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ぼくの原点になっている「あるもんで力」

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写真:体育授業の様子。ゴミを丸めてガムテープで巻いたボールで遊ぶ生徒たち。


これはぼくが写真家を始める前のお話。
ブータンという国で体育普及活動に勤め、体育授業がなかったブータンの小中学校でゼロから普及活動をはじめた。そのなかで、鍛えられた「ないもの」を「あるもの」でつくりあげるスキル。
目の前にあるものでなんとかやっていくということは、とても難しく、楽しく、センスのいることだった。この「あるものでなんとかする」っていうスキルはブータンにいるときに一番鍛えられたことだ。

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写真:道具がないときにやってた、体つくり運動。

「体育の授業だ!みんな外へ出ろ」
「イエ〜イ!ところで体育ってなんですか?」
これが最初の授業だった。
ぼくが赴任した2007年、タシヤンツェ小中学校には体育授業がなかった。ブータンで体育が正式な教科としてカリキュラムに加えられたのは2000年。しかしぼくが赴任する2007年になってもほとんどの学校では体育の授業は行われていなかった。それは教員の間で体育の重要性が認められていなかったことと、体育を教えられる教師がほとんどいないことが原因だった。
生徒と同僚の先生達に体育授業への理解が全くないというのも大きな課題だったが、実際、リアルに困ったのは、倉庫にあった潰れたボール1個だけで授業を始めなくてはいけなかったことだ。正真正銘、ゼロから体育普及活動が始まった。

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写真:ロープをつなぎ合わせた集団縄跳び。

活動が始まって、毎日悩まされた。体育を教える以前にブータン文化の理解がないし、言語だってままならなかった。そんな中、助けになってくれたのが、現地の教員ツェワン・ナムゲだった。青年海外協力隊員には働く際に必ず現地パートナーがつけられることになっていた。眼鏡をかけて、チェック模様の民族衣装「ゴ」をスマートに着こなす、物静かで頭が切れそうな男性教師、ツェワンがぼくのパートナーになった。彼は当時ブータンでは数少ない体育教員の免許を取得したばかりのほやほや体育教師だった。しかし、ブータンの教員養成学校では実際の体育授業をどうやって展開するという技術はほとんど教わらない。だから理論や知識はもっていても、実際に授業をどう展開するのかは全然知らなかった。

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写真:廃材を加工してつくったハードルにペンキを塗るツェワン。

お互いにわからないことや課題が山のようにあり、放課後は毎日何時間も話し合った。ぼくがやりたいアイディアを出すと、ツェワンはそれをどうやって実現するかを一緒に考えてくれた。生まれたアイディアはすぐに次から次へと形にしていった。まず取り組んだのは体育用具を揃えるということ。近所で竹が取れる、という情報をゲットすれば休みの日に生徒たちと一緒に出かけた。取ってきた竹からバトン、ラダー、スティック、フラッグなどを作った。

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写真:竹スティックを使ったリレー。

学校では子供たちがポイポイゴミを捨てる。そのゴミをかき集めて、ガムテープでぐるぐる巻きにし、それを「ゴミボール」と名付け、キャッチボールや玉入れなどに使った。画像6

写真:ゴミボール、竹、バケツを使って玉入れ。

大工さんから譲り受けた廃材を加工し、ペンキで塗ってハードルやサッカーのゴールポストも作った。やればやるほど、面白いアイディアがどんどん生まれてきた。画像7

写真:学校の空き地に作った公園。岩を砕き、スペースを広げ、木材、水道管、廃材などを使って公園をつくった。

ツェワンや同僚、生徒たちと一緒に活動していると、彼らの「あるもんで成し遂げてしまう力」にはたびたび感動をおぼえた。今、目の前にあるものを最大限に工夫して課題をクリアする。ここでは周りが森に囲まれ、材料がほとんどない。ましてやポチッとスマホをクリックすれば、できあがった製品がすぐに届くネットショップなんてあるわけがない。でも彼らにとってはそれが普通だったし、試行錯誤して作り出すことが当たり前だった。幼い頃から「あるもので力」が自然と育成されてきている。筋金入りだ。

彼らに鍛えてもらった、この「あるもので力」は写真家として活動をする今のぼくもおおいに助けてくれている。
困った時はいつでも体育普及活動の出発の日を思い出すようにしている。



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