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健太しゃちょう 弾丸漫遊記 (山形編)

6月28日
朝4時、起床。もう6月も末になると、こんな時間でも空は薄明るい。季節は巡るものだ。時は一瞬。まだ夏至のそば。
朝4時というと、私にとっては目覚まし無しで、ちょうど目が覚める頃合い。ワタシもずいぶんとオジジ化したものだとも思うが、目覚ましが不要であることを便利にも感じる。

ただ、昨晩馴染みのシェフから唐突なお誘いで酒食にふけったため、0時、2時と間断で覚醒した上に、飲み過ぎたアルコールの影響で、やや頭が重い。控えめに言っても「絶好調ではない」。

それでも気持ち軽やかに布団を跳ね除け、5歳の娘が私に覆い被さっているのを跳ね除け(ウソ。起きないように優しくどけて)、身支度を始めたのは、本日から始まる旅路への期待感によるものだろう。

「パパのこと、見送りたいから、ワタシも起きたのよ」なんて、泣かせる言葉を不意に、唐突にノタマワッた。起こしてしまったか。ワタシはその優しい言葉に泣かされ、妻は早く起きてしまった娘の世話に泣かされるのである。(多動気味の娘なので、大人が朝の支度に集中することを許さない)この後は頼んだぞ、妻よ(笑)

目的地は羽田からの秋田。そして山形だ。いざ東北。

ワタシのnote読者はご存知かと思うが、ワタシは「抜かりない段取りを行う」ことを信条としている。

行うことを信条としているのであって、「抜かりがないという結果」との連動は必須ではない。

前回のニセコツアーにおいては、LCCに乗り遅れという痛恨の事件が発生した為、腕利き経営者(自称)として、再発防止に取り組んだ上でことに望むのである。
成田空港の公式駐車場は大変使いにくい。知己の農業者からは民間駐車場の利用を薦められた。
他人の助言をオープンに受け入れる度量があるのがワタシの良いところである。週明けての出発に備え抜かりなく駐車場をオンライン予約する。
土日を挟んだ為か、週明けの月曜日に着信が入る。iPhoneには「千葉県成田市」からの着信であることが表示される。
非常にすんなりと、予約駐車場からの連絡であることは察せられた。
「あの〜。勝亦さんですか?」
「あ、どうもー。勝亦です」
予約に関する確認の一本が入るというホスピタリティ。嫌いじゃない。
「ご予約をいただいたわけですが・・・。そのよろしいんで?」
「何がですか?」
「勝亦さんのご搭乗便は羽田発でして。当方成田空港の駐車場なんですが・・・よろしいんですか?」
「・・・」
10人中10人が「よろしくない」と答えるしかないだろう。
抜かりのない段取りを、結果として出す道のりは遥か遠いことを再確認したのであった。

農業仲間に聞いた結果としては、比較的羽田空港は公式駐車場が分かりやすく、停めやすいということなので、予約なしの空港直撃計画を決行することとなった。(抜かりない段取り、どこいった)

まあ成田より羽田のほうが近いし、良かったじゃないか!(大きめの脳内ボイスで自分に言い聞かす)

その後、つつがなく搭乗手続きを完了することができ、今回はLCCを避けた為、ANAの行き届いたホスピタリティに触れ、御満悦で機内の人となった。もう、スタッフの笑顔の質からしてバリューが違うねっ。


LCCではない。お大尽するつもりはないが、なんでもかんでも節約すれば良い、というものではない。今回はANAでGO!

さて、なぜ東北か、という話。
有り体に言って、この時期(6月末)は、夏秋トマト生産者にとっての閑散期ではない。むしろメンタル緊張感としてはMAXの時期である。

 一つには、前回のニセコツアーで繋がりを持った同志からのお誘いであった、ということもある。人と人との繋がりは、出来たことを喜ぶだけではいけなく、枯れぬよう、水やりを必要とする。会い、語り、何かを共有し、育てていかなければ、いつしか忘却の彼方へと埋もれていく。ワタシにとっての重要なモチベーションの供給源である彼らとは、繋がりを保ちたいとは強く思うことであった。

もう一つは「山形」という目的地ゆえに腰が軽くなった、ということもある。
ワタシにとって山形は「理解を超える農業県」なのだ。 
 観光のみを目的として一度訪れたことがあるだけだが、各種情報発信を拾っていくと、相当に特殊なメンタリティを持った県である、という感触を持っており、それゆえに興味を強く抱いていたのだ。

