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料理人の歩き方

2年目に一度挫折した僕が本店でパティシエの部署を頂くことになりました。
パティシエについて無知な僕は必死に勉強にはげんでいました。


約1年半ほど本店でパティシエとして働かせていただいた僕は4年目に3号店に戻ることになります。(最初にいた店舗です)
正直またあの料理長と働くのかと思うと断りたい気持ちもありましたが、本店の料理長から「もう昔とは違うしなんかあったら俺も見方になるから
お前の働き方はよく知っとるから大丈夫」
そう言って頂き僕はもう一度3号店でリスタートしました。

3号店は結婚式もある店舗です。
ウエディングケーキを作る必要がありました。
慣れないケーキ作りとケータリングなどのフィンガーフードもあり帰るのが3時を回ることも良くありました。

しかし同期や先輩に恵まれていたのかもしれません。みんな必死に闘っているので僕だけが大変と思わなくてすみました。

一緒に困難に戦っていける仲間
本当に大事だとそう思います。

そして5年目を迎える頃にはグループは大きく変化していきます。

大阪に3店舗、フランスに1つお店があったのですが5年目にスタッフが10名以上退社したのです。
料理長も含めて元々40名ほどスタッフがいたのが20数名に、大変でした。

逆にチャンスだと思いました。
違う部署やより責任が伴う仕事をする事が出来る。人数が多いと当然チャンスの回数は減って来てしまうので僕には辞める理由が見つかりませんでした。

そして僕にもチャンスが巡って来たのです。
フランスで2番手として働かないか?

僕はすぐ準備に取り掛かりました。
会社からまずパスポートの3ヶ月フランスに行って勉強しておいで
そう言って頂いたのでフランスに行くことに。
僕は初めての海外で不安と楽しみが入り混じった少し変わった気持ちでした。

そしてフランスの空港で事件が起こります。
入国審査で引っかかったのです。

8時間ほど取り調べを受けて
そして空港横の留置所のようなところで帰りの便を待つのに3日ほど過ごしました。

入国出来なかった理由は所持金が少ないかららしいです。
そこの施設で帰りを待つ色んな海外の方に笑われました。おまけに日本人は10年で4人しかそこに来た事がないとか…
凄く貴重な経験をさせてもらいました。
2日目には世界の車窓からの番組コーディネーターの方が入国出来ずに待機になり一緒に日本酒を飲みながら話せたのはいい思い出です。

そうして3ヶ月滞在のはずが3日で日本に帰ることになった僕ですが
まだフランスを諦めてはいません。
ワーキングホリデーでフランスに1年行くという計画でした。
フランスは通りにくいことで有名ですがとりあえずやってみないと始まりません。




そして結果は通らずに失敗に終わりました。
ワーキングホリデーの次の申請は1年後とてもそこまでモチベーションを保っておくのは難しく
それから2ヶ月後には違うスタッフが運良くワーキングホリデーを取れたので違うスタッフがフランスに行くことになりました。

その頃には6年目を迎えようとしていたくらいです。それならそろそろ違う職場を経験するのも良いかもしれないそう思いオーナーに相談しに行きました。


そうして思いがけない言葉を貰うことになります。



「2号店の料理長を任せたい」
僕は25歳で料理長になると入社当時から言い続けて25歳の時に本当にそう声がかがりました。当時最年少シェフです。

考えるよりも先に「やります」
いつも思っていたからこそすぐに答えが出ました。

そうして6年目の25歳には2号店で料理長に就任することになったのです。



本日も読んで下さりありがとうございました。
やりたい方は口に出して行動していると誰かが見てくれています。
そしてその方のタイミングで声がかかる瞬間が来ます。あとは自分が準備をして飛び込めるかどうかです。


次は料理長就任編を配信します。


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