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少年、カーキ色のエプロンを手に入れる

甥っ子と私の同居人がキッチンに立つとなかなかこちらに戻ってこない。マンツーマンの調理実習が繰り広げられているからだ。

私と父、甥っ子の母である妹は、お先にビールで楽しくやっている。

肉の焼ける匂いが漂ってくる。もう間もなく、大皿がこちらにやってくるだろうか。

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久々に甥っ子に会ったのは中学2年生の頃だった。砂漠の穴に暮らす小さな生き物のようにひょろっとしていて、顔は青白く、小さい声でぼそぼそと話し、髪は寝ぐせで跳ねていた。

同居人はなんだかんだで面倒見がいい。甥っ子はラッキーだ。
元気を出してもらおうと企画した調理実習の初回、同居人は彼にカーキ色のエプロンをプレゼントした。

キッチンに2人並んで甥っ子の大好きなビーフカレーを作る。包丁をほとんど握ったことのない彼に、同居人は丁寧に段階を踏みながら玉ねぎのみじん切りを教えていく。

同居人の腕前はなかなかのものだ。彼もまた子どもの頃に、コックだった彼の父から技術を教わっている。

料理とは化学変化である。適切に下ごしらえをして、セオリーに則って過不足なく火を通した肉のなんとおいしいことよ!

「うまいうまい」とカレーを平らげた甥っ子。そりゃそうだよ。

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調理実習を繰り返す2人。

料理というものについて、甥っ子には何の考えもなかったのではないか。もしかすると「時間になるとふわふわと空中からごはんが出てくる」くらいの感覚だったのかもしれない。

彼は、人生のしかるべきタイミングに、目の前で鮮やかに料理を作る身近な男性に出会ったのだ。

キッチンに貼り付いて、前のめりで同居人の手元を見つめる甥っ子。少なくとも、料理は「嫌いじゃないかも」と思っているだろう。

そして何より、焼きたての肉は信じられないほどおいしい。

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キッチンに並ぶ2人の様子を80歳の父がにこにこと眺める。「オレにはできないことを教えてくれた」と満足そうに熱燗をちびり。

父もまた「うまいうまい」と孫の焼いた肉にかぶりつく。

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甥っ子は毎回楽しそうに料理を作っていたが、それでいて料理にハマった様子はまったくない。料理が好きというより、同居人に懐いているのだろう。

「家でもたまに作るんだぞ」「うん」

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後日、玉ねぎのみじん切りを甥っ子にやらせてみると、工程を丸ごと忘れて教え直すことに。

しかし、それでも構わない。野菜の切り方、火の通し方の基本はそれなりに経験させている。

「料理はカッコいい」
「食べたいものは自分で作れる」
「できたての料理はおいしい」

何でもいいからポジティブな印象を持って、彼がキッチンに心を開いてくれたなら、今はそれで良しとしよう。

これから先、何かのきっかけで彼がキッチンに立ったとき、記憶の中の手の動きや、音や色や匂いの変化を手がかりにしてくれたら、私はうれしい。

料理は教養であり、生きるための技術である。調理の経験は一度たりともムダはなく、全てが一生ものの財産だ。いつか必ず彼のことを助けてくれる。

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お互いに新しい生活が始まり、最近は甥っ子とあまり交流がない。

それでも何回か、オンライン授業で家にいる日に作った昼食の写真が妹より送られてきた。卵焼きや野菜の入ったうどんはどれもおいしそうだ。

夏の初め、久々に会った甥っ子は背が高くなっていた。入学まで随分待たされたが、月に数回ある登校日を楽しんでいるようだ。

真新しい校章入りのポロシャツを着た彼は相変わらずふにゃふにゃしているが、それでも少しずつ彼の世界は広がっている。


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