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編集の仕事がぜんぜんうまくいかないから、焼肉屋のバイトで修行することにした

ぼくは普段、編集者として働いています。

経営者さんのお話を伺って、事業や思いをSNSで発信するお手伝いをさせていただいています。

それに加えて、3ヶ月ほど前から焼肉屋でアルバイトを始めました。

いちばん大きな理由は「頭でっかちになっていた」から。

当時、仕事がぜんぜんうまくいってなくて、一丁前に「編集とはなんぞや?」みたいなことに悩んでいました。

編集者は「言葉」や「文脈」といった、ものすごく概念的なものをあつかう仕事です。悩めば悩むほど、頭のなかでいろんな情報がグルグルするだけの悪循環におちいってしまい、爆発寸前でした。

「これではダメだな」「強制的に頭より手足を動かす環境に身を置かねば」ということで、飲食店でアルバイトすることにしました。焼肉屋にしたのは、焼肉が好きだったからです。

平日の日中はこれまでどおり「編集者」として働き、夜と週末は「焼肉屋」で働く生活が始まりました。

3ヶ月ほど経って気づいたことを、いまのこの感覚を忘れないうちに5つほど記録しておこうと思います。

学生のバイトリーダーから、タメ口で指示される

1つめに学んだのは「仕事で評価されているのはスキルに過ぎない」ということ。

バイト初日、学生のバイトリーダー格の子から配膳や網の替えかたを教えてもらいました。30分ぐらい簡単なレクチャーを受けたあとは、実際に接客。

その際は、バイトリーダーの子から「8番卓の網、替えといて!」「5番卓にハラミ持っていって!」などタメ口で指示をうけていました。

そのときに感じたのが「あ、世の中に"絶対的なモノサシ"なんてないんだな」ということ。

たとえば編集者としてのぼくは、インターンで来てくれている学生の子たちに「次はこの原稿の手伝いをお願いね」と指示する立場です。だけど焼肉屋に来れば、ぼくは学生から指示をもらう立場。

焼肉屋の店長は50歳ぐらいですが、焼肉屋では当然ぼくが指示をもらう側です。だけどもし、店長が明日からぼくの所属する編集の会社で働くことになれば、たぶんぼくが指示をする側になります。

環境によって、モノサシは変わる。

もっと言えば、モノサシで測れるのはその人の「スキル」に過ぎないのであって「人そのもの」ではないのだなと実感しました。

ひとつのモノサシで測られる環境に長くいると、どうしても「スキルへの評価=自分そのものへの評価」という感覚になりがちです。

バイトを始める前は、編集の仕事がうまくいかないと「ああ、ぼくという人間はもうダメだ……」と自分そのものを否定する落ち込み方をしてしまうことがありました。

いろんなモノサシを持って「評価されているのはスキル」「所詮は仕事」と割りきる。

そうやって世の中を相対化する感覚が心のどこかにあるだけで「健全に働きつづけること」がやりやすくなるなと思いました。

社長から呼びだされて直々に怒られる

2つめに学んだのは「定期的に初心者になる大切さ」です。

出勤3日目ぐらいに、はじめて週末のシフトに入ることになりました。

それまでの2回は、平日の夜。お客さんは半分ぐらい埋まっているかなという感じでした。それが土曜日になったとたん、急に満席。しかも平日はあまり来なかった「子ども」や「海外の観光客」も増えて、一気にイレギュラーな対応も増えました。

ぼくはめっちゃテンパってました。

店長から「これ運んで」とパッと渡されたお肉が、どこの部位かわからないままテーブルへ向かい始めてしまった。

着いた瞬間「あれ、なんのお肉だっけ?」と思ったのですが、いまから引き返して聞くと「まだ運んでなかったの?」と言われそうでイヤだなと思い、強行突破することを決断。

一か八か、頭にパッと浮かんだ「タンです」と言ってテーブルに置いたところ、お客さんから「いや、これ絶対タンじゃなくない?」と言われてしまいました。実際は「ハラミ」で、冷静に振りかえると「ハラミとタンは間違えるのはヤバいだろ」と自分でも思うのですが、当時はとにかくテンパっていました。

しかも間違えたお客さんが、常連かつ上場企業の社長というアンラッキー。

お客さんが仲のいい社員さんにすぐ「○○さん、この子ハラミのことタンと言って出してきたよ」と報告して、ぼくは社員さんからめちゃくちゃ怒られました。

閉店後、店長からも「分からなかったときはちゃんと確認してから出してね」と怒られました。

「ああ、気をつけなきゃな」と反省して2週間ほど働いたころ、焼肉屋を運営する会社の社長が視察にきました。「あ、社長だ」と思っていたら、社員さんから「藤本さん、社長がお呼びです」との伝令。

