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祖母の残した戦争体験を記録した手記 「ある母の道」#10

 そしてこんどはあの八月十四日、岩国駅周辺が大爆撃を受けた。
大型爆弾が空から雨のごとく落下し、まさにこの世の地獄絵となった日である。

 柳井の里へ疎開をさしている一人息子の薫に私共が作ったトマト、味瓜、それに薫の好きなトウモロコシなどを手土産品に大きなリュックサックに入れ幸枝に背負わせ朝早く岩国駅に出た。五時一分下り柳井行に乗せるためである。この五時一分の汽車は里へ日帰りで帰るのに便利なので良く利用していた。
この朝、いつもはいない汽車が止まってた。変だナーと思ったが尋ねもせず改札を待っていた。すると止まっていた列車の向側をキラキラと下り始めた汽車に気が付き、ハッと思い駅員さんに尋ねると「五時一分の下りです」返事がかえってきた。
しまった泣くにも泣けない気持。朝早く幸枝を起し出掛けて来たのに時間をよく確認しておけばよかった。
しかたなく六時から発売されるキップを買う事にして列に並んだ。
五人目だ一回の発売に十二、三枚発売するのでこの分だと大丈夫と安心して待っていた。待った時間は長くようやくにして六時になり発売され始めた。でも少しも列が前に進まない。
ありがとう、ありがとうなどと云って頼んでいた人が次々と列の間に入って買って行く、七人も間に入ると幸枝の分は買えない。
窓は無情にピシャと閉ってしまった。もうだめだせっかく薫に喜こんで食べさせようと思い考えたのに、間に入って来た人、頼まれた人が憎らしく思える。仕方が無い今日行かすのはよそう、もし買えたら十一時過ぎの汽車に乗せてやれたのになどと考えながら幸枝を連れ家に帰って来た。
玄関の戸が少し明いている不審に思い部屋を覗ぞくと、私達が出る時はよく寝ていた恵子と栄子の姿が見えない。大家のおばさんに尋ねたところ今朝六時過ぎに二人が家に来て「姉チャンと母チャンは汽車に乗って柳井の兄チャンの所へ行ったんよ」そんな事を云っていた。
「姉チャンも母チャンも今に帰って来るから家で待ってな」そう云ってやると二人は黙って帰って行ったと云われる。
それは大変、二人には何も云わずに出掛けたのにきっと私を捜しに駅の方へ行ったに違いない。そう思って行って見たが分らない。
一人では手が廻らないので幸枝を捜しにやると今度は幸枝も帰って来ない。
家の裏には水量は少ないが川中ニメートルの流れがある。少し先の方には田圃や、魚の生け州としている"だぶ”などがありそんな所に真ったのではないかなどと良い方には考えず悪い方ばかりに思いはいく。
もう、いても立ってもいられない気持だ。
近所の人にもお願いして捜してもらったが分らない。ますます不安は広がる。
裏道を捜していると「そっちへ行ったぞ、早く早く網を持って来い」子供の声がする。よく聞くと幸校の声もする。声をたよりに表に廻ると近所の子供七、八人が朝っぱらから丸裸で池のカエル取りに大騒ぎしている。
呆れてものもいえない。
こんなに心配しているのに子供ながら腹が立つやら、情けないやらだった。近所の人達にはおわびを云って引き取ってもらったヤレヤレと云ったところである。

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