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昭和→平成→令和

「大正ロマン」とか「昭和レトロ」とか、いつの時代でも過去を懐古するようなときがある。じゃあ令和になったいま、平成は?、と思うが、僕らは昭和を懐古する。元号で時代感覚が区切られる特殊な日本という国で、平成は、失われた20年や就職氷河期、あるいは格差といった、負の言葉と共に想起されることが多いのではないかと思う。

ここ数年の間で、時代というものを自分のなかで特に意識するようになった。歴史の授業で近現代という区分があって、テストのために平面的に勉強していたのとは違う感覚ーーそこに時間という概念が加わって、確かに連続性を持って認識するとでもいうような感覚で時代を考えるようになった。そこにあるのは、逆説的なようだけど、未来・将来への不安なのだろう。平成という時代を通り過ぎて、令和となったいま、若者が未来に対して希望を持てないという言説が数多くのメディアを通じて発信されている。いわゆる「最近の若者は〇〇〜」、というこれまでの若者論における“若者”のイメージに対して、若者が未来に希望を持てないという言説における“若者”は、社会のなかで無力化された存在として映る。そうしたなかで、過去を意識するのは、より今がどういう時代なのかということを、過去からの直線的なタイムラインの中で理解したいという欲求に基づくものだろうと思う。

例えば昔のルポやらノンフィクションを読んでいると、特定の時代の空気感がなんとなく伝わってくる。そうしたことを繰り返しているうちに、ある1つのことを考えるようになった。それは、今と昔で決定的に違うことは、市井の人々の間で共有される、共通の経験や場所の有無ではないかということだ。私たちが懐古する(戦後)昭和は、それがあったのではないかと思う。その最たるものは、「戦争」だろう。大人にしても子供にしても、戦時下、そして戦後の混乱期に生きたという共通の経験が、戦後のある一定の時期までの社会の空気や社会そのものを規定してきた。例えば、戦争という共通の経験があったからこそ、戦後の高度経済成長に向かう一体的な空気感が醸成されたのではないかと思う。それは、当人が意識している・いないに関わらず、震災や自然災害の後に一体的な空気が醸成される(作られる)のと似ている。一方で、若者が主体になった60年代の安保闘争も全共闘も、その政治的姿勢の背景には、戦争の経験が関係していることは否定できない。村とか町のレベルで、戦時中の苦労話がある程度共有されていることもそうだろう。何か、そうした共通に皆が内面に持っているものを通して、政治や社会、経済が動いてたような雰囲気を、昔の書物を読んでいて感じるのである。

つまるところ何が言いたいかといえば、そうした共通の経験や場所があることによって、仲間意識とでもいうべき人とのつながりやコミュニティが保たれ、共同体のていを成していたのが(戦後)昭和という時代だったのではないかということである。もちろん、それが善ということではなく、そこには今よりもエッジの強いコントラスト(光と陰)が明確に存在していて、それは、言い換えれば極めて日本的な同調圧力や差別としても機能したと思う。それに対して、現代は個人化が進み、人とのつながりがますます希薄になっている。東京五輪や万博を昔のように再現し、メディアがいくら一体感を演出しても、どこか歯車があっていないような齟齬を感じさせる。責任やリスクは全て個人に帰結させられるような仕組みづくりが進み、自己責任という言葉が声高に叫ばれるたびに、私たちはそれを内面化して、新たなスピーカーとなる。その一方で、偏狭な愛国主義と排斥によって「私たち」を保とうとする。いまの“生きづらさ”の正体は、そういう社会の空気感だと理解している。

必ずしも昭和が今よりも良い時代だったというわけではないにも関わらず、私たちが昭和を懐古するのは、人とのつながりに対してノスタルジーを感じているためではないかと思う。建物や、純喫茶にしても、そこにある暖かみのようなものに惹きつけられている気がしてならない。


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