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パーソナリティ障害とアーティスト

最近パーソナリティ障害について調べています。
これについては本よりもYoutubeの方がいい気がして、精神科医とか臨床心理士などのYoutubeを観ています。
プロの本よりもプロの生の説明の方が分かりやすい気がするので。
もちろんあまりに作り込んでいる動画や、そもそもあなたはその道のプロなのか?という人の動画は観ませんが。

あれこれ観ていて、『自分もちょっとこの傾向あるなー』とか、『昔はそれあったなー』などなど自分を解読するようで楽しかったり苦しかったりするのですが、アーティストやクリエイターという縛りで考えると別のものが見えてきました。
その辺について素人ながら考えを書いてみたいと思います。
以下「アーティスト」とは、あらゆるジャンルの創作、パフォーマンス等に関わっているアマチュア~プロのことです。

賞賛を求める

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の特徴として、「賞賛を求める」というのがあるそうです。
まあ誰しも少なからず持っているものでしょうが、NPDの人は自分が賞賛されないと怒ったり誰かを攻撃したりするそうです。
確かに、そんな人は過去にいました。
ではアーティストはどうでしょう?
この特徴において、健全な方よりは間違いなくNPD寄りだと思います。
作品を発表したりパフォーマンスしたりするのは、当然賞賛されたいからですし、それが受けられないとアーティストはがっかりします。
アーティストであれば自分の作品やパフォーマンスが評価されなくて憤ったり、中には怒り狂って何かに当たったり、他人を攻撃したことがある人も少なくないと思います。

誇大的空想

NPDの人は「自分は特別だ」「選ばれた人間だ」「自分は才能がある人間だ」と空想するそうです。
普通に考えたらかなりイタい人ですが、アーティストなんて全員これでしょう…。
そう思ってなかったら芸術なんてやらないし、できません。
ただ、NPDと違うのは、実際にアーティストとして活動し、創作したりパフォーマンスをしたりしているところでしょう。
NPDの場合は口だけで行動は一切しないようです。
何もしない、何も生み出さないのに頭の中では自分を特別視し、しかもそれを他者に公言するのがNPDだそうです。
もちろんそこには誰でも分かる矛盾があるはずですが、当人は気づかないみたいです。
これを「認知の歪み」と言うそうです。
……これもアーティスト、特にまだ結果につながっていない人にはありますねえ。
誰も知らないのに「自分は凄い、特別だ」と思っているアーティストはゴロゴロいます。

共感性の欠如

サイコパスの代表的な特徴として挙げられますが、NPDにも見られる特徴として必ず説明されます。
人の感情が分からないということです。
一般社会ではアウト中のアウトですが、アーティストとしては必須感覚である気がします。
特に小説や漫画などの物語を作る人は、誰よりも深い共感性と、誰よりも冷酷な共感性の欠如が絶対に必要となります。
共感性のみではキャラクターに残酷な仕打ちができないし、読者を地獄にたたき落とすような表現ができないので、物語として浅い、つまらないものにしかなりません。
音楽においても、偉大なアーティストは皆が求めているものを無視したり、あえてそれと逆のことをする傾向があります。
それがニュースタンダードとなり、より大きな共感を生むという現象もしばしば起こります。

理想化とこき下ろし

これは境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴だそうです。
ある人を理想化し、運命の相手だとか、一生の親友、一生の師、我が救世主!と思い込んだかと思うと、何かのきっかけで同じ相手を「最低」、「クソ野郎」といった風にこき下ろすことだとか。
アーティストの皆さん、胸がチクチク痛みませんか?
恐らく全員、あるアーティストに対し「理想化とこき下ろし」を過去にしたことがあるはずです。
僕もしたことがあるし、されたこともあります。
じゃあ、アーティストの「理想化とこき下ろし」ってBPDが原因かというと、それはまた違う気がします。
僕も精神科医の動画を観ていて『あー、俺ってもしかしてBPDなのかも?』と思う節がある一方で、BPDの顕著な特徴が全然当てはまっていなかったりします。
「理想化とこき下ろし」は、アーティストが認識を鍛えて一人前になっていく通過儀礼である気がします。

見捨てられ不安

これもBPDの特徴です。
BPDの方は相手から見捨てられるかもしれないという不安を常に抱えているそうです。
その一方で、相手を傷つけるようなことを平気でする。
で、その相手が愛想を尽かして去っていこうとするとしがみつく……。
いわゆるメンヘラ的行動ですね。
これはちょっと違うかもしれませんが、アーティストは常にファンに対して見捨てられ不安を抱えています。
今自分のファンでいてくれる人たちは、すぐにどこかに行ってしまうのではないか?
自分よりもっといいアーティストの方に行くんじゃないか?
そんな不安を全く持っていないアーティストはまずいないでしょう。
そして、見捨てられないためになりふり構わず活動していきます。
こういった行動や精神構造は個人的にBPD的な気がするんですが、実際はどうなのか専門家でない僕には分かりません。
ちなみに僕も見捨てられ不安はありますが、去ろうとする人にしがみついたり追っかけたりすることはないですねえ……。
もちろん攻撃もしません。
たまに去ろうとする人に「あっさりしすぎ」と文句を言われることもあります。