 ここ数年。山形という県は大規模な自然現象、異変により、多大なネガティヴ要因が発生している。
 以前にはあまりなかった、台風の東北直接上陸や、線状降雨帯の発生。最上川って、氾濫しない年あるのか?という錯覚をさせる数年。
 大規模に農業用地が氾濫に飲み込まれた報道は、常に記憶を更新する。
 降雹もあった。さくらんぼ農家がどえらく被害を受けたことはSNSで知ることとなったが、まさかさくらんぼだけに限って雹害を受けることはまず考えられない。相当に大規模な農業被害があったことだろう。(ワタシは静岡にあり、雹害というものを経験したことがない)

 しかしだ。山形の農業者、というのは「そんなわけでやってられまへん」とか、「もうダメですわ、助けてちょ」という様な、ネガティヴであったり消極的な発信をあまりしない。
 常に「こんな新しいことに取り組んでいる」、「メッチャ前進してて、これからが楽しみ」、「私達これからこんなことができそうだ」という様な、前向き、ポジティブな発信が大勢を占める。

なぜ?なぜなのか?

恨み言うでもなく、諦めでもない。前向きな言葉をまず口にできる山形県民、山形の農業者の精神性は、何によって形成されているのか。また、その彼らが形作る農業は、どの様なものなのか。少しでも現場でエッセンスを嗅ぎ取りたい、というのが今回ツアーの大きな動機なのであった。

などと考えているうちに機体は早くも着陸体勢に入る。

近いな!東北!

到着空港は秋田。庄内空港はあまりに便が少なく不便(なのだそうな)ということで、この旅をコーディネートした千葉女史(北海道)の計らいによるものである。

過去の漫遊記に目を通している読者にはお伝えをしておきたい。
これまでの漫遊については私自身がセルフコーディネートをしてきたので、様々な事件が発生し、珍道中的な記録が多い。しかし、今回の旅をコーディネートしているのは「抜かりない」を体現する千葉女史によるものである。
珍道中的な様相はここまでである。多分。

秋田空港着。到着ロビーには知ったる顔、北の大地の若きエース、青柳氏(倶知安)の姿が見えた。再会を喜び、固く手を握り合う。志近き人との再会は嬉しいものである。しかし青柳氏、こんなにデカかったっけ?180はゆうに超える堂々とした体躯。きっと前回の旅(半年前)から成長期を迎え、10センチくらい背が伸びたのかも知れない。
 お互い農業者としては成長期であることだし。

 お久しぶりの川合氏の顔も見えるし、新たな初顔合わせのメンバーも多く、また新しい繋がりが期待される。

 一行(スタートは8人。途中合流あり)はレンタカー2台に分乗し、最初の目的地、ヤマガタデザインアグリ社屋を目指し、一路南下する。


皆さんは風景写真を見ているのだろう。併せて千葉女史の黄色い声のトークをBGM代わりに再生していただきたい。

私は川合氏が運転するレガシーに乗せていただく。
川合氏は普段のSNS発信からも伺えるが、「マシーンを愛する男」である。しかも千葉女史の抜かりない手配によってレガシー(普通の視察ツアーでは選ばれない車種だろう)。普段は北海道にありながらFRのスカイラインを転がす男である。その嗜好に配慮した「抜かりのない」車種選択。
 くれぐれも山道でドリフトをかます様な運転ではないことを、目をそっと閉じて心静かに願う。
 
 実際には川合氏のジェントルな気性に相応しい、同乗者への配慮溢れる丁寧なドライブを楽しませていただいた。
 旅のテーマでもある、「直播無湛水水稲栽培」の第一人者である山本氏は再会叶わなかったが、奥方が変わりに参加され、同車の道連れとなった。奥様が視察に参加・・・次の漫遊記では、我が妻に主役を務めてもらうのもアリかも知れない。

 まこと、眼にすることの少なき日本海よ。美しい。(富士山麓山男につき)右目に時折日本海のさざなみを見ながら南を目指す。海に沿った道沿いの農地は砂地がち。山芋、カボチャ、蕎麦、大豆、米。砂地は保肥性も変わり、施肥体系も相当に変わるのだろう。などと景色を楽しみ、当地の農業に思いを馳せる私の思考を寸断して、千葉女史との楽しいおしゃべりがカットインしてくる。千葉女史は常人の2倍しゃべるという得難い特技を保有しているのだ。

