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神は存在するのか

K.S.R.C ResearchReport FileNo.010023
オリジナル公開日 1999/12/12 報告
  報告者:KS

 我々は、今まで「死後の世界」「幽霊」という、いわゆる「心霊現象」というものをリサーチしてきた。
しかしながら、「心霊現象」といわれるものの中で、最も大きな謎は「神の存在」であろう。
 21世紀を目前に控えた今、「神の存在」に可能な限り近づいてみることにしよう。

 そもそも神は我々人類の歴史と共に歩んできたと言っていいだろう。

 時に人は生きていく上での支えを神に求め、またある時には、社会の仕組みの基準を神に求めてきたこともあった。そして現在社会もその基準に神を据えているのである。

 すなわち「西暦」の採用である。
 西暦とはキリスト教の神であるイエス・キリストの誕生から始まっているのだ。キリスト教の国だけではなく、世界中の国々で西暦が基準として採用されている。
 また、西暦だけではなく、「クリスマス」や最近では「ハロウィン」等のキリスト教行事も、何の疑問もなく大衆に受け入れられている。

 これは、宗教における神の存在が、無意識のうちに一般大衆の深層心理にまで浸透していることの現れと言えるだろう。

 宗教における神の存在。
 これは個々人の心の中でのこと、と言ってしまえばそれまでのことであるし、様々な心理学的解釈が可能だと思われる。人々の心の中での神は確かに存在するだろうし、否定はしない。

 また、キリストにせよ仏陀にせよ、確かに偉大な人物、あるいは超人的な人物だったのかもしれないが、「人」という殻からは大きく逸脱することはない。そう、彼らは神の前に「偉人」だったのだ。

 しかし、そうは言ってもどうしても「神の存在」を意識せざるを得ないこともあるのだ。

 たとえば、これを見ていただきたい。
  (^_^)
 インターネットの発達でよく見かけるようになった「顔文字」である。単なる図形の組み合わせに過ぎないにもかかわらず、我々には顔に見えてしまう。

 実は、我々人間は3つの点を見るとそれを顔として認識してしまうのだ。壁のシミや木の葉の重なりが人の顔のように見えることがあるが、それはこのためである。(心霊写真と言われるもののいくつかはこのような見間違いである)

 顔のように見えるのは、人間の防衛本能がそうさせていると言う説があるが、そうだとしても不思議なことがある。

 それは、地球上の生物のほとんど全てに顔を発見することができるのだ。

 これは、種の壁を越え、更には進化の壁を越えていると言っても過言ではないだろう。様々な環境で進化してきたにもかかわらず、全ての生物が顔を有し、またそれを我々が顔だと認識できるのは科学では説明できない。
 しかも、このように顔を認識することのできるのは人間だけではないのだ。犬や猫を町中で見かけることがあるが、彼らと目が合うことがないだろうか。そういった時、彼らは確実に我々の顔を認識しているのである。

 こういった瞬間、神を感じざるを得ないのだ。

 また、もっとマクロな視点で見た場合も、神を意識しないわけにはいかないのだ。それは宇宙である。

 現代物理学で宇宙を説明する時、様々な現象を数式に表すことができるが、これはおかしくないだろうか。方程式のような数式はもちろんのこと、数字でさえも人間が考えたものの尺度に過ぎないのだ。にもかかわらず、そういった数式で様々な現象が説明できることは偶然の一致で片づけるのは無理がありすぎる。
 まるで、この宇宙が人間のためにあるように思えないだろうか。人間が存在するから、この宇宙があると言ってもいい。

 ある説によると、この宇宙で生物が誕生し人間のような高等生物にまで進化するために要する時間は、実は、この宇宙誕生から現在までの時間でも足りないと言うのだ。

 したがって、今現在我々が存在しているのは、科学では割り切れない何かの存在抜きには考えられないのである。

 こういった考え方を「人間原理主義」と呼ぶ。

 人間のためにこの宇宙が存在しているとするならば、この宇宙そのものを創った創造主と呼べる存在がいるはずである。その存在を”神”と呼ばずして何と呼べばいいと言うのだろうか。

 これとは逆に、ミクロの側面から考えても、同じ結論を導くことになるのだ。

 ミクロの世界、すなわち量子力学の世界である。量子力学での最大の問題である「観測の問題」に、その答えはあるのだ。

 観測の問題を説明するために、有名な「シュレジンガーの猫」を例にとって説明しよう。
 密封された箱の中に猫を閉じこめておく。箱には十分な空気と餌、水もあるので、餓死、病死、窒息死、老衰はないとする。しかし、箱には放射性物資で起動する”殺猫装置”も一緒に入っていて、放射性物質が自然崩壊すると毒ガスが発生し、猫は死ぬ仕組みになっている。量子力学の厳然たる法則に従って、この放射性物質は1時間に50%の確率で自然崩壊する。
 さて、1時間後、箱の中の猫は生きているであろうか、死んでいるであろうか?

