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[ちょっとしたエッセイ]「かつて」なんて言うなかれ

先日ふと渋谷に降りた際に、東急側の変貌に目眩がした。
宮益坂付近はなんとなく記憶の通りなのだが、六本木通りの方面は大きく変貌していた。

愕然、愕然。

渋谷にヒカリエができたことは知っている。これまでの東横線の改札、ホームがなくなったことも知っている。概ねそれだけを知っていれば、渋谷の変化にも対応できると勝手に判断をして、完全に油断をしていた。無知からなる驚愕を目にしてしまったわけだ。数カ月に1度は渋谷を訪れてはいたものの、大体用事がハチ公口側であったことも手伝い、渋谷を完全に舐めていた。

ここで心に語りかける。
「もう知っている渋谷じゃない」

見知らぬ街をただただ歩く。今回の用事は南平台方面だったので、六本木通りにかかる歩道橋を見つけてほっとする。しかし登り切れば、目にする景色が違うことにまた眩暈がする。歩道橋から見える山下書店で友人や恋人とよく待ち合わせた。その方角へ顔をやると立派なセブンイレブンになっていた。
渋谷の書店はどんどん減っている。公園通りの大盛堂をはじめ、ブックファーストも旭屋書店も、次々と消えた。20代の頃、小さな出版社に勤めていた時によく営業に行った店はもうない。そして、あの頃待ち合わせのために立ち読みしていた山下書店もなくなった。
それだけで心のキャンパスに次々と穴が開いていくのだが、もう仕方がない。ため息まじりに、思い出にすがりながら、歩道橋を降り、現セブンイレブンの脇をとぼとぼと歩いていく。

ほらあった、渋谷川。
ここはそうそう変わりはしない…と思った矢先に広がる、なんとも贅沢なスペース。おしゃれなカフェが並び、優雅にコーヒーを飲む大人たちがくつろいでいた。当時は川を背にした建物が多く、川沿いなんてものはなかった。かつては、ドブ臭い匂いが漂い、タバコと空き缶が転がる場末の小道。学生の頃は毎週のように、この辺りにあったライブハウスに通っていた。そんな景色は、もう影すらない。
赤いタイルの小さなビルのまわりにたむろし、出入りする売れないバンドマンに無意味にサインをもらい、一緒に酒を飲む。たまにデモテープをもらっては、学校で友人たちと聴き回し、また赤いタイルのビルへ。すぐにスマホを出して、ライブハウスの名前を検索した。
「2009年閉店」
そっか、そりゃそうだよな。自分を納得させるしかない。

現実の光景を目の当たりにして、スマホに映るかつての渋谷川の写真と比べてみると、サステナブルでSDGsな世の中のありようが今ここにあることを実感する。ゴミすら落ちていない、きれいに舗装させた道。タバコの匂いすら似つかわなくなったこの場所は、ありし日の渋谷川ではなく、未来志向で友好的な場所へ変貌してしまった。

でも、これは勝手に思い出にひたる自分の落ち度なのかもしれないと思った。そんなに現実が悲しいのであれば、なぜ大人になってからも通わなかったのか、そして極端なところ、再開発に非を唱えなかったか。
そういう話になるのかもしれない。いや、なるだろう。この話をかつての仲間に、酒の席で話せば思い出に花を咲かせることもできる。
身勝手に閉じ込めたこの場所の意識をいまさら掘り上げたところで、20年の時がそのままであるわけなかろう。

「勝手に変わってごめんね」

君が謝る必要はない。
僕だってこの20年で大きく変わってしまったよ。ピアスはしなくなたったし、タバコもアイコスに変わりました。お互いに必要な変化だったんだ。だから悪く思わないでくれ。こちらこそ、ごめんね。興味がなくなったわけじゃないんだ。いつだって君の話には花が咲くよ。
君が僕のことを覚えてくれていただけで、声をかけてくれただけで、それだけでいいんだ。

僕は周囲の変化に敏感なくせに、自分の変化には本当に無頓着だ。だからいつでも自分が情けない。ちょっと謝られただけで怯んでしまう。

渋谷の午後。
木漏れ日の中でコーヒーをすすることにした。

「よかったじゃないか。前と違って川を中心に人がたくさんくつろいでいる。川を背にした建物はすべてなくなったのだから」
大人になった今だから、こんなことも言えるようになったよ。

「あなたの変化もそこそこすてきよ」
そう川の方から聞こえるやさしい声が、僕を笑顔にした。

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