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ギフトエコノミー制は上々の滑り出し なのに私は不安だらけなんです

ギフトエコノミー制での「リーダー育成支援活動」を始めてから1ヶ月ちょっとが経ちました。
とにかく強い決意と並々ならぬ勇気で踏み出した新しい1歩でしたが、私が案ずるよりも、周りの皆さまの方が暖かく受け入れてくれているように感じています。

【客観視すれば上々の滑り出し】
遠くは静岡からご依頼をいただいたことや、打ち合わせに本気を出したらそれ自体に対価がついた話など過去の記事で書かせていただきましたが、それ以外にも今までだったらお断りしていたようなことが案件化したり、逆に私の意思に沿わないものをお断りしたりするようなことができるようになりました。

要するに上々の滑り出しということです。売上規模的にも受注件数的にも平年並みを維持しているように思え、もし私がこのプロジェクトのリーダーを任されていたとしたら、結果に満足し、ホッと一息ついているところなんでしょうね。

【事実だけが全てではない】
ところが、私の心の中はそんなに穏やかではありません。
すべての物ごとは陰陽と2つの側面があります。いま書いたことをその「陰」の方で捉えたとすれば、「何件か依頼があった」=「まだ数件しかギフトエコノミー制での依頼がない」とも言えるし、現金化できる案件を断ったことで生じる売上減をどう補填するのかという不安も顔を出します。また、「商品を売る」という概念からそもそも離脱しているので、「いったい私は何を売っているのか?」みたいな妄想に取り憑かれて悶々としているときなんかもあります。それが高じて、私はどうやって生きていくんだろうか、なんて漠然とした不安で身動き取れなくなってる夜がある。。わけです。

もし仮に私の知人がこういった取り組みをやっていて、今のような成果を挙げていたとしたら、私には成功しているように見えるし、好きなことを勇気を持ってやっていることを尊敬すると思うんです。やもすれば、自分にできないことをやっている人として羨んだり、やっかんだり、という対象にもなるんでしょうね。

でも、その渦中にいる本人としては、とにかく不安なわけです。もう少し具体的にブレイクダウンすると、心中穏やかではない時間と、普段どおり客観的かつ冷静に過ごしている時間と、極めて誇らしいエネルギーに溢れた時間とが順番にやってくる感じ。
実際これが人間の面白いところですよね。客観的な事実が必ずしも内面と同調しているわけではない。

【不安の内訳を考えてみる】
で、何が私の不安を煽るのかというところ、きっと気になりますよね。
私のコーチと少し話をしてた中で気づいたのは「結果」や「成果」や「進捗度合い」といったことが要因になっているのではないかということ。
私、こういった、いわゆる「結果」に一切興味が無いのですよ、一切。
小指の爪の先ほどもない。。

誰かが変化を起こす「きっかけとなる体験」を共に創ること、それも今まで誰もやっていなかった方法で、ということにしか興味がないんですね。
その結果がどうなったか、なんて実質興味のないことなんですよね。
ただ、活動をしている中で結果は耳に入るし、それを他者と比べることも比較的容易にできる。
そして、そういうことに遭遇するたびに萎えたり、不安になったりするんだということに気が付きました。

【なんと私は隠蔽体質だった】
で、更にひどい真実があるとすれば、私はそういう「生身の人間のダークサイド」みたいなものを周囲に隠そうとする「隠蔽体質」を持っているということ。つまり、きれいなストーリー、美談、成功体験、整理した洞察なんかだけをピックアップして人に伝える傾向があるということにも気づきました。

人間なんだから、きれいな一面も、そうでもない一面もあるはずで、それをひっくるめて「わたし」なはず。この先、活動を進めていく中で、そんなありのままの自分も表現していくこと、大切だなぁと実感しています。

皆さんはどんな感じですか?私みたいな隠蔽体質を持っていたりしますか?それをどのくらい赤裸々に周りに伝えてますか?

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