 誠にハツラツとした女史である。農業者ではない。しかし縁あって、この様に農業者と農業者を繋ぎ、ツアーを企画し、人と人の繋がりを育てている。自称ちばツーリストの代表は、外向的で、エネルギーの塊の様だ。うんうん。知識も豊富で多岐に渡り、保険、経費削減、資産形成、各種人脈、全国の農業など、色々な話で私を楽しませてくれる。うんうん。外の景色と当地の農業をもう少し静かに楽しみたい気もしないでもないが、やはりあなたは素晴らしい。常人の3倍しゃべるな。修正しておこう。

 千葉女史の絨毯爆撃を彷彿させる楽しいトークと合わせて、彼女の気分を害さない程度に横目で農地を観察する。我ながら配慮と気遣いの人である、ワタシ。
 とにかく感じるのは「圃場がデカい」、「区画整備が行き届いている」、「作物の生育が揃っている」などか。
 静岡県御殿場市は中山間地域の入り口。圃場は小さく、変形田も多い。プロ農家も少ない。
 ここは違う。人の手で、丁寧に、長い時間をかけて整備がなされている。土地利用型農業に対するモチベーションそのものが一段階違うのではなかろうか。
 圃場一枚当たりの感覚的な平均値で言えば、我が街の5倍サイズ以上から10倍程度という印象だ。
 一枚くらい分けてはもらえないものだろうか。いや、ほんの1枚でいいんです。(揉み手モミモミ)

 車は庄内へと進む。

ここです、と言って車が停まったのは昭和の前期の建造物と思しき巨大な瓦屋根倉庫。
こ、これは社屋じゃなくて、倉庫?文化遺産?だよね?
ヤマガタデザインアグリ、というスタイリッシュな社名から、私は勝手にスタイリッシュかつアーバンな近代建築の建屋社屋を想像していた。どう見ても築80年は超えているこの和風、倉庫風の建屋が、文化遺産ではなく、社屋?なのだろうか。

 懐かしの黒光氏が出迎えてくれる(北海道以来)。私たちは建屋の中へと導かれた。
 明らかに昭和中期以前の築となる巨大倉庫内部は、農業利用用にリノベーションが施され、更なるリノベーションをかけたオフィススペースが設けられている。この部分は近代的。
 ノスタルジーを残した中に現代が同居している。
 最初にパッと入ってきた古臭いイメージは一瞬で消え、「古き良きものが活かし続けられる」この土地の精神性の様なものを、土地のDNA、匂いとして感じる。この時の印象は最後まで続くことになる。

またも伝わらない絵を撮ってしまった。
ヤマガタデザインアグリ社屋内

 私達はまず最初に、この土地で行われている「直播無湛水水稲栽培」の現場へと向かう。
お米の苗を作らない。田んぼに、いや畑に直に種を蒔き、発芽させ、水を張らない環境下で最終の収穫まで向かってしまう、という栽培である。多くのメンバーが、この視察をメインとして捉えているのだ。
 直播きと言われると、意外に思われる人も多いと察するが、世界の各種穀物生産の中で、苗を仕立てて植える、というのは水稲だけなのだ。(日本、韓国、中国、インド、東南アジア)
 私達が見学させていだいたのは「農業者集団FAIN」の直播(通称マイコス米)圃場であった。
 美しい。改めて思う。この技術は既に試験段階を終えている。各生産者は試験区を設定し、様々や比較や土地に合わせた、品種に合わせた最適解を求め続けてはいるものの、それは更なる高品質な運用の為であり、おっかなびっくり試している、というような気配は感じられない。
早い。相当に早い。
イノベーションは、想定を遥かに上回るスピードで全国で浸透しているようだ。我が町はその浸透にキャッチアップしていけるのか。それは帰ってからの課題としたい。
 今、日本の穀物生産は2000〜3000年に一度の変革期を迎えている、と言ってもなんら大袈裟ではない。

