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[ちょっとしたエッセイ]「ワレ想う故の90年代」vol.04

 さて、1990年代とは、みなさまにとってどんな時代だったでしょうか。
 もちろんその時代を知らない方もいるでしょう。僕からしたら80年代以前はあまり知らないわけだし、知らない時代は、ずいぶん昔のことだよなと思ったりもするので、まぁそのへんは人それぞれの感じ方に任せて、ひとえにその10年間に青春を迎えた自分としては、非常に懐かしいと思う反面、これが案外そんな昔でもないなと感じてしまいます。
 それは、たぶん、自分の根底をつくった時期だから、今でもそれに基づいた生活をしているからでしょう。そしてその時間は、青春期に置き換わり、だいたい行動原理の裏に女性の影があって、それに右往左往したような記憶ばかりが自分の頭に刻まれています。この僕にとっての90年代をまたここに綴りたいと思います。

ロックとともに死す

 あの頃、僕に渋谷はある種の夢の国だった。センター街を抜けた宇田川町には、いくつものレコード屋が点在していた。当時、レコードはひとつのステータスでもあった。DJのような職業も定着し、多くのクラブでミラーボールとダンスミュージックの渦に身を任せて、踊り狂った。しかし僕は、どちらかというと、ダンスミュージックよりロックが好きだった。でも時代は、ロックには少し厳しくなっていて、潮流は僕を置いて行こうとした。少しでも向こうの音を探し求め、雑誌を読み漁ったそんな時代。
 レコ屋の雑踏の谷間にある雑居ビルに入る小さなお店が僕のお気に入りだった。そこには、海外のテレビ番組やライブ音源がブートレグとして日本に輸入され、並んでいた。僕は好きなバンドのブートレグを漁りまくっていた。そしてスマッシング・パンプキンズが出演するライブイベントのVHSを見つけて、即購入した。
 帰り道、僕は当時親しくしていた女性(僕の些細なミスで連絡が途切れた色白の子だ)とこの辺りを歩いていたことを思い出して、少しセンチな気分に浸っていた。ビリー・コーガンの鋭く突き刺さる声を耳で聴きながら、オルガン通りからチェルシーホテル(ライブハウス)の脇を入り、仲屋むげん堂を抜け、思い出のカフェに入る。「モボ・モガ」という名のカフェは、細い階段を上がり、天井の低い小さな空間。ここのバナナジュースが僕の中での最上のごちそうだった。
 窓から見える、ビルの雑踏。買ったばかりのVHSのビニールをはがす。コピー用紙に印刷したであろう雑なパッケージには、画像の粗いビリー・コーガンのシャウトしている写真が切り抜かれている。裏面を見ると、グラストンベリーなどといったライブフェスやBBCなどの音楽番組から抜き取られたであろう楽曲が列挙してあった。
 時は1998年。僕は大学に入ったばかりの腑抜けた時期で、友だちもまだ少なかった。「ブリットポップは死んだ」と言ったのはBlurのデーモン・アルバーンだったが、急速に世界からロックミュージックが縮小し、ロックミュージシャンは生音のサンプリングや打ち込みなどを多用したビッグビートやエレクトロニカといったサウンドが広がって行った。僕もそんな時代の潮流には逆らえず、耳はそれらの音を求めていた。しかし、まだまだ心によりどころとなるのは、多感な時期に聞き込んだロックだった。
 そんな懐かしさとよりどころにすがる気持ちは、いつでもその欲求をくすぐり、僕を渋谷に向かわせた。

1979年の退屈

 ジャリジャリとした氷にまとわるバナナの粘着性。僕はこれにとても心を奪われていた。もう一緒に来ることのできない彼女のことを思いながら、ポータブルのCDプレイヤーのボタンを押す。やさしいギターのリフが流れてくる。目を瞑り、口に残る甘い余韻を楽しみながら、スマパンの曲に聴き入っていた。すると、イヤホンを突き抜けて、急な喧騒が訪れた。ぱっと横を見ると、テーブルから流れる液体が見えた。それにため息をつく女性。
「はあ、もう最悪」
その時、僕の目に入ったのは、彼女が来ていたTシャツだった。ZEROと書かれたそのTシャツはまさしくスマッシング・パンプキンズのものだった。
「あ」
 僕の言葉にその女性はこちらを向く。
「ねえ、お兄さんおしぼり貸してくれる?」
 言われるがままにおしぼりを差し出す。騒動がひと段落すると、改めて彼女はこう言った。
「ありがとう」
「え、あ、はい」
 なんとも歯切れの悪い言葉だ。そしてまた彼女のTシャツに目がいってしまった。
「え? なに?」
 確実に胸を凝視されたと思っただろう。まことに情けない。すぐに謝って手元のバナナジュースを飲み、VHSを今一度まじまじと眺める。
「ねえ、お兄さん、スマパン好きなの?」
 突然の願いもしなかった言葉に、驚いた。
「あ、はい」と言い、言い訳がましくVHSを見せつけるように手前に掲げた。
「だから私の胸見てたのね」
 やっぱり胸を見られたのかということに、顔から火が出るようだった。
「私も好きよ」
 テーブルに置いてあったタバコに火をつけて、こちらに微笑んだ。そこからしばらくスマパンについて話しをした。アプローチは僕とは全然違ったが(彼女はハードロックから入り、僕はグランジやUKから入った)、結論としてスマパンが好きなことには変わりなかった。ただ、この1998年は、彼らはバンドの過渡期となり、ひいてはその2年後には解散することとなる。偉大なバンドは、あっけなくその終わりを迎える。でもそんなことを知らない僕らは、好きな曲を好きなように語った。
「やっぱりさ、私は1979にグッとくるのよね」
「僕は、Geek U.S.Aの激しさが好きだね」
「そこはやっぱ男の子だわ。せめてTodayとかDrownとか持ってきて、女の子に合わせないとね」
「え〜。でも1979は僕も好きだよ」
「なんで?」
「僕の生まれた年だし」
「そんなの? 私も」
 なんと彼女とは同い年だった。それだけである意味奇跡だった。1979という曲自体に、その年のことは触れられてはいない。でも、言えるのは、幼いビリー・コーガンが見た景色や思いが歌詞に詰まっている。その同じ時を共有していたことが、なによりこの瞬間、幸せなひとときだった。

 彼女とは、その後店で別れたっきりだ。でも当時は比較的そういった一期一会的な出会いは多くて、今のようにLINEであったり、SNSであったりの交換はもちろんなかったし、携帯電話を持っていない人もまだ多かった。という僕も携帯は持っていなかった。最後に交わした言葉が、
「今度、そのビデオ貸してね」だった。
 無論、その約束が果たされることはなかったし、その発言自体に約束が含まれていたわけでもなかった。
 今でも「モボ・モガ」はある。たまにふらっと近くに行くと思い出す。その甘い香りは、バナナのせいか、彼女のせいかと考えながら、僕は1979を聴くのだ。


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