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#019_高校生のぼく「物理のテストがあるから教えて」 父「その本は間違ってるからダメ」

ぼくの父親は物理学者(大学の先生)でした。

高校生のぼく「物理のテストがあるから教科書のここ教えて」
父「その本は間違ってるからダメ」

というやりとりを今でも鮮明に覚えています(笑)。
いまから思えば、父にとってニュートン物理学はいわば「天動説」のようなもので、とっくのむかしに相対性理論に役割交代したふるい学問を教えろっていわれても .. という出来事だったわけです。

ニンゲンの素朴な体験を信頼に足るモノサシとして構築されたナイーブな学問が天動説だとすれば、素朴な経験則にひそむ有意の矛盾を発見して「それが矛盾ではないとしたら、経験則のほうに致命的なバグがあるのではないか」という探求が地動説をつかみとったわけです。

ニンゲンが身体感覚あるいは身体性のメタファーとして認識することが出来ない宇宙の真理をつかもうとする試みが現代物理学です。

この関係がなにに似ているかというと、倫理や道徳と、ヨガや原始仏教の関係に似ている。乱暴な分析ですが、イスラム教やキリスト教や大乗仏教が人間の生(現世のいとなみ)に寄り添うのに対して、ヨガや原始仏教はライフスパンを超え、経験則を超えた普遍に照準を合わせます。


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