美しい。地の果てまで揃っているFAINさんの圃場

 ついで、ヤマガタデザインアグリの運営する施設園芸圃場へ。
 ここではベビーリーフを中心とした効率生産が行われている。
 東北日本海側特有の気候の中、様々な工夫が施されている。この土地特有のものも多く、同時にどの土地でも適用可能な普遍的工夫も多い。
 有機JAS生産ならではの取り組みも多数見られたのも刺激や学びとなる。
 現場を切り回すヤマガタスタッフの大内氏、田中氏が解説してくれる。非常に若いメンバーが多く、生え抜き農業者子弟とは、漂わせる雰囲気からして違う。山形まで来て言うのもなんだが、都会的である。ワタシが山形に来て思うことの第一が「田舎っぽくない」ということ。誤解を恐れずにいうなら、「農村と農業を包含した近代的な街」が山形に対する印象である。

 見るもの見るものから刺激がインプットされてくる。この街に来て良かった、と改めて思う。

 次第に日中の暑さも収まってきた頃合いである。(山形は、いや庄内は暑い!御殿場より暑い)

 さっきから青柳氏とチラチラと目が合う。

 言葉ではない。互いが目から飛ばすのは非言語の何かだ。

 通じ合うものがある。精神性の根底が一緒なのだ。

 お前もか。そう、俺もだ。

「早く一杯やりたいね(笑)」
「そうね(笑)」

私達は農業生産の現場を離れ、宿泊、懇親会の会場である「スイデンテラス」へと向かう。

 スイデンテラスの詳細な説明はここではしない。興味を持たれた方はぜひ調べて欲しいし、訪れて欲しい。

泊まろうったって、なかなか予約とるのは
大変ですぞな、もし

 地方都市に生まれた空間的、産業的間隙を埋め、農業を一つの核として街をリデザインする。農業、子育て。自然体験と都市体験の共存。産業の創出。食と観光の新しい提案。先進的な建築デザインコンセプト。かいつまめばそう言うエッセンスの塊だが、言語化にはあまり意味がない様に思う。体感していただきたい。

 そう言う街づくりを、行政ではなく民間が主体になって進めている街。まあもちろん行政主導ではこの様に洗練されたものにはならないものでもあるが。企画立案し、資金を調達し、人を集め、繋ぎ、新しい価値を産み出す。

 どの都市もやるべきことでありながら、このクオリティでできている街を、私は他に知らない。
 訪れる人には、スイデンテラスだけでなく、それを中心とした周辺まで観察されることをお勧めしたい。

 チェックインを済ませる。もう17時に近いが懇親会は17:30からだ。

声を大にして一度だけ言うが、私は風呂に入りたいのだ。スイデンテラスが誇る温泉露天風呂は水田と一体化した素晴らしい作りなのだ。ざばっと水田を肌で感じながら汗を流してから、最高の一杯と行きたい。
 素晴らしい建屋内雰囲気に目もくれず、自室を目指すのだが、おお、あれは!喫煙所に柏原兄弟(福島)がいるではないか!
 北海道ニセコツアー以来(兄。弟は初顔合わせ)なのである。
 風呂よりはまず旧交を温めたい。
 喫煙所で紫煙を燻らせながら、過ぎし日や、現在、そしてこれからについて語る。予感ではあるが、この兄弟とはこれからも行く先々で、幾度も再会する気がする。
 営農規模で言えば大関と小結(もちろん私が小結)くらいの差があるが、それでも戦友の様な親しみを持って談笑する。

 さあ、風呂だ。

 まさに「投げ捨てるように脱ぐ」。
 時間は有限だ。その時間を120%楽しみたいのだ、私は。こうなると早いものだ。
 脱衣所には「かき集める様に着る」青柳氏の姿がある。
 思考と行動のパターンが一緒である。
 言葉なくアイコンタクトで「間に合う様にな、お互いに」と意思を交わす。

 露天スペースのドアを開けると、しとしとと降る雨つぶが田面に、不規則に、しかし定期的に波紋を広げ、涼やかさを演出する。植え付けのされていない田面は湖の様でもあり、海の様でもあり、しかし私たちの古い心象風景にある水田そのものであった。
 やや熱めの湯に肩まで浸かり、顔は冷たい外気に晒せば、1日の疲れが空気、空間に吸収されていく様である。
 爽快だ。必ずまた来よう。そう誓った。