社長のもとへ向かうと、社員やアルバイトの子たちが10人以上いる前で「あなたが藤本さんですか。あなたの軽率な行動ひとつで、お店が潰れることもあるんだよ」とめちゃくちゃ怒られました。

同じジャンルで「初心者」の感覚を持ちつづけるのは難しい

すんごい初歩的なミスをやらかしたり、あとはできることが少なすぎてただ突っ立っているだけの時間があったりする「初心者」の感覚は、すごい久しぶりでした。

文章のお仕事は、大学時代のインターンから数えると5年ぐらい携わらせていただいています。まだまだペーペーではありますが、完全な初心者というわけでもありません。

経験を積めば積むほど、どうしても初心者の感覚を忘れやすくなります。

そうすると、新しい子にフィードバックするときの表現がすごく抽象的や感覚的なものだけになってしまったり、右も左もわからないときの不安に寄り添ったりすることが難しくなることがあります。

だけど、定期的になんらかの初心者を経験することで「そうだ。最初からできる人なんていないんだ」「最初はそもそも何がわからないのかがわからないんだ」といったことを、思い出すことができる。

そうやって謙虚な感覚を持ちつづけることは、人としての振るまいやマネジメントなどの場面ですごく役立つなと思いました。

人生で初めて「暗い人」って言われる

3つめに学んだのは「人が落ち込む理由」です。

働き始めて1ヶ月ぐらい経ったとき、仕事終わりにある社員さんから「藤本さんのこと、みんなは暗い人だと思ってると思いますよ」って言われました。

社員さんは続けて「オレは藤本さんと仕事終わりとか休憩中とかにもしゃべるから、暗い人だなって思わないです。むしろオレが知らないITとかベンチャーとかの話をいろいろ教えてくれるので、すごい面白いです。だけど仕事中の藤本さんしか見てない大半の人には、たぶん暗い人って見えてますよ」と教えてくれました。

これまでの人生で「落ち着いてるね」って言われたことは、けっこうあります。自分で言うのもなんですが「接しやすいね」「話しかけやすいです」って言ってもらうことがいちばん多いです。

26年生きてきて、初めて「暗い人」って言われました。

セブンイレブンを1日で辞める

「暗い人」と言われる心当たりは、めちゃくちゃありました。

なぜなら「暗い人」として振るまっていたからです。

学生のときの、飲食やコンビニのバイトでの失敗から「自分は不器用でどんくさい人間なんだ」と気づきました。

大学1年のときに生まれて初めてやったバイトは、古い割烹屋です。3日目ぐらいにコップを落として割ってしまい、そこで「1回目は大目に見るけど、うちの店は皿やコップを割るごとに1000円没収だよ」ってルールを知らされました。

「このままいくと、たくさん働いてもあんまりお金が貯まらなさそう」と思って「学業が急きょ忙しくなったので、今月末でやめます」と1ヶ月も経たずに辞めました。

セブンイレブンのバイトは、初日の研修でマニュアルの動画を5時間ぐらい見て「こんなにたくさんのルール、絶対に覚えられない……」とビビってしまいました。2日目の出勤時に「2週間後から急きょ留学することになったので、今週いっぱいで辞めます。短い間でしたが、お世話になりました」と辞めました。

テキパキ体を動かして、要領よく大量の仕事をさばくことを求められる飲食やコンビニの仕事とは、距離を置こうと決意したできごとでした。

怒られるために、暗くしていた

学生時代に適性があまりないことは実証済みだったので、今回、焼肉屋でバイトを始めるにあたり「めっちゃミスするだろうな」と予想していました。

もしぼくがミスを愛嬌やテンションで「てへぺろ」的にごまかす感じの振るまいをすると「あの人社会人なのに、ぜんぜん仕事できないじゃん。テンションでごまかしてるよね」って言われてしまいそうだなと思ったんです。それはイヤだった。

ミスしたときに指摘してもらうため、最初から期待値を下げるために、暗く振るまっていました。

でも社員さんから「テンション高く元気にやってもらったほうが職場が明るくなるし、ミスしたときも『ちょっとしっかりしてくださいよ!』って言いやすいから、こっちとしてはありがたい。なにより藤本さん自身も働くのが楽しくなりますよ」と言ったもらったんです。

「テンションを上げる儀式」を始める

次の出勤日から「テンションを上げる儀式」をやることにしました。

更衣室で着替えたあと、ホールに出る前にほっぺたを3回叩きながら「今日も元気に働こう!」って念じるんです。それで社員さんやバイトの子たちに「おはようございます!」って笑顔であいさつすると、本当にテンションが上がってきます。

心理学の実験かなにかで「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいと判断する」みたいな話を聞いたことがあります。「本当かな?」とちょっと疑っていたのですが、ぼくの個人的な体験としては「笑うと楽しくなることもあるな」と感じました。

この儀式をするようになって以来、たとえ編集の仕事で「失敗したなあ」「うまくいかなかったな」と落ち込んだ状態で出勤しても、着替えてホールに出てきたときには、元気に働けるようになりました。

「テンションは上がるものではなく、上げるもの」と自分に言い聞かせています。

なぜ人は落ち込むのか?

