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『三日坊主』の種

三日坊主は「何か」にハマらせて、3日で飽きさせる妖怪。

なんでそんなことするかというと、
「何かに夢中になる」という熱意というか、意思が食料だから。


だから3日経つと、ハマっていたものに向けられていた熱意が消える。


飽きる。


そんな妖怪。
そんな妖怪がいると思ったのは、自分が飽きっぽい性格だから。
愛がうつりやすい質をしている。

大切だったものが、飽きた瞬間ゴミになることを知っているから。

そこに寂しさを感じる。
もし、その寂しさを永遠に繰り返してしまう人間がいたなら。


それが三日坊主マン(仮)。


三日坊主マンは三日毎に三日坊主に取り憑かれてしまう人間。
だから四六時中、何かにハマっている。

ただ三日間は一生懸命にハマるので、「中途半端に出来る」ことが多い。


だから奥が深いものにはてんで向いてない。
三日坊主マンのまわりにはいつも物が溢れている。
三日坊主マンにとってはもはやゴミに成り果てた物たち。


かつて愛した物たち。


ある時彼は写真にハマる。

映し出される、風景、物、人、人、人。


なんだか妙に写り込んでいる女の子がいる。


でも三日坊主マンは気にもしない。今ハマっている物は「写真」だから。
でも、それも3日で終わり。夢中になった三日間はなかったことになる。

ところが、その後
彼のルーティンが崩れる。

待っても待っても、次の三日坊主が取り憑いてこない。


生まれた時から自分で何かを選択することがなかった彼は混乱してしまう。
自分が何をすればいいかわからなくなる。


何かに夢中にならなきゃいけない。

そんな強迫観念に突き動かされて、彼が見つけたのは。

よく見かけた、あの子だった。

ギターを弾いてた時1人立ち止まっていたあの子。
タップを踏んでいた時、手を叩いてくれたあの子。
写真を撮っていた時、よく写り込んでいたあの子。

「僕が何かにハマるなら。あの子がいい。」

あの子を探そう。


「歩く。歩く。歩く。
見る。見る。探す。あの水仙みたいな姿を。
聞く。聞く。探す。あの風鈴が笑うみたいな声を。」


あの子をどうやったら愛することになるのか考える。


前に取り憑いた三日坊主はギターを愛していた。
あの子は弾けない。

前に取り憑いた三日坊主は海を愛していた。
あの子は渡れない。

前に取り憑いた三日坊主は本を愛していた。
あの子は読めない。

前に取り憑いた三日坊主はチョコを愛していた。
あの子は、

食べられそうだ。

あの子を愛しに行こう。



三日坊主は影法師。
何にも興味が持てない自分自身への欲求。

オチの一つとして、生きることに飽きてしまう三日坊主マンがいてもいいかもしれない。
ネガティブな印象でなく、精一杯生きる三日間があってもいいと思う。

オチには雨が降っているイメージが常にある。
恵みであるし、洗い流すイメージの雨。
梅雨は浄化期間な印象。


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という、四年前の雑記。

結果できた本からは恋愛要素抜いたけど。

おかげでもう少しマイルドになった。
絵本感が増して個人的にはお気に入り。

ただ音照に割く頭のリソースがなさすぎて全然満足できる出来ではなかった。
もう一回やりたい演目の筆頭になっている。

次は恋愛要素を復活させてみようかしら。


恋愛要素。
すごく苦手。


克服の意味でも一度ちゃんと考えてみよう。



日々の雑記でした。

悪しからず。

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