回避行動

こちらは回避性パーソナリティ障害(以下AVPD)の特徴です。
AVPDは個人的にちょっと分かり辛くて、あと誰でも当てはまる要素があるのでちゃんと飲み込めてはいませんが、やはりアーティスト、特にアマチュアの方に結構当てはまる気がします。
症状としては、「批判・非難を恐れて行動を回避する」「どうせ自分なんて…と行動を回避する」「リスクを恐れて行動できない」などがあります。
これってアマチュアアーティストのある意味典型ですよね?
十分な技術があるのに批判・非難を恐れて表だった活動をしない、アーティストになるのが夢だけどリスクを考えると一歩踏み出せない……というのはもうアマチュアあるあるです。
ギターで言うと、曲は弾けるようになったけどコメントが怖いから動画も上げられないとか、店員や客の目が気になって楽器屋で試奏できない……という人。
こういう人はAVPD気味なのでしょうか?
「知らないやつのコメントとかどうでもいいわw」とか「試奏は楽器の質が知りたいだけだし、店員や客がどう思おうが知らん!」と言う人はAVPDの気質はないんでしょうが、それはそれで上記の何らかのPDの傾向はあるんでしょう。

希死念慮

「消えたい」「楽になりたい」とか、強いものだと自殺を考えるというが希死念慮です。
BPDやAVPDなどに多いようです。
これもちょっと違うかもしれませんが、「死について考える」「死を想像する」という文脈でいうとアーティスト、特に小説や漫画、あるいは役者なんかは必ずそういった作業にあたることになります。
これは僕も経験があるんですが、小説でキャラクターの死について書いているとき、言葉では説明できない異様な精神になっていきます。
音楽でいうとそれこそデスメタルなんて死をテーマとしたジャンルですからね。
デスメタルと希死念慮がどれくらい関係性があるのかは知りませんが。
芸術と死はかなり近いところにあるというか、ある意味では一体なので、それとPDの関係性はちょっと気になります。

反社会性パーソナリティ障害

最後に、アーティストそのものといっていいPDとして反社会性パーソナリティ障害(DPD)を上げておきます。
特徴としては、

・社会の規範を破ることに罪悪感がない
・他人を欺いたり権利を侵害することに罪悪感がない

まるでアーティストの自己紹介のようですね……。
特に「社会の規範を破ることに罪悪感がない」という点は、そうじゃないとアーティストなんて絶対にできませんからねえ。
「社会の規範」というとなんか分かり辛いかもしれませんが、例えばこれを各分野の常識や慣習、セオリーと捉えてみたらどうでしょう?
業界の慣習に従った常識的な曲を作り、それをセオリー通りに演奏して果たしてアーティストになれるかというと、まず無理だと思います。
ですから、アーティストになるためには「社会の規範」を破ることが絶対に必要だと言ってもいいでしょう。
もちろん最初は罪悪感が伴ったり、「失敗した!」「やめときゃよかった」という後悔や自責の念が伴うかもしれませんが、そこで成功体験を積むとだんだん麻痺してきます。
また、「権利の侵害」は別として、「他人を欺く」という点もアーティストには絶対に必要です。
音楽理論で言うと偽終始なんかは正にそれです。
推理小説なども読者を欺くためのトリックが張り巡らされています。
あとマジックもそうですね。
つまり極論すれば、アーティストとして一人前になるためにはDPDになる必要があるということです。

パーソナリティ障害のないアーティストなんているのか?

と、素人目線で簡単に考察しただけですが、パーソナリティ障害はアーティストには必須である気がしてなりません。
時にNPDなんて全くなかったらそもそもアーティストなんか目指さないだろうし、AVPDもアマチュアからプロに一歩踏み出すある種の通過儀礼として重要である気がします。
また、一人前のアーティストになり、そこで生き抜くためにはDPDである必要があります。
ここで疑問が生まれます。
そもそものPD気質がアーティストを生むのか、それともアーティストを目指すからPDになっていくのか?
これも素人の私見ですが、芸術とPDの間に強力な依存関係があるような気がします。
芸術は社会の中で最もPDに寛容な場です。
おかしな人格を持った人も、アーティストだと知れば「あ…」とぎりぎり受け入れられますし、場合によってはPDと作品がセットでステータスとなりお金を稼げることもあります。
また、芸術そのものは社会規範や道徳、常識とは無縁であるため、芸術がその人の持つPDの種を芽吹かせ、咲かせることも多々あると思います。
PDは芸術に居場所を求め、芸術がPDの種を育てる……こういう相互関係は確かに見られます。
アーティストとPDの関係性は、たぶん一般的なPDと別の文脈で紐解かないと分からないのではないかと思いました。

アーティストはPDを治療するべきか?

自分で言うのもアレですが、僕は僕なりに自分のおかしなところは理解しています。
ある程度は原因も突き止めてあります。

ただ、心療内科は今のところ一度も受診したことがなく、たぶんこれからもしないでしょう。
なんでかというと、自分のおかしなところを治してしまったら、今後芸術に関わることができなくなるという確信があるからです。
今後しばらくは小説を書くつもりですが、はっきりいってまともな精神では小説なんか書けません。
これは何千何万人の前でパフォーマンスするミュージシャンやダンサー、防音室で1日の大半を過ごすエンジニア、数ヶ月ごとに別の人間になる役者など、全てのアーティストに共通していることでしょう。
そう考えると、程度はどうあれ、PDを治療するべきでない患者というのは少なからず存在するのではないかと思えてきます。

全部素人意見ですから

とまあそれっぽい考察をしていますが、改めて僕は精神疾患に関しては完全に素人です。
鵜呑みにしたり信用しないでください。
言っていることは矛盾していますが、生き辛さを感じている人は早めにプロのクリニックを受診しましょう。
ただ、アーティストを目指している人は、その生き辛さがそのまま自分の芸術となり花開くこともあるというのを知っておいてもいいでしょう。

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