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「隠す」という動詞と伏線と風姿花伝

昔から忍者やスパイに憧れていた。現実のキラキラした光ではなく、よく見えないモヤモヤした影。アンチなものの方により惹かれたのかもしれない。隠れたものの存在。「隠す」という動詞から「伏線」を連想した。映画や小説など、ストーリー物の解説によく使われるようになった言葉。製作者は伏線を配置し、鑑賞者は伏線を回収する。まるでオリエンテーリングのように。この伏線の配置は「隠す」ことだ。見え過ぎてもいけなしし、見えにくくてもいけない。微妙な差配がそこにある。差配しだいで躍動感や面白さが決まる。レトリックの隠喩も同様だろう。古の芸能界で世阿弥はこう語る。「秘すれば花なり」。秘めるからこそ花になる、 秘めねば花の価値は失せてしまう。 隠し事はよくないかもしれまないが、隠しておいたほういいこと、黙っていたほうがいいこともあるのだ。だから、「黙る」もすぐ横に鎮座させておきたい。「盛る」が主流の時代だからこそ、ひっそりといきたくなる。

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