レコメンドについて考える

何かやろうと思いたち、パソコンの前に座る。

30分後、YouTubeのレコメンドに促されるまま下らない動画を見続けている自分がいることに、気がつくことがあると思う。

そんな、レコメンド機能について考えてみたい。

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ここ数日、とある事情で、高校生の頃に組んでいたバンドの写真を掘り起こしていた。愛知県のよくある郊外で、近所の友人達と割と本気でやっていたバンドだった。

高校3年生の頃、バンドのデモテープを応募してみたところ、あれよあれよという間に審査を通過し、東京ビッグサイトの屋上、来客数は1万人という立派なイベントに出ることになった。出演者は、ゲスト以外、全国の同世代であった。地方出身の僕にとっては、東京生まれ東京育ちの同世代たちと関わる初めての機会だったが、彼らはルーツミュージックや新しい海外インディーを聴き込み、自分の表現にまで落とし込んでいた。それに比べると僕らの演奏や作品は陳腐であり、恥ずかしい思いで一杯になったのを覚えている。

しかし、それも仕方のないことだと思う。なぜなら、地方には簡単に音楽に触れられる場所がイオンモール内の小さな島村楽器と小さなタワーレコードしかなく、そこから得られる少しの情報や機材で音楽を作っていたからである。そもそも、このイベントに出演して初めて、イオンモールから得られる情報があまりにも狭いものであるということを自覚することができた。

それ以来、多様な情報に触れて、自我を形成してきたであろう東京育ちの同世代への劣等感が拭えず、僕も東京の大学へ進学することにした。もちろんバンドは、ほぼ活動休止状態となった。
大学2年生の夏、もう一度バンドメンバーで集まり、地元の田園風景に浮かぶ空き倉庫に機材を持ち込みワンマンライブを行うことにした。最寄り駅から徒歩30分という立地にも関わらず30名近くの方が来てくれた。正直、今思い返すと、人生観に影響を受けるほどの自然に満ちた田舎でもない、普通の郊外育ちなのに、イオンモールでしか語ることのできない自分の青春時代を塗り替えるために、「田園」というイメージを利用したかったんだなあと思う。

これは、恐らく僕だけの課題でなく、地方の8割はイオンモール等に代表される郊外のショッピングモール文化圏内で生活しており、思春期の大切な時間をそこで費やしているのではないかと思う。こうして、本人は何も気が付くことのないままに、ショッピングモールに面出しされたマス向けのカルチャーのみを消費して、マイルドヤンキー文化に馴染んでいく。

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ここで、話をレコメンド機能へ戻す。
YoutubeやAmazonなどのレコメンド機能は、傾向として自分が視聴・購買したコンテンツよりもさらに視聴・購買数の多いものがレコメンドされるようになっていて、あまり個々人の趣味・嗜好の深掘りを助長してくれるようにはなっていない。少なくとも、僕はそう感じている。やはり、ビジネスのことを考えると、ユーザーのCV率(視聴・購買率)を高める施策を採るのが合理的であり、レコメンドのアルゴリズムの目的変数はCV数に設定されているはずである。そうして、個々人に新しい知見を与えてくれるような裾野を広げるコンテンツよりも、正規分布の中心に漸近するようなレコメンド、つまり大多数の人が何となく押してしまうコンテンツが、どうしても上位に上がってくるようなアルゴリズムになっている。それは、イオンモールが在庫回転率を上げるために、なるべく大多数の人が買っていくような、限りなく平均値に近い商品を面出しして陳列しているのと同じである。

先日、MUTEK.JPで人工知能の創造性について研究されている徳井直生さんの講義を聞いた。講義を要約すると「Artificial Intelligent "Stupidity"」(ブライアン・イーノ氏と会話した際に、彼が発言した言葉とのこと.)というワードをベースに、既知の領域で最適解を出力するAIではなく、ノイズを加えることで人間にとって未知な出力を作り出し、今までに無かった創造性を拡張するAIを研究しているという内容で、非常に感銘を受けた。

昨今、GAN (Generative Adversarial Networks) という機械学習の手法を用いて、レンブラントの作品を学習させ、あたかもレンブラント本人が書いたような新作を生み出すというような取り組みが多く行われている。しかし、これは尤もらしい既知の領域に留まるアウトプットに過ぎない。

徳井直生さんが紹介されていたある研究では、GANを改修したCAN (Creative Adversarial Networks) を用いて、絵画を学習させつつも、既存の絵画の特徴になるべく当てはまらないものを出力することで、新しい作風の絵画を生み出すというもので、非常に面白いアプローチだと思った。

レコメンド機能についても同様に、ユーザーに対して新たな視点を与えるアルゴリズムこそ僕らにとって有益だと思う。ノイズを与えてまで新奇的なアウトプットを行う必要はないと思うが、分布の中心に向かってしまうサジェストではなく、裾野へ向かうサジェストが行えるレコメンド機能こそ本当に必要だと思う。

イオンモール文化圏で無自覚に育つ僕らを、外の世界へ連れ出せるのは、そんなレコメンド機能を持ったインターネットではないだろうか。

そして、僕らは、プラットフォーマーの思うがままに扇動をされないためにも、この事に対して意識的であるべきだと思う。Youtubeの右カラムに並ぶレコメンドされた動画サムネイルを無意識に眺めてクリックする前に、一度手を止めて考えてみよう。

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