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エッセイ「僕らは人との繋がりを大事にしている」

人との繋がり。

皆さんも大事にしていると思うがどうだろうか?

僕は何よりも大事にしている。

それはなぜか?

結局、僕ら人間は社会的動物であり、人との関係の中でしか生きていくことができないからである。

では、人との関係とはどのようなものか?

まず、関係の種類を僕の場合を例に挙げる。

それは、親子関係、兄弟関係、恋愛関係、友達関係、ご近所さんとの関係、仕事上の関係、お店のスタッフとの関係、社会インフラを整備していくれている人との関係、すれ違う人との関係、SNSの繋がりのゆるい関係。

うまく言語化できていないが、僕の場合、関わる関係は上記のような感じだ。

このような関係を見て、皆さんは関係の種類が多いと思うだろうか?少ないと思うだろうか?
実はまだこれでも少ないのである。
僕は列挙しきっていない。
しかし、いったんこの関係が僕の場合の全てだとして話を進める。

このような人との関係はお互いに影響を与え合い、助け合い、支え合い、お互いを必要として生きている。
すれ違う人まで必要として生きているのは「ご縁」というものがあるからだ。

両親とは生活を共にし、兄弟とは支え合い、恋人とは絆を深め、友達とは友情を深め、ご近所さんとは挨拶をし、仕事の上司とはチームとして仕事を完成させ、お店のスタッフには確実な購買行動をサポートしてもらい、社会インフラを整備してくれている人のおかげで快適な生活ができ、すれ違う人とはご縁を感じ、SNSのゆるい関係では仲間を作る。

このように、人との関係の仕方、関わり方は多岐に渡り、お互い影響を与え合っている。
皆さんはこの関係が全て消えたらどうなると思うだろうか?
僕だったら正直ゾッとする。何があっても人との関係は大事にしたいと思うし関係をなくしたくない。

無人島で一人で暮らす。
皆さんはできるだろうか?
僕には無理だ。
いくらHSPだから人といると疲れてくるとはいえ、いつも一人でいたいわけではない。
HSPでなければ、いつも誰かといたいくらいだ。

そう、いつも誰かといたいくらい、僕ら人間同士は支え合い、影響を与え合い生きているのだ。
人は太古の時代から集団生活を送ってきた。その本能は今も消えていない。
だから、人は社会を構成し、社会に参加しようとする。
そこで、社会から断絶した引きこもりの人の気持ちが僕にはわからない。
それは一種の特殊な状態かもしれない。
きっと引きこもりの人も社会と繋がりたいと思っているのだと思う。

僕ら人間は人との繋がりの中で、暖かいものをもらう。
両親や兄弟と一緒に過ごして安心し、恋人と電話をして心が満たされ、友達と電話をして友情を深める。
このように、僕ら人間は人との繋がりの中でたくさんのものをもらっているのだ。

誰とも一緒にいることができない時間はSNSのゆるい関係で僕らは癒されている。
Twitterやnoteを開けば、いつも誰かがいる。
SNSはまるで超巨大なシェアハウスの共用スペースのようなものだ。
自分が誰とも一緒にいることのできないひとりの時間に、そのゆるい関係と接して、寂しさを癒すことができる。

このように、人との関係を大事にして生きていくことが僕ら人間が人間らしく生きているということではないだろか?
人は人を求める。人は社会で機能したい。人は誰かの役に立ちたい。人は大事な人に優しくしたい。
そう、僕ら人間はお互い求め合い尽くしあって社会を作っているのである。

人との繋がりを大事にして、心を満たしあって生きていこうではないか。

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