<私から見た息子の印象>
まず、本人の顔つきが変わっておりました。
なんというか、前までは目が死んでいたんですが、生き返ったというか(笑)。今までいろいろなしがらみや囚われに 縛られて、身動き取れないような状態だったところを、昨日のセミナーで解放してもらえたような感じかと思います。完全に解放とまでは行かずとも、かなり緩めてもらって楽になったという感じでしょうか。あとは 縛られていた紐から抜けて一歩を踏み出すのは本人次第だと思いますが、きっと大丈夫な気が します。
帰宅後、本人とじっくり話すことができました。なんとなく「こうしたいけど、きっとダメだろう、周りが認めてくれないだろう」と 本人が思っていたことが、認めてもらえた、背中を押してもらえた感覚を得たようです。

私も、 今まで息子に対して、いわゆる客観的な常識や世界観を押し付けていたと思います。 今回親子で参加できたことで、その意識を一緒に変えられたことが大きな収穫だと感じています。

<息子の感想>
参加してよかった。内容もわかりやすく、全てがためになった。
今まで考えていたこと、自分のことが整理できた気がする、でも自分をもっと掘り下げてみたいと思う。
メインセッションにもできれば参加してみたい。WaLaの型や哲学というのは、一回でわかることでもないし、
実践できるようなことではないから、これからも長く付き合って行きたいし、もっと深く学びたいと思う。
============================
ここからは私の希望なんですが、WaLaの高校生、大学生(なんなら中学生も)コースを是非ご検討いただけたら嬉しいです。こういう内容は若い人たちにこそ是非 知って欲しい、学校で教育の一環としてやって欲しいと思うのです。そして私のように親世代も是非一緒に受けて欲しいと望みます。親の意識も一緒に変えなければ、うまく行かない気がします。こんな時代だからこそ、親子で Hero's Journeyを始めるべきだと個人的に強く思います。
散文にて、まとまっておりませんが、私たち親子の一感想として受け取ってくだされば幸いです。
—————————————————(引用 終わり)

18才。多感な時期である。親との会話もうまく噛み合わない。

なぜなら、親の世代は、自分の世代の常識で話し、子供の世代はそのピントのずれた感覚に苛立つ。また、子供が人生をかけた選択で悩んでいるにもかかわらず、親自体が、現状維持が精一杯であり、生きることに必死(子育てにはお金がかかる。)なため、自らを省みることができなかったことを、隠しながら話すため、本音で対話ができない。これは、当たり前でもある。子供に対し「あなたのために自己を犠牲にした」など思ってもいないし、言いたくもないが、もし他人に、あなたらしく生きてますか?と問われると、「子育てがね〜」と言いたくなるものだ。人というのは、そうしたゆらぎの中で生きていると思う。

一方で、子供は、自分の限界の枠の中で勝負していては、お話にならない。全ての子供は、自分の能力の限界の外にチャレンジするのだ。

スクリーンショット 2020-08-27 15.29.55

今のように、既存世界に皆がどっぷり浸るわけではなく、「古い世界」と「新しい世界」の間にいる感覚強い時、実は、大人も子供も共にこの通過儀礼(イニシエーション)が必要なのではないだろうか。共に学ぶこと、支え合うことで次の時代を切り開く知恵(古い世代)と勇気(新しい世代)が生まれるのではないだろうか。このお手紙をいただき、そんなことを思った。また、そうでなければ、私たちの大部分が世界はすでに新しい時代に向かって進み始めているにもかかわらず、古い時代のパッケージの中の一つとして「生」を終えてしまうことになることにも懸念を覚えた。

自分の18歳を振り返り、この親子を想い、そうしたことを考えた。そうした場が必要ではなかろうかと思い始めた。参加のお礼に、高校生の彼に以下の返信をした。

-----------------------------
昨夜はHero's Journeyにご参加頂き、誠にありがとうございました。

18歳。進路。悩みますね。そういえば、私は、15才で文系理系決めるのも、クラスで一番遅かったです。どちらかを選ぶことによって、取り返しがつかない気もしますし。大事な時期だと思います。でも、案外取り返すこともできるもんだと、今なら思います。笑

ただ一つ、僕が大事にしてきたこと。それは、心に従うことです。この時期に、心に従わず何かを諦めると、自身の人生に責任を負うことから逃れ「結局さ・・・・」という他責の発言をする人を生んでしまいます。実際、そうした社会人が多いのも残念ながら事実です。

そうならない社会にするのが、我々世代の責任と思ってます。私にも子供が二人いて、親なら皆、こんなふうに子供に、次の世代を生きる全ての人に伝えたいと思います。

「たった一回の人生。自身の可能性を追いかけて良いんだよ。だけど、ここから先はあなたの責任。もちろん、全力で応援する。だけど、応援しかできない。愛するあなたに辛いことがあるくらいなら変わってあげたい。だけど変わってもあげられない。だけど、あなたの命は、私を通じ、あなたを通じ、そしてあなたの子供を通じ続いている。

自分のためだけに生きる必要はありません。そう思うとしたら、私たちの世代の大きな失敗です。自分とは何かすらそもそも知らない人が多い。自我(セルフィッシュ)ではなく、自己とは何かを深く知ることでそうした無限の力の支援を得ることができる。」

言葉にするかしないかは別で、普通全ての親がこのように願うと思います。
だって、大事に育てた、宝以上の存在ですから。そうして、子供を社会に送り出すことができれば、親の仕事はここまでです。

こうしたことは、部族社会ではイニシエーションと言われますが、現代社会では損なわれています。社会に出るタイミングで必要で、こうした学びは必要ですね。悩んだときは、自分のことではなく、もっと大きなことのために生きると決めると良いよ。あとは、難しい方を選ぶことだね。

岡本太郎 自分の中に毒を持て
https://www.amazon.co.jp/dp/4413096843/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_hfNrFbHB24608

これお勧めの本。よかったら読んでみてください

-------------------------------------

皆さんは、この「通過儀礼」ということに関し、どのように考えますか?大人である皆さんにも必要な体験とは思いませんか?今日は、残りの人生の最初の1日です。今のまま、人生を終えるか。心の奥底に眠っている願いの実現に、一歩踏み出すか。人生100年時代。60才では終われません。

そうした内省の体験機会として、一度、Hero's Journey体験してみてください。

背景となる、WaLaの哲学についてはこちらをご覧ください

10月に向け、あと少し、説明会も実施します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?