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卑下ではなく傲慢でもなく、謙虚に自信をもって、振る舞いたい

今日のnoteは、もうただの願望でしかない。

そう、「卑下ではなく傲慢でもなく、謙虚に自信をもって」、ひとに接することができるようなひとになりたい。

ただ、「人間の行動は志向するほうへ向かっていく」と、なんとなく経験則的にそういうのがぼくのなかにあるので、たぶんこれからそうなっていくんだろうなとも思う。

だからこのnoteは、決意表明というか、こうやって言語化することによって志向の強度を上げていこうというのが魂胆だ。


ぼくのパーソナリティ的なものは、基本的にタイトルにあった4語を中心にして、グルグルと回っている。

相手に敵対心を持たれないように、下手にでる。

でもじぶんがちょっとうまくいくと、少し天狗になってしまう。言動が横柄になる。

でもそうすると、じぶんはなにか配慮に欠けたことをしてしまったんじゃないかと疑心暗鬼になる。すこし冷静にまわりを見渡す。

でも傍観してるだけじゃなにもできない。もっと積極的にアクションを起こしていこうと、一歩踏み出す。

でも世の中、そんなにうまくうくことばっかりじゃない。ときには失敗もする。そうすると、「ああ、やってしまった....」と、丁寧な内省タイムがはじまる。

結果、じぶんはまだまだな人間なんだからと、下手にでる。

でもじぶんがちょっとうま(以下省略)。

(以下繰り返す)


.........とまあ、こんな感じなんだけれど、ぼくとしては、前半の「卑下」「傲慢」はできればサイクルに組み入れたくない。

「卑下」と「傲慢」は、ぼくも含めてハッピーになるひとが皆無に等しいなと、最近ようやく気づきつつある。

だから「謙虚」と「自信」の2つを、状況に応じて高速移動で使い分けられるようにしたい。


ものごとがうまくいっているときは、ついつい傲慢になりがちだ。そんなとき、ぼくはモード「謙虚」を発動する。

逆に失敗してしまったとき、卑下したほうが楽だ。でもそこをグッとこらえて、「自信」をもって、また次のチャレンジをする。


そんなじぶんにどうやったらなれるのか、具体的な方法はまだわかっていない。

でもすこし考えてみたら、「パーソナリティ」や「性格」なんて、だれが決めるんだよと思った。

国や県などから「あなたは自信をもっています!」とかって、認めてもらうのだろか。

いや、違う。

じぶんの唯一の認証機関は、じぶんだ。

つまり、「謙虚と自信を兼ね備えた人間」になるための唯一にして最大の方法は、「じぶんは謙虚と自信を兼ねそねている人間なんだ!」と言い聞かせて、そのように振る舞うことしかない。

他者からの「性格判断」は、じぶんの「行動」という結果によってでしか下されない。

ぼくの大好きなマンガ『おおきく振りかぶっって』でも、たしかそんなことを言っていて、当時ブログに書いたおぼえがある。

参考:「”性格”は先天的と後天的な要素、どちらが大きいか?」という議論は、なんかズレてると思う

かと思ったら、「”謙虚さ”と”自信”の高速移動と使い分け」についても、以前ブログに書いていたことを思い出した。

参考:富と名声を得るには、武藤遊戯になる必要があると思う。

ちなみにこっちは、ぼくが約2年前に書いた、ブログ処女作だ。

つまり、ぼくは2年前から、同じようなことを考えていたってことか。

人間が変わるのは、多少の時間を要するのかもしれないな。


朗報があるとしたら、2年前のブログは、書ききるのに1ヶ月かかったんだけど、今日は30分くらいで書き終えたことだろうか。

変化っていうのは、明確な線というよりはグラデーションで、ふと振り返ったときに「あっ、そういえば」と気づくものなのかもね。




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