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しょうもないボクらの原秀則論。


ああ、原秀則。原秀則よ。

いつか語らねばなるまいとは思っていたけど世代的に避けて通ることができないマンガ家。それがボクにとっての原秀則だ。最新作「しょうもない僕らの恋愛論」はどうしてこの路線にもっと早く戻らなかった?と思う久々の恋愛モノだったけど、80年代後期に少年誌から青年誌にシフトチェンジした第1作「冬物語」、続く「部屋においでよ」で同棲もの、「バクマン」より10年以上早かったマンガ家青春譚「いつでも夢を」とビター風味の作品を連発していた頃、なんとなく単行本が出ると買っていた。シューカツものの「SOMEDAY」あたりまでは買って揃えていた気がする。

スピリッツでやっていた「やったろうじゃん」、「青空」の野球ものもよく読んでいたし、その前身的作品で少年サンデーに連載していた「ジャストミート」もチェックしていたな。次作「マイペース風太郎」ぐらいまではふんふんと読んでいた気はする。増刊サンデー連載のミニFM局を舞台にした「とりあえずON AIR」は今でも単行本持ってるな。

原秀則って、高橋留美子やあだち充、島本和彦とはまったく異なる作家だと思ってるんですよ。たとえば、るーみっくわーるどもあだち充もちゃんと先人達への多大なるリスペクトが作風ににじみ出ている。島本和彦も自伝的作品「アオイホノオ」を読めばわかるようにマンガ、アニメ、特撮映画などなど好きなものを全部ぶち込んで自分なりの作風を作り上げた作家だ。

ボクは原秀則作品から感じるのはいい意味で時代に流される作風ってこと。あだち充や柳沢きみおらの描くラブコメ市場にちゃんとマーケティングして参入し「さよなら三角」を描き「らぶらぶポリス」を描くといった具合に。「冬物語」のあとに描かれた「部屋においでよ」はボクが思うに原秀則なりの当時全盛を誇っていたトレンディドラマへの返答だったと思うし、アンハッピーエンドで迎えた結末も見事だった。

そういう意味で考えたときに原自身のターニングポイントでもある「冬物語」って異色なんですよね。どうしてこの時期に予備校生を主人公にした作品を描いたのか。90年代初頭に発刊されたマンガ家インタビュー集「おれのまんが道」(当時少年サンデーに掲載されてたんですよ)で原はこう答えている。
「自分のことを描こうよ!それができたら最高だよ!」と当時の担当編集に言われたんですよねと。

「さよなら三角」や「ジャストミート」で見られる軽快な登場人物のやりとりは影を潜め、ただただ陰鬱なムードが作品全体に漂う。そしてそれは最後の最後まで続いていくし、明朗なハッピーエンドとはなかなか言えない結末でもある。頑張れば報われるなんて話でもないし、身分相応、頑張ればそれなりの結果は得られるよ、ただしそれなりのぐらいのローテンション。でもそれがこの作品に圧倒的なリアリティを与えてるのも事実。まだ受験戦争なんて言葉がまかり通っていたあの時代。現役では三流大学も落ちた主人公、予備校で好きになった女には東大生の彼氏がいて、「彼氏が東大だからあたしも東大目指すの」、じゃあってんで三流大落ちる偏差値で「ボクも東大目指すよ」と。そこにあらわれる第二の女ってストーリー、今でも全然通用するじゃないですか。

そんな青春フニャモラ譚路線もシューカツものの「SOMEDAY」あたりまで。次作「シーソーゲーム」はラブコメ回帰だが短期連載で終わるも、「レガッタ〜君といた永遠〜」でヘヴィな要素も絡めての青春群像劇で息を吹き返すが、そのれ以降なんと武論尊と組んでの「G-GOKUDO GIRL」(ほんと意外な組み合わせだった)、電車男のコミカライズとそれまでにない方向へ舵を切り出したのは驚いた。「ほしのふるまち」で地方を舞台にした恋愛もの、モバイルコミックで「駅恋」といったオムニバスものを経て「王様のホームタウン」、「バンクーバー野球軍」、「ハートボール」を経ての今回「しょうもない僕らの恋愛論」である。ようやく原秀則な世界が戻ってきた。しかもビッグコミック。正しい、実に正しい。かつてヤングサンデーを読んでた読者を、って考えれば連載の舞台はここしかないじゃないですか。

