街ですれ違う他人の母性本能を擽る為に、わざと靴紐を解けた状態で歩いてみる。 この街は街づくりが下手くそだ。排気口から匂うあのなんとも臭いとは言い切れない、汚い飲み屋商店街の方がよっぽど好きだった。子綺麗な福祉施設しか入ってない駅ビルなんて新作のゴミゲーと同義である。この街に小さな頃から住んでいると、自分のキッチンで勝手に料理されている気分になる。 街ゆく人の過半数は後期高齢者だろうか。その中で歩く自分は過半数より大きな希望を背負っている。いや、背負わされている。 まだまだ
人の接客を見てる 外国からの観光客に対し「店内ご利用ですか?」 そういう人は二分される 一方は英語が全くもってわからない もう一方は、ここは日本だから私らが英語に合わせる必要がないと言う 鎖国でもしとんかて
もういっそのこと堂々と 「依存させてくれ」 そう言いたい そう言って依存したい そんな夜
人が目の前で死んだ時、僕はどう思うのだろうか。 交通事故で跳ねられて死んだら、心不全で突然倒れたら、誰かに包丁で刺されたら、老衰で死んだら、 まだ目の前で人が死ぬということを経験したことがないが、もしそのような場面がこの先の人生で起こったら、 泣き崩れるのか、ただ心が無に帰すのか、人の儚さに体が震えだすのか、 はたまた興味が湧いて死体をいじり出すかも。 わからないが、自分の人生においての価値観が540度ぐるりんと変わるだろうな。そう思う。 令和に入り、ただ世間が言う
紹興酒がまるでイタリアのワインセラーのように並ぶ、なんとも異空間な立ち飲み居酒屋の2階で一人で呑んでいた。 地球温暖化が進む地球で、負けじと冷たい風を送り込んでくる北風は、10月下旬にようやくやってきた。毎年のように”観測史上”という言葉を耳にする。地球は人間によって、年々、確実に年老いているのだろう。もし地球そのものに生命が宿り、知力があるのならとうの昔に人間なぞ滅ぼしているに違いない。 19時から執り行われる大学のゼミの飲み会に向けて、夕方に終わったゼミのメンバー