「ああ、今日の取材うまくいかなかったなあ……」と落ち込んで焼肉屋に出勤しても、5分後には元気な自分がいる。

それを繰り返すうちに「なんで急にテンションを上げられるんだろう?」って思いました。

もちろんさっきの「言動と感情のどっちが先か?」みたいな要因もあるかもしれません。だけどそれ以外の理由として思ったのは「焼肉屋には、ぼくが昼間に失敗したことを知っている人がいないからだ」ということです。

焼肉屋には、ぼくが今日の取材でうまくいかなったことや、仕事が思ったように進まなかったことを知っている人はいません。

だから切り替えがしやすいのかもしれない。

そう考えたとき「落ち込んでいるのって、まわりのためじゃなくて自分のためなのかも」と思いました。

自分がしっかり反省するために落ち込んでいるつもりだったけど、実はそうじゃなかったのかもしれない。「こいつミスしたのになんで元気なんだよ。反省してないのかよ」ってまわりから思われるのがイヤで「落ち込んだ自分」になっていたのかもしれないなと思いました。

元気なままでも反省はできるし、社員さんが教えてくれたように、まわりにとっては「テンション高くいてくれたほうが働きやすい」のです。

「自分を守るためにテンション下げているだけなんだったら、辞めたほうがいいな」と意識するようになりました。

もちろん、まだまだ落ち込んでしまうことも多いです。だけどそういうときでも「だれのために落ち込んでいるのだ?」と言い聞かせることで、落ち込んでいる時間をすこしは短くできるようになりました。

お客さんの動きを予言する社員さん

4つめに学んだのは「飲食を肉体労働って呼ぶのはやめよう」ということ。

飲食のお仕事は、体を動かす仕事ということで「肉体労働」と呼ばれることがあります。ぼく自身、飲食でバイトを始めたのは「頭がグルグルしてパンクしそうだから、体を動かそう」と思ったことが大きな理由でした。

だけど働いてみて感じたのは「めっちゃ頭を使うじゃん!」ということ。

「このお客さんはどういう接し方をされるとうれしいのか?」「このお客さんはいま何を求めているのか?」「スタッフ同士の連携をスムーズにするために、自分はどう動くべきなのか?」など、働いている間ずっと頭を使っています。

最初のころは、とにかく仕事を覚えたり指示されたことをやるのに必死でした。当時はまだ「体を動かしているだけ」だったと思います。

だけどすこしずつ慣れてくると、社員さんから「あそこのテーブルのお客さん、いまメニュー表を見てるでしょ。たぶん30秒後ぐらいに追加のオーダーをしようとするので、10秒後からテーブルの近くに向かってみて」と言われたりするんです。

実際に行ってみると、ちょうどお客さんが顔を上げてぼくと目が合い、「あ、ナイスタイミング!」みたいな感じなります。そして「オーダーいいですか?」と声をかけてくれるんです。

お客さんにベルを鳴らせたら負け

社員さんからは「お客さんからベルを鳴らされたら負け。その前に気づいて近くまで行けるようにしてみて」というアドバイスをもらっています。

それを意識するようになって感じたことは「デスクワーク=頭を使う」「現場の仕事=体を使う」みたいなイメージは間違っているということ。

デスクワークも現場の仕事も、どっちもめっちゃ頭を使います。違うのは「アウトプットの仕方」。

どっちも「頭」でどうすればいいのか、すんごい考えるところまでは同じです。そこからたとえば編集やライターなら「言葉」という概念でアウトプットする。飲食なら「表情や行動」という体でアウトプットするのが違うにすぎないんです。

バイトを始める前の「とにかく体動かそう」という期待は、いい意味で外れました。だけどそれまで編集の仕事で「頭と概念をつなぐ回路」ばかり使っている感覚だったのが、焼肉屋では「頭と体をつなぐ回路」を使うようになりました。