もちろん「王様のホームタウン」以降、野球ものが続いた理由はわかる。「ジャストミート」、「やったろうじゃん」、「青空」といったヒット作を持ってるわけだし。だけどボクらが読みたいのは熱血野球マンガの原秀則じゃない。そこは水島新司がいればいい。満田拓也はまだ「MAJOR」シリーズを続けている。あだち充だって「MIX」で高校野球を描いている。それでいいじゃないですか。僕らが求める原秀則は「しょうもない僕らの恋愛論」にこそいるんだもの。

女に翻弄されまくり、時に平気で傷つけながらも自分でくよくよ悔やんでしまう。まさに男のどうしようもなく、しょうもない業を描くと原秀則を超える作家はいないんじゃないか。「冬物語」のあとに描かれた「部屋においでよ」
を読んだことがあるひとなら同意してくれるはず。年上の女のところで酔っ払って一夜を過ごし、なんとなく付き合い、同棲始めて、時に女の過去に嫉妬するも、それでもなんとなくやり過ごす日常。だけど自分の人生が軌道に乗り出したらバッサリさよなら。まさにドラマ版「部屋においでよ」主題歌「それはちょっと」by小沢健二の世界じゃないですか。「いつでも夢を」の主人公もなかなかひどかったな。仕事に行き詰る彼女を悩みながらも切り捨て、泣きながら原稿(マンガのね)を描く。やがてくる別れ。どうしようもなく、しょうもない仔細なことの数々。これをねちっこく描くひと。それが原秀則なんですよ。

だからボクはこのひとにはもっともっと描いてほしい。韓流ドラマ「マイディアミスター」とか「恋は雨上がりのように」みたいな中年男がぐっと年下の女に翻弄される話ってまだまだニーズはあると思いますよ。下手に25年後の「部屋においでよ」とか30年後の「冬物語」みたいな続編は描かなくていい。しょうもないことでひたすら悩む中年を描き続けて欲しい。今、それが出来るのはこのひとしかいないですよ。そしてその市場に原を越えるライバルはいない。

そういや「部屋においでよ」とか「いつでも夢を」って普通に今でもドラマ化とかされてもおかしくないと思いますね。いっそ韓国製作でNETFLIXで世界配信とかしてもいいと思う。大ヒットしますよ。だって世界中にどれくらいいると思います?少なくてもミドルエイジは全員悩みながら生きてると思うもん。

ボクは「しょうもない僕らの恋愛論」の路線をもっともっと掘り下げて描き続けて欲しいと思ってます。かつてサンデーで同じ時代を描いていた作家たち、石渡治は「Odds」をライフワークに、村上もとかは「JIN」のヒットの影響なのか幕末医療ものを描き続けているし(「フイチンさん」名作だったなあ)島本和彦は「アオイホノオ」で自伝的要素を盛り込みつつ80年代初頭のポップカルチャー青春壇を描き続けている。高橋留美子、あだち充は第一線でずーっと描いている。そう考えると80年代初頭のサンデー作家陣ってすごいよね。

とにかく原秀則には男のクズっぷりをもっともっと描いて欲しい。肥大化する自意識に悩み苦しみ、そして女に振り回される男を。それこそが時代を越えて青春マンガの巨匠として原秀則が輝き続ける手段だと思う。

しかし「部屋においでよ」をあらためて再読してみたけど、主人公の塩村ミキオ(カメラマン志望)、男ならどっか共感する部分あるよなァ。水沢文さん、いい娘なのにねえ、と思いつつあの結末に共感するっちゃするんだよな。まあ、男なら誰でもそんなクズな部分を持ってるってことなんだろう。とりあえず「冬物語」、「部屋においでよ」、「いつでも夢を」の3作は全男子必読の書にしたほうがいいと思うよ。誰にもいつかは訪れるであろう、「クズ」な自分を自覚するためにもね。

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