 そそくさと時間に追われ、着替え、懇親会場として設定されたレストランに向かう。
 スイデンテラスで供される食事の素晴らしさも、ここでは詳細には説明しない。
 北海道がウニやカニのようなキラーコンテンツを持つ様な、そう言ったキラーは山形は少ないかも知れない。しかし劣らない。街づくりと同じマインドである。古くからあるものを大事に活かし、リデザインして新しい価値に落とし込む。彼らにとっては食もまた等しくそういった対象なのである。

 だが、しかしだ。私は水分に渇えているのだ!ビールを回せ!(笑)

 乾杯前に着座。青柳氏が向かいに座る。この男、既にクラフトビールの空き瓶をぶら下げている。くそ。あのわずわかな時間差に、一馬身遅れを取ったか。まあ良い。競争ではない。

 その頃、私が山形、秋田を訪れて、最も対面したかった一人、ヤマガタデザイン中條専務が現れた。
 私、この男に興味があって仕方ない。
 ヤマガタデザイン代表の山中氏ともお会いすることができたが、この中條専務もそうだ。田舎の匂いがない。
 地方を洗練させる、ということを体現する様な男達。私が山形県という県に抱いていた異質感は、このような男達が生み出しているのかもしれない。

 中條専務とは広い話、狭い話を含め、また感情の話、科学の話を含めて、ざっくばらんに、北海道メンバー、福島メンバーも交えて、楽しく意見交換することができた。そりゃ、酒も進む進む。中條専務はうんざりかも知れないが、しばしは追いかけさせてもらうおうかしら。

 酔いが軽く回り、場の喧騒が一段シフトアップし始めたころ、ふと場の空気が変わった。
ザワっと。

 まさかそこにいる、ここに来るとは思われなかった広瀬陽一郎氏がいるではないか!しかも短パン、Tシャツ!
「よっ」くらいの軽いノリで右手を挙げる。

 ビジネスではない。この面々の集まりに顔を出し、ただ、一杯を共にするために!

現る。

 私を変態と呼ぶ、変態界の総元締め(農業の話よ。性癖の話じゃない。と、思う。知らんけど)である。

 予期せぬ再会に、胸の奥に熱いものを感じる。ふと目頭が熱くなるような感情。

 農業者は経営者であり、孤独だ。
 また、同時に志を同じくするものは、時間と距離を隔てても繋がっている。
 寂しくもあり、同時に頼もしくもある日々を過ごしている。
 こんな、偶然の再会で、いや、彼が動いたことによる必然なのだが、再会をして、再び温めるものがあると、孤独をかき分けて前に進んで来たことを、心底嬉しく思うものだ。

 酒席をともにし、語らい、また、大いに飲んだ。いい加減よく飲んだので、何を話したかは定かではない。ここでは情報や理性より、感情とモチベーションを上位に据えたい。
 また次合う時まで頑張ろう。そんな風に素直に思えるのだった。

 懇親会は場所を変え、外に繰り出し、二次、三次の会へと続く。

 昼間には圃場を見学をさせていただいたFAINの斎藤氏が合流してくれた。
 1000ヘクタールプレイヤーである。
 私が新規就農をした13年前、100ヘクタールをこなせばスタープレイヤーの仲間入りであった。
 2023年。1000ヘクタールを超えるトッププレイヤーは少数ではあるものの生まれて来ている。1000ヘクタールって、何ヘクタール?ってなもんである。御殿場市の農地の総面積は、水田、畑地を合わせても2000ヘクタールに満たない。面積数字だけで言えば、土地利用型農業者は御殿場に1〜2軒で良いことになる。
 そんなトッププレイヤーと、対等に飲んだくれて語り合うのである。楽しいに決まっている。
 
 農業の将来についてなのか、近況報告か、戯言なのか、夜が更けるにつれ、内容については記憶が、より不確かさを増すが、エリアを超えた農業者達のアツい交流はひたすら続くのであった。日本は広く、また同時に狭いものなのだと、認識を改める47歳の初夏であった。
(5時半から始まり、何時まで飲んでたのか覚えてない。翌朝の柏原弟氏によれば寝たのは2時過ぎだったらしいが、最後まで柏原弟と一緒だったかも記憶していないので、詳細は不明。ただひたすらに楽しい懇親会であった)

・・・秋田編へ続く

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