その結果、なんというか体全体の血の巡りは良くなった感覚があります。

いろいろと無駄に考えすぎて爆発寸前だった頭は、ひとまずおさまりました。この効果があっただけでも、焼肉屋で働き始めてよかったです。

ニガテなことは仕組みでなんとかカバーする

最後5つめに学んだのは「自分の得意なこと、ニガテなこと」です。

焼肉屋で働き始めて3ヶ月ぐらい経って、最低限の仕事はできるようになりました。

いちおう社会人を3〜4年やるなかで「覚えられないことはメモする」「間違えたところは復習する」みたいな、すんごい基礎的な仕組み化のやり方を身につけました。そのおかげで「細かい仕事をテキパキやる」といったニガテなところも、最低限はカバーできていると思います。

一通りのことはできるようになったので、最近社員さんからは「こういうやり方をすれば、お客さんにもっと喜んでもらえるよ」「こういう場合は、イレギュラーだけどこういうやり方もアリだよ」みたいな、プラスアルファ的な部分を教えてもらうことも増えました。

飲食の仕事でも「どうやったらより高いクオリティでできるか?」を目指すようになって感じるのは「自分の得意やニガテが浮き彫りになってくるな」ということ。

神戸牛をお店でいちばん売った

たとえば入社して2ヶ月ぐらい経ったころ、シェフから「いい神戸牛を仕入れたから、ぜひバシバシ売ってほしい」とホールのスタッフたちに依頼が入ったんです。

とはいえ、4切れで10,000円ぐらいしてけっこう高い。

ぼくはそのお肉を、お店でいちばん売りました。

お客さんと話しながら「この人は神戸牛を喜んでもらえそう」「こういうオススメの仕方をしたら、興味を持ってもらえそうだな」と工夫しながらやっていたら、週5でフルタイムで働いている社員さんたちよりも売ることができたんです。

「1対1のコミュニケーションは、やっぱり好きかも」と感じました。

いっぽうで、仕組み化で最低限のカバーをしているものの「大量のテーブルを並行してバシバシさばく」みたいなことは、やっぱり現時点だと社員さんに勝てないなって感じがします。

ひとつのテーブルに時間をかけすぎて、他のテーブルの対応が疎かになってしまったりします。全体を俯瞰しながら、いい感じに仕事を取捨選択をしていくのがヘタクソです。

そうやって成功や失敗をくり返すなかで、ぼくはやっぱり「オペレーション」的なスキルより「コミュニケーション」的なスキルで勝負していくほうがいいのかもしれないなと、最近改めて感じています。

目盛りのちがうモノサシを持つ

編集の環境だけに身を置いていると、ぼくより取材のうまい人なんてゴロゴロいます。

だから「ああ、おれコミュケーションダメダメだな」と思ったりする。

逆にオペレーション的なことが得意な人が身近にあんまりいないので、ぼくが「オペレーションがいちばんマシな人」みたいになります。

違う業界でも働いてみることで、より「世の中全体」に近いモノサシでスキルを相対化することができるなと思いました。

「業界のモノサシ」と「世の中のモノサシ」の両方の目盛りを持つ。

世の中のモノサシでざっくりとした得意領域を把握して、業界のモノサシで「そのなかでも特にどういう部分を磨いていくのか?」「どういう組み合わせ方をするとオリジナリティが出るのか?」を考えるイメージです。

たとえば「1対nのコミュニケーションは、もっとすごい人がいるな。自分は1対1のコミュニケーションを磨いていくのがいいかもしれない」とか「オペレーションのスキルをある程度まで磨くことができれば、コミュニケーションのスキルとかけ算して希少性が高くなるかも」とかって考える。

両方のモノサシを持つことで、自分の価値の出し方を考えやすくなるなと思いました。

20年後にこのnoteを笑って読み返せるように

26歳にもなって、まさか正社員やりながらアルバイトすることになるなんて思ってもいませんでした。

だけどその人生の予測不能っぷりも含めて、楽しく働いています。焼肉屋の社員さんもアルバイトの子たちもいい人たちばかりでフランクに接してくれるので、働きやすくてありがたいです。

  1. 仕事で評価されているのは「人格」ではなく「スキル」

  2. 定期的に初心者になって「謙虚」であり続ける

  3. 人は「自分」を守るために落ち込んでいる

  4. 飲食店もめちゃくちゃ「頭」を使う

  5. いろんな環境を経験して、自分の能力を「相対化」する

焼肉屋でバイトを始めたことで、いろんな学びがありました。

とはいえ、目に見える成果としてなにか実績を残せたわけでもなく「どうやったらうまくいくのだろう?」とまだまだ試行錯誤の日々です。

10年後20年後にこのnoteを振り返ったときに「こういうもがき方をしてた時期もあったなあ」と笑えるよう、引きつづき「編集と焼肉屋の二刀流」をガシガシやっていきます!


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