 これが有名な「シュレジンガーの猫」問題である。

 もちろん、箱を開けてみないと猫の生死を知ることはできないが、この箱を開けるという操作、さらに中を見て猫の状態を確認する過程、これらをまとめて量子力学におけ「観測の問題」と呼んでいる。
 量子力学の伝統的な立場(「コペンハーゲン解釈」と呼ばれている)では、この観測という測定対象(猫)と観測者(あなた)の相互作用によって、はじめて猫の生死が定まると考えるのだ。つまり、箱を開けるまで、猫は半分死んでおりかつ半分生きている、という常識的には極めて不可解な状態にあり、箱を開けた途端、猫が生か死かどちらかの状態に遷移し、生死が決定するわけである。
 これは、一般常識的に考えると極めて理解しにくいが、量子力学の世界では当然のことなのである。

 さて、コペンハーゲン解釈では量子力学を適応するのは観測の対象のみ(上記例では猫)であり、猫を観測するあなたはその系外にあるのだが、では、この宇宙全体に量子力学を当てはめてみたらどうなるであろうか。
 我々が存在しているのは、誰かに観測されている結果と言えるのではないだろうか。

 つまり、この宇宙をその外側から観測している何者かがいるということなのだ。

 その何者かこそ”神”なのではないだろうか。

 これまで「神の存在」を考察してきたわけだが、何も人間原理主義や量子論を持ち出さなくても「神の存在」を感じることはできるのだ。
それはあなた自身の存在である。

 あなたが存在するためには、あなたの両親が出会わなければならない。その両親も同じ時代に生まれていなければ出会うことはない。さらにその両親も、そのまた両親も同様である。

 あなたが、今、ここに存在し、このリサーチを読んでいること自体、様々な偶然が積み重なって起きていることなのだ。

 しかし、これは偶然と言うには確率が低すぎる。

 そう、そこには”神”がいるに違いない。


<解説>
西暦
 一般に略号でADと表記する。ADとはラテン語のAnnoDomini(アンノ・ドミニ)の略である。日本語では「紀元後」と訳しているが、Annoは「年、年数」、Dominiは「支配する、支配される、君臨する、君臨される」の意味である。では、何に支配されているかと言えば、当然、「イエス・キリストに支配されている」のだ。
 逆に、「紀元前」はBCと書く。これは「BeforeCrist」の略で「キリストの支配の前と言う意味である。

キリストの誕生から始まった西暦
 西暦は、(若干の誤差はあるようだが)キリストの誕生から始まったとされている。
しかし、ここで疑問が生じる。それは、キリストの誕生から始まったのなら、どうしてキリストの誕生日が1月1日でないのかと言うことである。
 キリストの誕生日は、言うまでもないが12月25日(クリスマス)である。一般にクリスマスよりも前日のクリスマス・イブの方が盛り上がるのは、キリストの誕生した時刻が早朝だったためと言われている。話を戻そう。
 キリストの誕生日と西暦の謎を解くカギは聖書にあるのだ。聖書によれば「神は7日で世界を創った」とされている。そこで、キリスト誕生の12月25日に7日をプラスしてみよう。
 聖書による天地創造第1日目を12月25日とすると、第7日目は12月31日となるのだ。12月31日に世界は出来上がり、その翌日、すなわち1月1日から世界は始まったのである。

観測の問題
 量子力学は確率的要素を多分に含んでいる。観測しない限りその物の状態が確定しないということである。
こういった事に不満を持ったあのアインシュタインはこのような言葉を言っている。
 「神はサイコロを振り賜わず。」
こういったサイコロ賭博のような状態が気に入らなかったアインシュタインは1953年にある思考実験を行った。それはこうである。
 1つの粒子が崩壊して2つの粒子(P1とP2)になり、それらは遠方に飛んでいったとする。粒子崩壊の前後で質量・エネルギー保存則は成り立たないといけない。要するに2つの粒子の片方がプラスならもう片方はマイナスとなる。我々の常識では粒子が崩壊した時点で、P1、P2のどちらがプラスでどちらがマイナスかは原理的に定まっており、測定はそれを知るだけと考える。
 これに対し、量子論ではP1とP2に崩壊した時点では、どちらがプラスでどちらがマイナスか、そのこと自体が原理的に定まっていないと考えるのだ。P1は50%の確率でプラスであり50%の確率でマイナスというようなことがありうるのだ。そして、P1を測定してそれがプラスと出たら、その時はじめてP2がマイナスと決まるのだ。(そして実際P2を測定するとマイナスと出る)
 が、もしこれが本当ならP1を測定したときにP1からP2に瞬時に(P1がプラスだったという)情報が伝わらなければならないことになる。しかし、P1とP2が十分離れていたらそんな情報は伝わるのだろうか。例えばP1が地球にP2が遙か彼方の宇宙に飛んでいったとしたら、P1からP2への情報は無限大の速度で伝わらなければならないことになる。
 それは変だ。というのがアインシュタインの主張である。
 この思考実験はアインシュタインと共著者の名前をとって「アインシュタイン・ボドルスキー・ローゼンのパラドックス」と呼ばれている。
 しかし、どちらにせよP1がプラスならP2はマイナスになるので、測定の上からは古典論と量子論の二つの立場を区別できないように思える。そのため、当初この思考実験の真偽を見分ける方法はないように思われていた。
 が、1964年に物理学者のジョン・ベルが古典論と量子論のどちらが正しいかを実験によって分析する定理(今日「ベルの定理」と呼ばれている)を導いた。
 そして、技術の進歩によって、実際に「ベルの定理」を確認する実験が可能になったのである。
その結果、量子論がアインシュタインに勝ったのである。すなわち、観測する前には状態は確定していないのである。


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